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家出、1周年記念につき -ベルリンワーホリ振返り-

ジョージア旅行記、#03−16が下書きに眠っているけれど、先日「日本から家出して、1年経ちました」とインスタグラムが教えてくれたので振り返ることにした(下の写真)。長い個人的な日記なのであれだけど、結論を先に書いておくと、日本に帰ります!

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(昨年ストックホルムで見つけたすばらしい曲線)

家出までの経緯

わたしは自分の潜在意識に鈍いらしく、後から観察すると「もうこの頃からこんなこと考えてたのか」みたいな発見が多い。

海外に住みたいなあ、もっといろんな文化のいろんな人と話してみたい、旅をしたいなあ、というのは、おそらく物心ついた頃から思っていた。父の仕事の関係で、アメリカやカナダやニュージーランドの人が家にやってきたり、お風呂では英語・韓国語・中国語で数を数えてから湯船から出る、というようなこともやっていたから当然の流れかもしれない。

「英語が話せたら、もっと広い世界で遊べる」というワクワク感もあったからよく勉強して、確実に留学したかったから大学は外国語学部を選んだ。

そこまで生粋の「海外志向」なのに、「日本で一生過ごしていくつもりの人たち」が作り上げた大きな流れにのって、近場に就職した。

客観的にみて自分が "かなりの" 海外志向だと気がつくのにも、自分と似たような人が世の中にはいるんだということを知るのにも、時間を要した。けれど、何はともあれ見つけ出して、「日本社会のマジョリティと話が合わない」という悲しい言葉を残して家出を決行したのが、2018年10月20日である。

1年間を振り返る

振り返ってみよう、と思い立ち、Googleカレンダーを開いた。昨年からGoogleカレンダーに自分の行動をトラッキングをしているので、事実ベースの日記になっているのだ。仕事の作業時間を見積もるために始めたのだけど、振り返りもしやすいのでおすすめ。

時系列で振り返る。

10−11月は留学先であったヨーテボリに5年ぶりに滞在して、友人に会ったり街をぶらぶらしたりした。が、思ったより仕事もしていた(リモートでWebサイト制作をしていた)。

12月にはベルリンの今の家に引っ越し、フィンランドから素敵なゲストを迎えて新年を祝った。「2019年は新しい場所で頑張る、頑張ったら報われるのだ」という明るい確信があった。

1−3月は主に上記の仕事と、新しく雑誌の制作に関われることになって張り切っていた。と同時に、自分のスキル不足に限界を感じ始めたのもこの頃。もう誤魔化せないぞと。日本からリモートの仕事を受けようと応募してみるも不採用の連続で落ち込む。なぜか2回スペインに行き(しかも同じ都市)、念願のポルトガルにも行った。オンラインで販売しているオリジナルグッズminneで特集にピックアップされ、少し救われる。

3月にはドイツでフリーランス活動する際に必要な税金番号を取得し、年末から単発で受けたグラフィックデザインの案件が楽しすぎたので、プログラマーとしてスキルアップするよりデザインの方へシフトチェンジしたいと考え始めた様子(しかし"単価的にweb系に進むべき"という理由で蓋をした)。

4月、ついにお金がなくなるという段階で、日本食居酒屋でアルバイトを始めた。店長がトルコ人で英語を話さないので、コミュニケーションは主にジェスチャー。「職場に身を運べばお金がもらえる」というシンプルな稼ぎ方に感動。フリーランスより雇われたいと思いはじめ、経営者が半分日本人というベルリンの会社にエンジニア枠で応募。不意打ちの英語面接を経て、トライアル勤務まで進むも、不採用。交渉力やアピール力のなさも課題だと感じた。オンラインで販売しているオリジナルグッズがまたminneで特集にピックアップされる。

5月、日本食居酒屋のアルバイトをクビになる。安定収入が絶たれたことと、可能性の高そうな現地企業にスキル不足で採用されなかったこと、大阪には大量の求人があることから、帰国を決意。が、その直後から芋づる式に日本人と知り合い出す。なぜかとても応援してくれて、スタートアップに繋いでくれる人まで現れ、別のつながりで1件仕事を受注することができ、可能性を感じて帰国取りやめオリジナルグッズminneで特集にピックアップされる。

6月、最後のトライと決めてプログラミングの勉強に投資。熱波がヨーロッパを襲い、生産性がマイナスになる。結果、プログラミングは「初心者に毛が生えた程度」以上にはなれないと悟る。

7月、夏。公園にビール瓶と日光浴の人が溢れ、仲良しの友達もできて楽しくなる。5月に受注した案件と当初からのクライアントの仕事をしつつ、友人の結婚式にスウェーデンへ行ったりする。気候のおかげでノーテンキオリジナルグッズminneで特集にピックアップされ、minneのwebマガジンに掲載される(嬉しくて担当者に感謝のメールを送り、返事が来たのでさらに嬉しくなった)。

