プロのミュージシャンを諦めた日
ギターのM君と2人で音楽を続けていく事になったのだが、中々、うまくいかなかった。まず、M君が神奈川の橋本に住んでいて、俺は、東京の勝どき。練習は、2週間に1度で、町田のスタジオを利用する事になった。楽曲も0ベースで作った。初めは、熱量も高く、楽曲も5~6曲作って、小さなハコでのライブも3~4回演って(勿論、お客は2~3人。。。)、モチベーション維持していたが、だんだんと音楽への意識が変わり始めていた。
「意地でやってる」
俺の音楽は、誰かに影響を与え、何の役に立っているのか?正直、自分の音楽に何の意味も感じる事が出来なくなってきた。バンドを続けるには、金も時間も意識も生活も全て捧げなければならないと思ってたから、いつしか、活動自体がストレスであり、億劫になっていた。俺は26歳になっていた。
「プロのミュージシャンは諦めよう」
2002年9月23日にM君に「誘っといて申し訳ないが、バンドは解散しよう」と電話で告げた。「わかりました。お役に立てずすいませんでした」
悔しくて、情けなくて、悲しくて、涙が出てきた。今までの人生で結構、本気で力を入れてきたから、なんか、生きがいが無くなって、安易な表現だが、心に穴がぽっかりと開いた感じだった。
諦めたなら、そこからは、新しい人生を始めなければならない。そのためには仕事が必要。仕事を探した。何をやる事になったか。
それはまた、別の話。
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