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哀しくなると海をみつめに

年に一度通う北の港町に、わたしに甘い男がいる。

わたしは、「津々浦々の港に女がおりそれらすべてにそれなりの情愛を注いでいるが、本妻のことをちゃんと愛していて帰る家は1軒だけ」を気取った船乗りタイプの多情な男が結構好きで、わりと積極的に「地方の教養の粋を集めて教育された、鄙びた漁村の没落お嬢」然としたポジションを取りに行って、男が選ぶ「その港の女」になりたがってきた。

といっても、ほかの男を寄せずにただ訪いを待ちつづけるほどの健気さがあるわけでは一切なく、むしろ近年わたしのほうがいろんな町に、「待ってるよ」と言ってくれる男を抱えはじめていて、存外わたしのほうが船乗り向きの気質だったのかもしれない、と思ったりもする。

***

夫との生活がどうしようもなく煮詰まりきったころ、逃げるようにひとり北へ向かった。北の海を見て、風を受けて走る。陽の光が海を照らし、山を彩る。それを毎日飽かずに眺めていたら、ああ、このために生きているのだった、と思い出した。誰からも遠く離れて「ここではないどこか」へ行くことでしか、わたしはひとりで生きられるという実感を得ることができないのかもしれない。


北の町での初対面で、自意識が強くて己の感情や快楽に忠実で、けれどエンターテイナー気質で案外周りをよく見ている、己が男であることに疑いをもったことのないタイプの男だ、と思った。こういう男は情に篤くて、一度気に入って懐に入れた人間のことを長く特別扱いしつづける。わたしは、その懐でぬくぬくと守られながら外界を眺めていられる場合に限って、こういう男のことをそれなりに好きだ。

大人数の宴もたけなわを過ぎ、ぽつぽつと人が引き揚げ始めた座敷で、男がときおり昔好きだった男と同じ表情で笑うので、わたしはゆるい目眩におそわれる。男はいつの間にか向かいに座っていて、何気なく伸ばした足先が触れたのでそのまま引かないでいた。男にオトコの顔をさせるのは楽しくて、これはついついやってしまうわたしの悪癖のひとつだ。そういうときのわたしがオンナな女である自覚はある。

寝た男に対して身体が安心するという己の性癖を逆手に取って、やさしい場所をみつけたときに、心と身体を手っ取り早く安心させるために、その場所のオーナーシップを持つ男とさっさと一度関係を持っておく、というのが無意識のうちにライフハックとして確立されてきており、ほんとうに最悪だなと思う。それでも、居場所をつくっておきたくなるくらい、わたしはこの港町を気に入ったのだな、と思った。

足をなぞられているうちに、座敷はわたしたちふたりだけになっていた。「俺、揶揄われてんのかな」と顔を顰めていた男は、夜も更けるころにはわたしが座卓の下で足を離すと追いかけてくるようになり、やがて、「こっちにおいで」と、わたしがいちばん好きな言葉をくちからこぼす。キスに応えて頬に手を添えたら、「…本気?」と低い声で問われたのが可愛くてすこし笑ってしまった。

歳を食った男の瞳の奥で揺れている自負と諦念のうち、自負のほうを撫でて撫でて育てて、諦念のほうを舐めて舐めて溶かして、わたしはそういうの好きだからちょうだい、をやるのが好きだ。男が半信半疑から、自分の意思で一歩踏み越えてくる瞬間が好きだ。わたしはたぶん、わたしを甘やかしてくれそうな男のことを「隙のある男」と認識して、その隙に付け込もうとしている、いつも。

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翌日からの時間は、ただひたすらに安心に満ちていた。ちいさな甘えが許される。普通よりすこしだけ手間をかけてもらえる。時折わたしの横顔やら身体のラインやらを視線がなぞっていく。視線同士が絡むと、目がわらう。それらすべてが、わたしを安心させる。こういう男へのわたしの挙動は、「懐いている」と形容するのがただしい。人間嫌いは、人間嫌いを言い当てた人間に懐く。

壮年期も終わりに差し掛かっている男は、「昔きっと、俺みたいなタイプの男がお前を抱いたんだろうな」と笑い、その通りだ、と思う。いい男だったし、あなたもいい男だよ、と思う。わたしに初めて本格的に道を踏み外させた男がこのタイプだった。根性があってちゃんと動けるわたしを見て惚れてくれた男。自然や生き物と向き合って生きている男。

