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偶然、運が良い人を、必然的に、増やす。

きっと私はものすごく運がいい。


11月周辺は生きるのが少し怖い。
毎日、健康に関して
恐ろしく過敏になって過ごしている。


私の喘息の症状が1番
出やすいのは11月です。



今のお医者さんに出会う前、
いちど発作を起こしてしまうと
季節が変わるまでそれが止む事は
ありませんでした。

毎日毎日ひどい咳で眠れなくて
夜間救急で運ばれて治療しても
また次の日から息もつけない
悪夢のような発作が始まる。

それが季節が変わるまで続くんです。
永遠に出口の見えない
ように感じる、恐怖。


症状が治らずに
3ヶ月ほど仕事が
出来なくなったこともありました。


咳のしすぎで
肋骨が折れるのは当たり前で
かといって骨が折れても
発作が止む事はなく、


咳のたびに
固定できない折れた骨が
ひどく、痛み、
両手は強い薬の副作用で
震えが止まらない。

毎日、夜が来るのが恐くて
死んでしまった方が
楽なんじゃないかと何度も思いました。



学生に4大公害病のことを教えていて、
四日市ぜんそくについて少し調べました。


この病気は苦しすぎて
自殺する人が後をたたなかったそうです。

現代の空が青いのは、
こういった犠牲者の方々の
努力の上にある
貴重な日常の風景。




今のお医者さんに出会えたのは
本当に偶然で
誰かの紹介でも何でもありませんでした。

風邪で行ったら
たまたま呼吸器科の専門医で、
それから私は季節が変わるまで
苦しみ続ける事はなくなりました。


症状が出てしまうと
酷いときは眠れない日が
1週間ほど続きますが、

もう骨が折れることは
ありません。


症状に合わせて何回も即座に
薬の調合を変え、
良くなったらすぐさま
身体の負担の無いものに
変更して下さいます。

今の大恩ある主治医に出会えたのは
偶然かもしれないけれど、
この偶然に当たる確率を高くしてくれた
名も知らない人たちがたくさんいる。

この先生を育ててくれて、
この先生が使う薬を開発してくれて、
この先生が仕事が続けられるように
応援してくれている人たちのおかげで、
私は今年の11月
発作に苦しめられることなく
生きて来られました。
これがどんなに幸せなことか。


私は銀座駅から徒歩15分のところに
生まれ育ちました。
ここは当時とても空気が悪く、
小学校の同級生の3分の1が
私と同じように喘息患者でした。



幼稚園の頃は外で遊んでいると
よくサイレンが鳴って
部屋に入らなければなりませんでした。



戦争のサイレンじゃありません。



光化学スモッグが
身体に悪影響を与えるために
特にひどい日はサイレンが鳴ったのです。



幼稚園年少で、友達と砂場で
お山を作りながら話していた内容は
「こうかがくすもっぐ」の話でした。


大通りは空気が濁っていて、
排気ガスの匂いで歩くだけで
気持ちが悪くなりました。

当時のバスはもっと今より
質の悪いガソリンを使っていて
バスのタイヤの近くを歩くだけで
吐き気がしました。


今は排ガス規制も厳しくなって
ハイブリッドの車両も増え、
銀座の街の空気も比較的きれいです。




母は石原慎太郎都知事が
排ガス規制を断行してくれたからだと
子供の頃何度も言っていました。

きっとそうやって
空気をきれいにするために
何人もの人が動いてきた結果
私たちは今
このきれいな世界に住めている。



それは偶然かもしれないけれど、
この偶然に当たる確率を高めてくれた
たくさんの人たちの
血もにじむような努力のおかげ。


生活が便利になるように、
後の世代のために
車やバスの開発や道路の舗装などに
尽力してくれた人たちがいて、



そのために図らずも
汚れてしまった空気を
元に戻すために、
大気汚染による病気で
苦しんでいる人の痛みを
減らすために、
日々奮闘してくれた人たちがいる。



私は、この人たちの愛情が
形になったものを日々
何とも思わずに受け取って
過ごすことが多いけれど、


11月は
またそれを過ぎて少し
安心できるようになった最近は
こんなことばかり考えてしまいます。

私が他の人のために
できる事はなんだろう。


偶然、幸せになれる人びとの確率を
増やすためにできる事はなんだろう。


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