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愛の爆弾

ひとりで生きていけない女を慈しむ、ひとりで生きていかない男。

***

あとになって話したいことが湧いてきて、
わたしは感情の瞬発力がないなあと思う。
東京寒いけれど、そちらはもっと寒いでしょうか。
月曜日 23:31

会いたい、と思う。会ってもどうにもならないことは分かっているし、どうにかなれる気になるなと自分に言い聞かせてもいる。でもあの夜、4年間喉元まで込み上げては飲み込みつづけてきた言葉たちは結局ひとつも口から零れず、そもそも思い出しすらしなかったような気がする。だってわたしは、あのひとに触れられたらぜんぶ忘れてしまう。忘れられていた言葉たちがまた、喉の奥で泣いている。

どうしたの?
今日こっちはまた雪だよ…
火曜日 05:37

コンテクストの濃いセックスは、何日も何日も口の中で転がせるからいいな、と思う。コンテクストに抱かれているのかコンテクストを抱いているのか、もはや自分で編み上げたコンテクストに吞まれているだけなのかは分からない。あのひとに抱かれているときはだいたい脳が液状化しているので、機微も思考もあとからやってくる。あれも聞いてほしかった、これも伝えたかった、と埒もない断片が脳裡で展開しつづけて明滅を止めてくれない。それにあのひとの指の感触の残響が混ざると、感情が煮崩れそうになる。でもわたしはまだ、物分かりのいい女でいたいのだ。

どうというわけでもないのだけど、
一緒にいる時間はいつも幸せだなと思って。
ご自愛ください。
火曜日 22:08

わたしも幸せだったよ。
また会えるといいね。
それまでどうか元気で。
水曜日 04:02

ぽつりぽつりと行き交うメッセージにまだ甘さが滲んでいて嫌だ。たった10文字に丁寧に打たれた句点に、こんなにも揺さぶられている自分が嫌だ。あのひとに送るメッセージを考えている時間を愛おしいと感じてしまう自分が嫌だ。

隣にいるときだけ最高潮の優しさを注いでくるような刹那的な生き方をするもの同士かもしれないと思っていたこともあったのに、あのひとは離れても存外にわたしを甘やかす。やさしい世話焼きのあのひとはわたしからの連絡を決して無視しないから、自制心が弛んだ夜にどうしようもなくなって連絡してしまうわたしは、4年前から進歩がない。返せる最速のタイミングで返してくれているのだろうメッセージのまめさにときどき申し訳なくなるのは、そんなに強欲になっていいとは思っていなかったからだ。なかなか情緒と言動の振り切れたかつての恋人の話を聞かせてもらった記憶から類推するに、叙情系甘えたがりのわたしの相手をすることなどあのひとにはそこまで負担でないと、実は知っているのだけれど。

もっと雑に扱ってくれないと距離感を見失ってしまいそうになるから、「わたしの扱いなんてもっと雑でいいし、ぶつけたいものがあったらぶつけてくれていいんですよ」なんて言ってしまいたいし、わたしのそれが一定程度本音なのも事実だけれど、実のところ半ば以上嘘なのを自覚している。こうやって甘やかされたいし大事にされたいし愛されたい、ちゃんと。

よかった。またどこかで。
夜な夜な甘えてごめんなさい。
ちょっと今回再武装が難しくて。
水曜日 20:26

4年前は記憶を糧に前向きに生きようと思えたのに、なぜか今回は甘やかされて無防備になったあとの再武装がすこしもできず、生牡蠣のまま毎日泣き続けている。泣かない期待しない依存しないこれは恋じゃないと、頭ではそう思えるのに、感情がすこしも凪いでくれない。鎧を剥かれて非武装化されてしまった心を立て直してしゃきっと生きていこうとここ1週間頑張ってはみたのだけれど、あのひとのことばが心を撫でるたびに、鎧がぼろぼろと剥がれ落ちていく。

わたしはどうしてこんなに泣いているのだろう。あのやさしい手がここにないことがそんなに辛いのだろうか。基本的には感情過多な人間なので、思考の綾を探って捉えて言語化して固定しつづけることで、暴風雨のような自分の感情からなんとか距離を取って客観視してやり過ごしてきた。けれど、今回は書いても書いても楽にならない。無防備にひらいたわたしを誰もがやさしく包んでくれるわけではないから、ちゃんと適切に閉じたいのだけれど、あのひとの前にひらかれていたいという根源的な欲求を回収できない。書いても書いてもすべてが甘えん坊の駄々に転んでゆく。推敲するほどに文章が狂ってゆく。原因は分かっていて、この嵐はそのうち過ぎ去るのも分かっていて、でもいまこの感情を持て余している。持て余している。明け渡しすぎるとこんなことになるなんて知らなかった。明け渡したことなどなかったから。明け渡したいと思ったことなどなかったから。

