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傷の愛しかた

埋めたり埋められたりしてきたから、結局今回もわたしはあなたに晒してしまう。見せたくなかったこの生傷さえも。

Episode.11 Summer and Autumn, 2019

夏の夜あなたから、「ググらずに考えてる。『底抜け』はポジティブな表現だが、『底が抜ける』だとネガティブに感じるのはなぜなのか」などとLINEが来ていて、ああ、その倒置法すら愛しい、と思わず息を飲んだ。言葉を仕事にするひとがそういう思考に時間を費やすのが、とても好きだ。ひとつひとつのことばを蔑ろにしない、己のことばに対して誠実なひとが好きだ。たとえ女に対して誠実でなかったとしても。


あなたのために紡いだ言葉の総量が増えすぎて、挙句の果てに

どこにいてもなにをしてても寂しいわ、あなたに抱かれているとき以外

などとくだらない七五調まで口から零れるようになってしまった。「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」を序詞的に置ける地名として「忍びが滝」があったら面白いなと思って探してみたけれど見つからなかった、などという話をわたしがするのを、「不敬な呪文だな」とうるさそうに嗤いながら、それでも付き合ってくれるところが好きだ。

「お前は己を形容する言葉にシャープネスをかけすぎる癖がある。日々のエッジばかりを見るな」とあなたはかつてわたしを宥めたけれど、わたしはあなたに対する感情にチルトシフトをかけているから、この恋文はいつもファジーだ。「俺が好きか」に二重否定で返したら、「二重否定は肯定に直す」とあなたは職業病的に添削をするので、「余白がない文章は苦手」と笑ってみせた。己を形容するのに鋭角な言葉ばかりを選ぶのは、底の浅さを悟られたくないからだ。ファジーな文章を書くのは、心と心の間にある余白を愛しているからだ。

何か言っているようで何も言っていない文章を書くのは得意だ。何も言っていないからこそ、人はわたしの言葉に自由な夢を見る。

「お前は男のいいところを見つけるのが得意なんだな」というあなたのわたし評はわたしを性善説で見すぎだと思う。けれど、突然2文字しりとりを始めても流れるように乗ってきてくれるあなたの言語的瞬発力を愛しているし、更けてゆく夜の寂しさを形容するのにしれっと万葉集を引くわたしの思考の飛躍をあなたが愛してくれているのを知っている。箴言めいた言葉を並べているだけでも時は流れてゆくけれど、その中であなたに「心にくい」と評されて、これ以上の褒め言葉などないと思う。

あなたがわたしを評した言葉を、一言一句覚えている。「お前は気に入った男の性向を学習して最適解の反応を吐き出し続けるAIみたいな女だよ」とあなたは鼻で笑うけれど、そう言うあなたへの最適解を、今日もわたしは吐きつづけられているだろうか。「お前は人を勘違いさせるのが上手いからな」は、あなたの口から出た場合においてのみ褒め言葉だと認識している。

「望めばだいたいなんでもしてくれるし、男の願望煮しめた偶像にもなってくれるのに、好きとは絶対に言ってこない手に入った感のない女」と言語化され、ああなるほど、と思うなどした。「そういう仕草をどこで身につけたのか」とあなたに問われたことがあるけれど、気づいたときにはすでにこうだった。自衛かもしれないし偽装かもしれない。

人の心の穴を敏感に察知してその穴に沿うように自分を変形させて入り込むのは昔から得意だ。けれど、いつもその形でいるとか、いつまでもその穴にいるとか、そういうふうには思わないでほしい。「1回寝たら終わりの女」と「一生隣にいてほしい女」のちょうど間あたりを縫って生きている。「精神的欠損フェチ」とわたしを評するあなたの言葉は、それなりに言い得て妙だと思う。「残滓のような人間」という表現をあなたはかつて己にあてた。ただ、あなたの心のそのざらついた繊維質の間隙を、音もなくわたしで埋めたかった。

***

けれど夏が過ぎたころ、そんなわたしのほうが想定外にざらついてしまった。己の愚かさの帰結として、誰にも理由を言えないまま数日上京せざるを得なくなったとき、あなたに連絡するかどうかは随分悩んだ。無関係なあなたに何もかも話してしまえば楽になれるかもしれなかったけれど、その傷をあなたに語ること自体の負荷が、ぎりぎりのところで維持されているわたしの精神の背骨を不可逆的にへし折りかねない程度にまで、わたしはざらつききっていた。案外に臆病なわたしはまだあなたにとっての偶像でいたくて、あなたには同情も軽蔑もされたくなかった。