昔の男は、初めてふたりで会った日に、わたしの手を掬いあげて荒れた指先に触れただけでわたしの心の擦り切れかたに気づいてくれて、そうしてそのままわたしの性癖も男の趣味も、その男に決定的に方向づけられてしまったと思う。ひと回り以上歳上の男と寝ることも、左手の薬指の指輪を回して遊ぶことも、男に食事を作ってもらうことの満足も、懐に抱かれることの安心も、相手にすべてを委ねていていいことのカタルシスも、いちばん恥ずかしいところを晒け出して受容されることの幸福も、わたしはその男に教えられた。わたしがはたちそこそこのころの、壮年真っ只中の男。あんなものを21の夏に知ってしまったのは、大いなる過ちであった気もするけれど、あれを知らなければ生きてこられなかったとも思う。

命を持たぬ星座のもとに生まれた者同士、命を求めるようにもがいたひと夏のことを、今もときおり懐かしく思い出す。わたしの家を訪れては、暑い盛りに律儀にベランダに出て煙草を吸う後ろ姿を、ベッドから眺めているのが好きだった。いまだにどんな睡眠導入音源よりも、その男がよく事後にちいさく流していた Robert Glasper の F.T.B. がいちばんよく眠れるのは、たぶんわたしが物心ついて以降初めて感じた安心と受容の記憶につよく紐づいているからなのだろう。もう8年も前の、暑い夏のことだ。そういえばその男とも海に行ったな、と思う。

わたしのぜんぶを横殴りに持っていくこういうタイプの男たちはわりあいルックスの系統が近くて、そのしっかりした骨格や広い肩幅や厚い胸に目を吸い寄せられては、ああ同じ煩悩、と思う。こういう男たちは揃いも揃って、「俺はきみみたいに頭が良くないからさ」という趣旨のことを言うのだけれど、わたしは学歴や偏差値と寝るタイプではない。ただこういう男たちが生きてきた、そのやりかたが好きなだけだ。嵐の夜を生き抜けるつよさが好きなだけだ。だからわたしのことはちゃんと「馬鹿だな」と笑って頭を撫でていてほしい。


***


1週間ほどの滞在の間毎日、日ごとに参加者をすこしずつ変えながらも日付が変わるころまで宴会は続き、毎晩一緒にお酒を飲んでくれる男というのはいいものだなと改めて思った。男は酔いが進むにつれて目尻の笑い皺が深くなり、わたしだけを下の名前で呼ぶので、わたしは嬉しくて、座卓の下で足を絡める。際限なく触れていたいわたしを、この男は笑わない。男がわたしの居場所をつくる。「おとこのからだがわたしの存在を許容する」ということに、どうしてこんなにも救われてしまうのだろう。

男はべつに、わたしの心の深部を探るような器用さの持ち合わせはなさそうだったけれど、感情が荒れているときには、抱いていてもらえるだけですこし凪ぐ。ふたりになったときに甘えたら、「可愛い顔もできるんだな」と笑われたけれど、わたしは触れられないと甘えられないのだ。胸に顔を埋めたら頭を撫でられる。そういう角度で向けられる感情に、わたしはとてもよわい。「ああそうか、甘えたいから父親みたいな年齢の男が好きなのか」と慣れない手つきでわたしの思考を紐解き始める男は、わたしの父親よりひとつだけ歳下だ。男の上の娘と同い年らしいわたしは、平生そんなに、甘エタイナンテ思ッテマセンケド、みたいな顔をするのが上手だろうか。

懐いたが最後、「こっちおいで」には尻尾をぶんぶん振るし、いつだって触れていたいし、ちゃんとキスも強請れる。やっぱりわたしはちゃんと甘やかしてくれる相手といるべきなのだろうな、と、わたしに触れはじめた手がみちびく疼きと多幸感の嵐の中でぼんやりと思っていた。わたしの顔を覗き込みながらわたしに触れる男が、「そんなせつない顔をされるとぐっと来るよ」などと呟くので、わたしはこの男がわたしに欲情するということに安心する。こういうシーンで男のくちから零れる「せつない」という語彙は、なかなかいいものだなと思った。

