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おひとりさまの誕生日

私は、明日誕生日を迎える。

誕生日というのは、1年に1日だけ誰でも自分が主人公になれる日だ。年を重ねてくると、誕生日というのも決してめでたくはないのが本音だが、母が命を懸けて私を世に送り出した日であり、その日がめでたくないと言い切ってしまうのも、親不孝な気がする。

誰が何と言おうと、誕生日はめでたい! 仮に誰も祝ってくれなくても、この世に生を受けた奇跡に感謝の気持ちを1人で、ひっそりと確認しながら噛み締めるのもいいだろう。

……いや、綺麗事は置いておく。私は聖人ではないのだ。本音を言えば、誰かに祝われたい。おめでとう!って言ってもらって、ヘラヘラ照れ笑いでもしてみたい。普段、褒めてもらえるような事が出来ない故に、その日に生まれたというだけで、何もしないのに祝ってもらえる1/365のドリームデーは特別だ。次の日からは、夢が覚めて、また翌年の同じ日まで普段通りに戻ってしまう。

こんな時、おひとりさまという残酷な現実に打ちのめされる。

私の年齢なら、もし結婚していれば、子供も既に成人したり、高校生か大学生くらいになる(周りの既婚の同級生参照)  子供がまだ家にいれば、ケーキでも買って来てくれるだろうし、もし、既に自立していても、「お母さん、誕生日おめでとう」ってLINEくらい送ってくれるかもしれない。近くに住んでいるなら、その日はお祝いをする為に、実家に帰って来てくれるかも。旦那となった人も、その日はちゃんと覚えていて、仕事を早く切り上げて、プレゼントでも買って、帰宅するのだろう。だが、それは良い旦那の場合で、事によっては、妻の誕生日など忘れて、何処かで、妻には秘密の良からぬ事をしているかもしれない……。

一度も結婚をした事が無いので、これらは全て妄想である。

心温まるホームドラマも、ドロドロな昼ドラも、どちらも相手あっての事であり、私のようなおひとりさまには関係ない。

別に家族じゃなくて、仲の良い友達と過ごしてもいいけれど、私の友達はご家庭を持っている主婦なので、みんな忙しいのだ。外出1つするのにも、家庭内の調整をしなくてはならない。

それ以前に、誕生日を祝うというのは、普通、主体的ではなく、能動的な事だろう。「私の誕生日を祝って欲しいから、ランチ(ディナー)しよう」なんて図々しい事を自分から言える訳ないじゃないか。私の誕生日を知っている人を誘えば、奢ってくれたり、プレゼントとか気を使わせてしまうし、知らない友達に仮に自分が誕生日だという事を隠して誘ったとしても、「今日誕生日なんだ」なんて言えずに(前記の事を気を使わせるから)終始モヤモヤするだろう。それに、誕生日を知らないような友達とは、そもそも食事に行けるほど親しくない。

だから、誕生日は毎年1人で過ごす。図々しく痛い奴だと思われるくらいなら、ひっそりと寂しく過ごす方がいい。いや、根底の問題だが、私はコミ障なのもあって、友人が少ない。神経質で気難しい面もあるので、本当に気を許した人しか付き合わない。この年になっても人に対して寛容でいられないのは、精神が未熟なんだろう。

こういう大事な日に、当たり前のように共に楽しく過ごしてもらえる人がいるのが、人生の勝ち組だと思う。

誕生日はめでたい。でも、共に祝ってくれる人がいなければ、おひとりさまの虚しさを普通の日よりも感じてしまう辛い日なのが本音だ。めでたい日には楽しい気分に浸りたい。その為にも、きちんとした人脈作りを今後の課題にしていきたい。

こんな堅い事ばかり考えているから、ダメなのかなとも思う誕生日前日。
It's a day before your birthday. Congratulations!

最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。

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