再武装って何かな?
あの夜は酔いもあって腑抜けてたからね。
そういえば、仕事の関係で、
またそっちに行くことが出てきそうだよ。
水曜日 21:01

甘やかされてふにゃふにゃ武装解除しちゃったので、
しゃきっと武装するのです( `・ω・´ )
またこっちに来てくれたら嬉しい。
わたしもそちらにも行ってみたいなあ。
水曜日 21:23

なるほどね。
ぜひこちらにも遊びにおいで!
水曜日 21:25

酔って手癖でするセックスがあのクオリティなのが、あのひとのあのひとたる所以かもしれない。毎日武装したがるわたしの生きづらさの対極にあるのが、あのひとのやさしさだ。あの夜駄目押しのように落とされた「好きだよ」を、信じているわけでも疑っているわけでもない。甘やかしたい程度に気に入ってくれているのは知っている。抱きたい程度に好いていてくれるのは知っている。請えば能うかぎり与えてくれるのは知っている。けれど翻ってあのひとに対してわたしが抱く感情は、「好き」ではなくて明確に「ほしい」なのだ。

そういえばひとつだけ嘘をつきました。
先生変わってないって言ったけれど、
すこしだけ変わったなと思いました。
あんまり寂しそうじゃなくなりました。よかった。
水曜日 23:40

すこし長めに構ってもらって情緒不安定を解消したわたしは、ようやくなにかを伝えられるようになる。「伝えてもいい」と思える相手は希有だし、「伝えれば応えてくれる」相手は、もっと希有だ。20代前半のころのほうが、未来の不確実性が高いぶんひとりのひとへの期待値が上がりすぎず、依存しなかったのだろうなと思う。ここまで来てしまうと、自分の拗れ具合も折り合いのいい相手の得難さももう痛いほど分かってしまっている。わたしはたぶん、「打てば響く」ことに飢えている。

へえ、そうなんだ。
前は寂しそうなところがあったんだね。
木曜日 00:50

うん。この町を離れる寂しさなのか、
誰かの世話を焼きたい寂しさなのか、
何かを育てたい寂しさなのか、
それともわたしの寂しさのリフレクションなだけなのか、
わたしには分からなかったけれど。
木曜日 22:20

わたしは小狡い女なので、ここまでぐらぐらに揺らいでもなお、あのひとにもちゃんと最適解を吐き出そうとしている。あのひとがわたしのことを「もっと知りたい」と言ってくれた4年前の雨の夜の延長に、「わたしもあのひとを知りたい」は在る。わたしは今しか知らないけれど、20代のあのひとも30代のあのひとも見たかった、と思う。

言われてみれば、どれも当てはまるかな。
あの町は大切な場所だし、
もっと育てたかった部下もいる。
澪ちゃんの何となく満たされない感じも伝わっていたし。
金曜日 05:06

こうやってぽつぽつとあのころの寂しさの答え合わせをしていると、あのひとがあまりに、わたしの心のいちばん脆いところを的確に撫でてくる男、で分が悪いな、と思う。「なんとなく満たされない感じ」の女をそうやって抱き留めて毛繕いをするのは、いったいどういう心理なのだろう。わたしは4年前からたぶんずっと、「ほどよく枯れた男」としてあのひとの面影を追っている。己の欲望というよりはわたしの寂しさのために、わたしの傷を愛でるよりは癒すためにわたしを抱いたひとだった。ほんの数日の間で、心と心との間のやりとりをとても多く持ってくれるひとだった。

あのひとがまだわたしになにかを仮託していたあのころ、それはそれで付け入る隙の多さや互酬性のバランスが楽ではあったのだけれど、やっぱりわたしはあのひとの欠落を満たしたいと思ってしまったから、この帰結は望ましいことなのだ。でも、今のあのひとがもうわたしに共鳴しないことが、寂しくないと言えば嘘になる。あのひとの目の奥にもう寂しさがないいま、あのひとの指先にはただやさしさだけがある。

いまは寂しくなさそうなので、
良い選択をされたのだろうなあと思いました。
金曜日 23:03

あ、珍しく澪ちゃんって言った(*´ω`*)
金曜日 23:03

抱くときですら「さん」付けだったのに、突然呼び方が「ちゃん」付けに転んだので、一拍遅れてどうしようもなく嬉しそうな反応をしてしまった。あのひとならたぶん、いまわたしのメッセージの後ろでぶんぶん左右に振られている尻尾を見抜いてくれるだろう。「さん」付けは、あのひとがわたしを取り込みすぎないようにしようと意識的に余白を残してくれていることの現れであっただろうから、それはそれで嫌いではなかったのだけれど、もうわたしはあのひとと距離が近づくことを怖いと思えなくなってしまった。ただその温かな胸に、すこしでも長く触れたかった。