「抱きたい」とストレートに言ってくれる男は素直で可愛くて好きだけれど、「『抱きたい』なんて気取った言い方はしないよ」と笑う男も好きだ、と思う。わたしももうそういう芝居がかった言葉遊びの前座を、必ずしもほしいと思わなくなってしまった。肌に馴染んでいない言葉は、ただ虚しい。

こうして触れたり触れられたりしているうちに、男は問わず語りに、痛い記憶やら心に刺さって疼く棘やらをわたしに話しはじめる。わたしは、この瞬間がとても好きだ。男が、「この女にはなにを話しても、適切に受け止めて受け流してくれるだろう」という信頼を抱く瞬間。わたしは相手を救わないけれど、ただわらってここにいる。それだけのことが、心がささくれているときにどれだけ支えになるかを知っている。わたしは自分ひとりぶんの魂の居場所さえうまく構築できないタイプの人間だけれど、わたしに触れる男の弱音の置きどころくらいはつくってあげられる。


この男は基本的にわたしにとてもやさしいのだけれど、いちばん、やさしいな、と思ったのは、一度も逃げられない状況に追い込まないでくれたところだ。ここはこの男のテリトリーだから、そうしようと思えば容易にできたのに。いつもわたしを待ってくれるから、わたしは足場の悪い道で伸べられた手を取らないことさえもできる。すると男はすこしさびしそうなかおをするので、ああ素直に甘えておけばよかった、ともう何度目かの後悔をするわたしはとことん甘え下手だ。

最終日、「お前はLINEも電話も嫌いだろうから」と目を合わせずに笑われて、胸がずきりと痛んだ。近くで過ごした1週間のやりとりの中で、この男はわたしをそう解釈したのか、と思った。本音を言うと、わたしを知らなかったころと地続きに流れてゆく相手の日常の地平に、この先どういうふうに映り込んでいいかが、こういうときいつもわたしにはよく分からないのだ。ことばのやりとりだけできちんとつながっていられる相手と、触れていないと意味がない相手がいて、どちらが好きとか嫌いとかそういうわけではないのだけれど、ことばだけでわたしに居場所を感じさせてくれるひとは、得難い。


***

翌年も、そのまた翌年も同じように、町中ですれ違うとき男の目は優しい。話し込むとき距離が近い。わたしの身体は、そういうことにたやすく安心する。ちいさな我儘が許される。名前の呼び方がほのかに甘い。わたしの心は、そういうことにたやすく安心する。

対人関係ですこし嫌だと思ったことを飲み込んでしまおうとしたわたしに、「お前は絶対言えないだろう」と男は悪者になってくれて、ああそういうところをいいなと思い、そういうところに何度も救われてきたのだったな、と改めて感謝する。

北の町での装いはひたすらに手を抜いているけれど、「こないだ東京で会ったとき、バチッと化粧したお前を初めて見て、可愛いな、と思ったよ」などと男が真顔になるので、たまにはちゃんと繕おうかと思う。裏表のない人間が真っ当に愛されるのは当たり前で、わたしがたまに誰かにぐっさり刺さるのは、「とことん表だけで他者と接している女の裏が俺にだけは見えてしまった」という類の自負をくすぐるときなのだろう。「お前はめんこいよ」と撫でられて、この男向けに fine tuning されたわたしのよそゆきの「裏」は、この男の目にさぞ可愛く映っているだろう、と思う。心を許せる場所でくらいは、かわいい女でいさせてほしい。

「今年のお前は、酔うとたまに一人称が『澪』になって可愛いな」と男は笑い、あまり自覚のなかったわたしはその、「去年はやらなかっただろう、それ」に持っていかれてしまう。流れていくこの男の日常の底に、去年のわたしの記憶が伏流しているのなら、それはとても嬉しいことだ。

「なんだかやけに素直になったな」と評されて、たぶんぜんぶあのひとのおかげだ、と北国生まれの別の男のことを思い出した。あのひとはわたしのどうしようもない裏さえも可愛いものとして世話を焼いてくれるから、素直でいようと思える。なんだかんだいつも男の気配のするわたしに、「お前は男がいないと駄目なのか」とこの男は苦笑いをするけれど、「別に今さら恋なんてしたいわけじゃない。甘やかしてくれるひとが必要なだけ」と拗ねてみせれば、「俺は甘やかすよ」と返してくれるので、わたしは今年もこの男のテリトリーで安心していられる。この男も世話を焼きたい男なので、日本酒もワインも尽きた夜更け、わたしはこの男がタンブラーに作っては飲みつづけているお湯割りを横からひとくち盗んでは、「あったかい」と笑う。