なのに結局、苦しさに耐えかねて会いたくなってしまって、「今日から3日ほど東京にいるの」とLINEを送った時点で宿を確保した気になったわたしは、やっぱりあなたに甘えすぎているのだろう。幾分間遠になった連絡にも、1分以内に「今夜は空いてる」と返してくれるあなたは、変わらずわたしにやさしい。はじめはただの記号にすぎなかったあなたとも、出会ってそろそろ3年になる。あなたのことを好きだと言えるわたしは、平気で他所で恋をして、失って、自棄になって、また手にして、という有為転変をやっていて、そんなわたしをあなたは見抜いていて、だからというわけでもないのだろうけれど、今は「父親」ロール寄りでいてくれる。


本当は顔も見たくない相手を、事務的にあなたの最寄り駅の馴染みのバーに呼び出して野暮用を済ませ、そのまま置き去りにする。カウンターの中の男が呆れたような顔で薄笑いを浮かべていたけれど、今夜だけは赦してほしい。駅前であなたと落ち合ったときには、3日分の荷物はすでにあなたの家へのルート上のコインロッカーに投げ込んであった。トイレの鏡でルージュを引きなおしたら、自分がまだ東京で生きていけそうな顔をしていてすこし笑えた。恋人と暮らす町での素顔は恋人のものだけれど、東京での素顔はあなたのもの。今はそれくらいがちょうどいいのかもしれない。

あなたが前後に子供用シートを取り付けた愛用の自転車を駆る街であなたと手を繋いで歩く厚顔さはさすがにあのころのわたしにもなかったから、あなたの最寄り駅であなたと飲むのは実はまだ2度目だ。あなたはハイボールでわたしがビールなのは、出会ったころから変わらない。あのころ、よそゆきの笑みを貼り付けて職場の飲み会や友人とのワイン会を楽しんだ後、場末のモツ焼き屋で薄いビールを飲みながらあなたに管を巻く時間に救われていた。ワーカホリックなあなたが狭いカウンターで上背を丸めるようにしてPCのキーを叩くのを、黙々とモツ煮を食べながら眺めるのも面白いものだった。

あなたとは安居酒屋ばかり行っていたけれど、もしグランメゾンにエスコートされたとしてもきちんと楽しめただろうな、と思う。「ワインの味なんぞ分からん」などとぶつくさこぼしながらも、それらしい顔でそれらしい反応をしてくれるひとなのを、わたしは知っている。

餃子をつつきながら恋人やらその他の男たちやらとの近況を、当たり障りのないところだけ話したら、「お前はほんとうに、躊躇いなく男にコナかけるようになったな」とあなたは呆れたように笑ったけれど、ならばあのころの、姑息な上目遣いのメンヘラのままでいればよかったというのだろうか。「人間に興味が出てきたんですよ、言祝いで」などと笑い飛ばせるようになったのは、それなりに成長かもしれない。けれどあなたと話すと、自分語りしかできなかったころのわたしについ戻ってしまいたくなる。「わたしの愚にもつかない駄々をそれでも聞いて」という圧倒的幼児返りを恥じられもしないくらいに幼くなってしまう。

手を引かれて帰れる場所があるということには、確かな喜びがある。久しぶりのダブルベッドからは、なつかしい柔軟剤の香りがした。あなたが馴染みきった寝具にわたしはまた馴染めなくなっているけれど、それはそれで刺激的な小道具だ。でも、歯磨き用のグラスにバカラを出すのは心臓に悪いからやめてほしい。片割れを割ってしまったエピソードを聞かせてくれたことは、今もちゃんと覚えている。


あなたはあまりわたしに触れさせてくれないから、あなたがどこにどう触れられるのが好きか、わたしはほとんど知らない。昔はそのことを悲しめる感受性がなかったから特に気にならなかったけれど、久しぶりに抱かれてみて、そのことを寂しいと思うようになっているのを自覚する。相手を見ずに抱くやり方と相手の心ごと抱くやり方と、あなたのは両方知っていて、あなたはもうわたしの身体だけを抱くことはしないのだけれど、どうしてもそこかしこのちいさな違和を見過ごせず、ああ、わたしの身体はもう恋人のかたちになってしまったのだな、と思うなどした。わたしは愚かなので、いつも経験しないとわからない。

変わったようで変わっていないあなたは、相変わらず冗談交じりにわたしを器にしようとする。これまで長らく笑っていなしてきたけれど、今夜ばかりはそれがlast strawだった。筋違いに苛立つわたしにあなたは、「相変わらず面倒な女だな」とただ抱きしめて眠ってくれた。わたしの寂しい夜をいくつも掬い上げてくれたあなたは、今夜も最後の最後のところでわたしを取り零さない。