以前から、メッセージの中でときどきわたしの名前を呼ばれることが嬉しかった。あのひとが呼ぶわたしの名前が好きだ。わたしは相変わらずあのひとの名前を呼べず、でも、ひとりでするときくらいは許される気がして甘い声で連呼してみたりする。誰にも気づかれないように。

性根が世話焼きなので、学生の面倒を見る日々は、
満たされているのかもね、澪ちゃん。
土曜日 06:10

あのひとはわたしの「ほしい」にとても敏感だから、そこがきもちいい、と分かりやすくうれしい顔をしていたらあのひとがそこに触れてくれるのは分かっていた。わたしがうれしそうな顔をすると、あのひともうれしそうな顔をするのも分かっていた。そこにはどこまでもやさしさしかなくて、そのことがわたしをのたうち回らせる。ここにほしい、と物欲しそうな顔のわたしをわたしは嫌いだけれど、あのひとはわたしの嫌いなわたしまで抱き留めてくれる。

あのひとからのメッセージをひらく前にはいつも、たとえどんなやさしくないことばが広がっても大丈夫なように心の準備をしているのに、毎回どこまでもやさしいことばに殴り倒されている。昔あのひとに、「記号ではなくわたしを見てくれていてうれしい」などとどうしようもない本音を吐いてしまったことがあるけれど、あのひとが見ているのが記号でなくてわたしだからといって、名前を呼ばれたからといって、どうなるものでもないことは分かっている。なのに、なぜかあのひとのことばだけは、やさしさをやさしさのまま受け取ってしまう。

甘やかされると泣いてしまいそうになるし、やさしさはたまに凶器だから、節度を持ってやさしくしてほしい。これまで誰も甘やかしてくれなかったわたしの中の幼児性が、あのひとのやさしさに絆されて爆発しそうになる。これまでも部分的には出してきたし部分的には受け入れてくれるひともいたけれど、こんなにもすべてを適切に抱き留められると歯止めが効かない。あのひとは、わたしが世界に向かって張っている虚勢を、ぜんぶ舐め取ってくれるようなひとなのだ。もう幼さで売るには歳を取りすぎている自覚はあるのだけれど、あのひとの目にまだわたしはかわいいのだろうか。

寂しい。優しくして。甘やかして。世話を焼いて。名前を呼んで。触れて。キスして。抱きしめて。わたしのことを考えて。ここにいていいと言って。今ここにいてほしいのはわたしだと言って。なにもかも大丈夫だと言って。なにも心配しなくていいと言って。

名前を呼ばれるのが好きなのは、父がわたしに名前を与えてついぞ呼ばなかったからだ。

***

髪を切りに出かけた帰りの電車の中でふとスマホの画面から顔を上げたら、ちょうど大きな川に架かる橋の上を走っているところだった。河原の景色が傾きかけた夕陽のあたたかな色調に照らされて明るく柔らかく綺麗で、ああこの景色を一緒に見たい、と咄嗟にノータイムであのひとの顔が浮かんで、もうだめだ、と思った。それまではKindleで本を読んでいたから、特にあのひとのことを思っていたなどということもないはずなのに、綺麗だな、と思ったもうその瞬間には顔が浮かんでいた。

ほんとうは分かっている。あのひとが一緒にいるとき200%わたしだけ見ていてくれるのは、それが非日常だからだ。わたしの甘えの相手をするのがあのひとにとってべつに苦ではないのは分かっているのだけれど、それでも、わたしはあのひとの日常においては異物だから、あのひとが決して雪崩れてこないのをわたしは知っている。あのひとの日常に勝てないぶん、記憶を磨いて珠にしようと思っているし、昔からずっとそうしてきた。わたしはつくづく1対1の排他的な人間関係に向かない女だから、わたしを日常に取り込まないで、とそもそも思っているはずなのだけれど、あれが日常なら癒えるのに、がどうしても脳裏を過ぎるからこんなことになっている。最適解だけを差し出されることには、中毒性がある。