随分素直に甘えるようになったわたしに男は、「お前実は元旦那のことめちゃくちゃ好きだっただろう」と今さらのように撫でてくるのだけれど、わたしも今だからそれを満面の笑顔で肯定できる。笑顔で押し切ろうとしたわたしの速度に男は安易に乗ってくれず、「それは寂しかったよなあ」とふわりと落とされて、ああ、その傷はまだ痛い、と思う。ここで立ち止まると、たぶん泣いてしまう。この男の胸で泣いてみたい、がちらりと脳裏を掠めて、また勝手に父性を仮託してしまっているな、と反省する。男としての相手への興味と、父親を求める慕情は、いつも後先が分からなくなる。

腰を据えてお酒ばかり飲んでいた相手に、酔いの回った深夜立ち上がった拍子にふと真顔で落とされる、「お前、意外と背が低いな」が好きだ。不安定な椅子の上で膝に登ってするキスは、男の体幹の安定感が如実に分かって良い。「好きな顔だなあ」と思いながら撫でていたら、「ふた回りも歳上の男に可愛さを見つけるようになってしまった女は怖いよ」と男は苦笑いしていた。「見た目が性癖」という身も蓋もない事実に、今年も首根っこを掴まれている。

数年前、わたしが「自分はこういう男にパターナリズムを感じて安心して欲情する」という己の傾向に気づき始めたころ、15年ぶりくらいに父の弟と顔を合わせてみたらもろにこのパターンの男で、ああこれは結局ファザコンの延長なのか、と天を仰いだことがある。父を正しく父親らしくして社会生活に適合させてオスっぽくするとこうなると、わたしの本能は思っているようだ。

「好きだ」と思いながらわたしに触れてくれているひとの指先と、自意識だけで触れてくるひとの指先は痛いほど明確にちがい、この男の指先は確実に前者だ。こうして己の身体に対するオーナーシップを取り戻しつつ己の指向性を再確認するのは、それなりによくできた再生の儀式だなとは思う。人はひとりで生きられるのだろう。


***

旅を繰り返す中で薄々分かってきたのは、わたしは「見たいものがあって、好きな町になって、会いたい人ができて、戻ってくる場所になる」という旅のしかたがとても好きなのだということだ。こういう旅ができるようになってよかった、と思う。戻ってきたい場所に、待っているよと言ってくれるひとがいてくれるのは幸せなことだ。こうして安心できる巣穴を増やしていくことを、「崩壊」だとか「破綻」だとか呼ぶこともできるだろうと思うけれど、わたしは「成長」と呼んでゆきたい。

また1年生き抜いたと思える感慨を毎年惜しみなく与えてくれるこの北の港町とそれを取り巻く海を、今暮らしている町の次に愛するようになってしまったし、来年もまたその次の年も何度でも戻ってきたいと思う。変わりゆく季節の中で、変わらないものを探していたいと思う。

海にいると、世界との摩擦でいつもひりついていたわたしの皮膚が、ほんとうは陽の光だとか波飛沫だとか夏の風だとか、そういったものを感じるためにあったのだということを思い出す。海は、なにもかも削ぎ落としてわたしがわたしでいられる場所で、もはやそこすらも通り越して、わたしがわたしでなくていいとすら思える場所かもしれない。儚く再現性のない一瞬の煌めきを無数に滴らせて、けれどそこにはたしかに永遠に感じられる瞬間があるから、わたしはまだこの世界をいとしいと思っていられる。

己がどういう状況にあろうと、海が大好きだというこの事実は今後も変わることはないし、そのことがきっとこれからもわたしを支えつづけると思う。海で、瞬間は永遠であるので、そのとき、たしかに時は止まるので、わたしにもまだなにかを信じることができるのだと、なにかにうたれることができるのだと、それが幸福なのだと、そう信じていられる日々の間だけ、たぶん永遠はつづく。


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