繁殖を頑なに拒絶するくせに、繁殖力の強そうな男のことが昔から好きなのは、悪戯な誰かがわたしに組み込んだ悪趣味なバグだと思う。けれど、「繁殖したくない」という意思は、わたしを動物ではなく人間につなぎとめる最後のよすがかもしれないと思ったりもする。わたしはあなたの繁殖意欲のもっとも原始的な部分を、ただ取り零すことしかできない。


翌日上京の目的を事務的に果たし終えたあとは、さすがにほっつき歩くことも躊躇われて、あなたの帰りが早いなら夕食でも作ろうかと思ったけれど、「遅くなる」と連絡があったから、わたしのノスタルジーの押しつけは無事実現せず、ふらつきながらも馴染みのバーに流れ着いたわたしは、アルコールを禁じられている身体に平生の許容量ぎりぎりまでアルコールを流し込むことしかできなかった。結局あなたは日も高くなるころまで帰らず、わたしは疼きつづける生傷をただ持て余した。でも、その日の夜はあなたは早く帰ってきてわたしを連れ出してくれたから、わたしはようやく、すこし人心地を取り戻す。隠したい傷を隠しつづけられたことに、すこし自信を深める。


東京滞在を終えてあなたの家を出るとき、「次会うころにはちゃんとバツ2になってるさ」とあなたは嘯いて、その笑顔にはもう1年前の悲壮さはなくて、よくないけれどよかったな、と思った。よくないけれどよかった。1年。感情を変えるには十分な歳月。ひとを変えるには不十分な歳月。

時はたしかに流れているから、わたしのこの傷も、これから降り積もる数限りない擦過傷にいつか紛れてゆくのだろう。

***

話さないつもりだったのに、やっぱりあなたには知ってほしかったというのが本音かもしれない。8か月前同じ道すがら泣きながらあなたへの恋文を書いた記憶をなぞりつつ、この街へ帰ってくる道中、わたしの愚かさを吐露するように自省録を書いていた。あなたに抱かれて眠った夜、なにも言えないまま、わたしの悲鳴に早く気づいてと心の中で叫んでいた。だってわたしはあなたの前でしか泣けないのだ。泣いているわたしに気づいたら泣き止ませてくれる、なんて思ってしまうから、わたしはあなたに期待しすぎだ。

自省録のリリースから8時間が経過した深夜2時半、あなたはちゃんと電話をかけてきて、「あの夜やっぱり、なにかおかしいと思ってたよ。同情も軽蔑もせずにただ聞き流してやるから、話せばよかったのに。それで少しでもお前の心が軽くなるなら、話せばよかったのに」などと、ちゃんとわたしがほしい言葉をくれるから、もうそれだけでいいと思った。あなたの言葉はときどき酷くわたしを刺すけれど、ときどきどうしようもなくわたしを救う。この生傷はまだ痛みすぎるから、あなたの柔らかな舌でさえもきっと受けつけないと思っていたけれど、責めも咎めもしない低い声がただ「お前はクソ女だけど、それでも好きだよ」と語りつづけるのを聞きながら、ようやく泣けた。


分かりやすく愛してくれる男にクラッとくるのは、己に迷いがあるからだと分かっている。分かってはいる。迷ったときに「飼い殺してくれそうな男」に擦り寄るのは悪い癖だという自覚もある。けれど、ざらざらに擦り切れた情緒に任せて、やっぱりまだ、全部捨ててあなたと、などという世迷言が脳裏を過るあたりわたしもよくよく救いがない。これだけ長く関係性を維持してきたからこそ、余剰の怠惰な時間しか共有できない関係だとは思わない。かつてあなたと数日暮らしてしまったわたしにとって、あなたと生きる時間を想像することは妙にリアルだ。

お互いの生傷に触れすぎたわたしたちは、お互いがどうされたら気持ちいいかも、なにに拒絶反応を示すかも、もう知り尽くしてしまっていて、だからこんなにもなまぬるく快適で、だからこんなにもそばにいてほしくて、あなたじゃなきゃだめなわけでもないのに、あなたがいいと思ってしまう夜がある。


けれど、だからこそ、あなたのことを、わたしが傷だらけでも醜くても許してくれる男、だと心のどこかで思っている自分がなんだかとてもいやだ。あなたはさすがにもう「わたし」を見ているだろうと思える程度の信頼が育ってしまったからこそ、己の甘えが昔より鼻につく。

「わたしがわたしでもいいと思ってくれるからあなたのことが好き」は、正視すると、ああ、なんて醜悪なのだろう。


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