先生は、人と関与するのが上手。
土曜日 18:35
わたしを甘やかすのも上手。
土曜日 18:35

そうかな?好きな人は好きなだけだよ。
土曜日 18:43

拒絶されないことに安心したわたしは、あのひとのその触れかたが正解でわたしはとても嬉しいのだと伝えたくなってしまう。わたしは関係性の初期に相手の領域を分析したり踏み越んだりするのは結構得意なほうだけれど、自分の領域を開示することや踏み込まれることにはとても臆病だから、こんなふうに伝えることができる相手はあのひとだけだ。わたしの甘えがSOSだと気づかれているというのは都合のいい解釈だし、好意が常に甘えを許容するものだと思っているわけでもないけれど、わたしがどれだけ甘えん坊か分かったうえで甘やかしたのだからこんな身勝手な自己開示すらも受け止めてくれるだろう、などとと思いながら寄りかかる自分の脆さにちいさくメンタルが削られる。やさしさを分析すると傷みつづけたくなってしまうのは、わたしの思考の良くない癖だ。

わたしが「抱きしめて」「キスして」「好きだと言って」と他愛ない、けれどどうしようもない切実さを孕んだおねだりをしたらすべてちゃんと引き受けてくれる相手を長らく評価してきたけれど、あのひとのいいところは、わたしがなにひとつ請わなくともすべてちゃんと与えてくれるところだ。請わなくても落とされたキスと、請わなくても落とされた「好き」の記憶に縋りつづけている。

好かれている気になってしまう。
土曜日 19:10
泣かない期待しない依存しないひとりで生きていける!
土曜日 19:10

会いたくて触れたくてわたしはどんどん脆くなり、これまで誰にも吐かなかった駄々を吹き零してしまう。あまりに甘やかされすぎて衝動的に送りつけてしまったけれど、こんなものは泣いてるし期待してるし依存しそうだしひとりじゃ生きていけないと言っているのと同じことで、もう嫌だ、と思う。あのひとは冗談だと思っているかもしれないけれど本当にあれから毎日泣いているし、わたしがひとりで生きていけないことなんて4年前から、というかたぶん出会った瞬間から分かられてしまっているのだろう。

たとえば「寂しい」と追い打ったらあのひとはどうするのだろうか、とか、そんなくだらないことを考えて、手を止める。見捨てられるのも忘れられるのも怖いと思ってしまう程度には沼のさなかにいる。「分かっている」で飲み込まないといけないのはわたしなのだから、あまり適当に甘やかさないでほしい。お願いだから、わたしがこれ以上落ちないように、もう少しうまく転がしてほしい。

あはは、いつだって応援してるよ!
土曜日 19:24

あのひとが「あはは」と文字で笑うところが、昔から結構好きだった。応援してくれているならそれでいい。どうにも心の奥底から湧き上がってきてしまう愛されたい、を飲み込んで、1日1回でいいからわたしのことを考えて、に願いを引き戻す。牽制されているのかどうかはまた測りかねたけれど、いつものように明日返信しよう、と思う。

あのひととは細く長く繋がっていたい。昔は太く短く燃やしてしまったけれど、もう一度撚り合わせるきっかけを得られたことが嬉しいのだ。あのひとの心の中に、どれほど狭くてもいいから、ずっとわたしだけの場所がほしい。ただそれだけで生きていけるわけではないけれど、ちゃんと毎秒寂しいわたしは、すくなくともそれだけですこし、息が楽だから。

澪ちゃん、大好きだよ。
土曜日 20:27

1時間後、唐突に愛の爆弾が投下されて、あまり心の準備もできないままにうっかりまともに被弾してしまったわたしは、息も絶え絶えになる。「先に息が続かなくなるのは、きっとわたしだ」という4年前の自分の予言を文字通りなぞってしまっていて、ああ、わたしはついに娼婦でも看護婦でもなく巫女になれたのだろうか、と思う。

あのひとが身内に抱える愛が多いのは知っているのだけれど、頼むからその愛をわたしに向けるときには総量規制してほしい。1/3の純情な感情が焼き切れる。飢えているタイプにこんな奔流が突然押し寄せたら、溺れてしまう。わたしはちゃんと距離を取ろうと努力していたのに、渾身の強がりにどうしてそんな特大の爆弾をぶつけてくるのだろう。わたしのいちばんだめなところまでぜんぶ見切っているあのひとに、それでも好きだと言われると、否応なく心に刺さってしまう。

わたしも。
日曜日 01:28

どう咀嚼すればいいかわからない。あのひとの感情も、自分自身の感情も。ただ、「あのひとがわたしをすきでうれしい」というプリミティブな熱がそこにあることだけは確かだ。守るものも帰る場所もあるあのひとがそれを言うのはなしだよ、と鎧を着こんで大人ぶったわたしが苦笑っている気がしたけれど、甘やかされつくして素直でしかいられなくなったわたしの頭の中の幼児は、ああ、「ずっとそう言われたかった」と、花が咲いたような満面の笑顔だ。


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