8月、自分の中で「髪を切ったら運気が上がる」というジンクスがあるので、バッサリ切る。フィンランドに行き、とても素敵な人たちとおいしい時間を過ごす。父がドイツにやって来て、初めてベルリン以外のドイツの都市へ出向く(ミュンヘン)。大事な友人の結婚式に出席したく、日本へ一時帰国。ほぼ仕事してないオリジナルグッズminneで特集にピックアップされる。

9月、日本で新たに受注したグラフィックデザインの案件を進めつつ、当初からのクライアントの仕事を納品。オリジナルグッズもポツポツ売れ出す。ベルリンで日本雑貨の輸入販売をする人と繋がり、仕事をもらえそうになる。なにがあったのか不明だが「毎日イラストを描いて発表」し始める→Quotesイラスト 

10月、希望と可能性に浮かれて「フリーランスビザを取得して5年住んだら永住権!」というアイデアに至る。飛び込み営業のイラストレーターに出会い、私も…と意気込む。東京のキャリアウーマンとジョージア旅行。旅行中、希望の光であった2クライアントから1週間以上連絡が来ていないことに気づき、万が一ビザ申請をしてもしなくて大丈夫なように滞在を延長。プログラマーではなくグラフィックデザイン&イラストレーターになりたい、と認める。オンラインで販売しているオリジナルグッズminneで特集にピックアップされる(どうやらminneの人と趣味が合うらしい)。

振り返ってみて思ったこと

この1年、だらだら悶々しながら時にアホになる、という印象だったが、意外と仕事もしていた。プログラマー(といってもWebサイト作れる程度のフロントメイン)としてやっていくのは無理そう…と気がついてからの見切りの悪さは苦しいけれど、途切れながらでも好きなことを辞めなかったことは褒めたい

精神的な余裕のなさ(ほぼ経済的な余裕の無さに起因)ゆえの生活態度・生産性の悪さは否定できないけれど、一年前のさらに前のことを考えると、上出来と言える(言う!)。

理想からは程遠い内容にはなった。ドイツ語も話せないし、Web制作で生計を立ててもいない。常に先が見えなくて、どこに向かいたいのかもわからなくて、来月の家賃をどう工面するかに執心して、焦りで息が苦しいことがよくあった。ハゲもできた。笑

毎日、毎時間、状況が変わって、情報が増えて、考えが変わって、たくさんの人に会って、めまぐるしくて、そして全部が一時的で刹那的だった。刺激的でもあったし、ストレスでもあった。

でも、日本にいたらこれらにプラスして「海外に行きたいのに行けてない」というイライラが追加されるのだから、今の方がよっぽどいい、と納得していた

1年前のわたしがどうしようもなく欲していたことは、達成できたと思う。アホらしいけど、それは単純に「海外に住む」だったと思うから。当時はもう少しもっともらしい言葉を並べてたかもしれないけど!

とにかく今は『納得感』が人生で一番くらい大事だと思っているので、「言葉では知っていても体感しないと納得できないから体感しにいく」スタイルでこの1年やってこれて、満足している。

これからについて

一旦、実家に帰る。

1年前から色々変わったけれど、一番良かったのはたぶん、今はどこに住んでてもいいやと、心から思えるようになったこと。(これ、口ではいくらでも言えるけど、心が本当にそうなったことに驚いている)

全て常に変化するとはいえ、なんとなく抱いてる理想の生活像はあまりブレていなくって、それを実現するために「移動する」時期を経て、「手元の作業に集中する」時期にきたように感じる。

1年に及ぶ不安定の極みみたいな生活を経て、今は「手元の作業に集中する」ために「生活コストを最小限にする」必要があるとわかった。ありがたいことに、実家が受け入れて入れるので、家出を終了することにする。

海外に出た同世代の先輩たちも言っているけれど、一回外に出てみると、次に日本に帰った時には、よりお誂えな環境を作りやすい。それを信じて、今度は実家周りでその時点での自分にとって最適な環境をつくることに注力しようと思う。

さいごに

1年前の選択とか、滞在中のこまかな選択ひとつひとつについて、「本当にそれで良かったのかな?」というのは正直でてくる。100%満足なんてことはないし、自分にたいして失望する事柄なんて掃いて捨てるほどある。でもその瞬間に生きていた自分はそれを選んだのだし、その自分も含めて、ハグして受け入れる姿勢でいる。

2年くらい前、精神的にプロの助けが必要になって以来、『自己肯定感』とか『自己受容』とかを意識してセルフケアに取り組むようになった。私の場合は「とにかく環境を変える」こと(=知り合いのいないドイツ・ベルリンに引っ越すこと)がうまく作用したので、見切り発進で完璧じゃないとしても、時には一見衝動的で無計画な行動もあり、かもしれない。

もちろんケースバイケースだし、最低限の下調べや準備は必要だけど、自分の直感に従っていいよと1,2年前の自分には言いたいので、こういうケースもあるということだけシェアしたかった。

ちなみに今後たぶんまた実家の外、日本の外に行くと思うけど、今度は場所本位ではなく内容本位な動きをすると思う。次は、家出ではなく!

創作活動の糧にします!