文学できる

ストーリーでよく見る
「〜した!よかった!」とかの報告
要りますか?

それを見た人はどうおもえばいいんですか?
と思う最近。

500人くらいいるフォロワーの中で投稿主が楽しんでいることに興味がある人なんて、10人もいないんじゃないか?と思う、
まあ爆モテの人とかは別でしょうけど。


これはきっと私が考えすぎなのかもしれない。
それか、毎日毎日遊んでいるような奴らの投稿を見て病んでいるのかもしれない。

奴らと呼んでいる時点できっと病んでいる、
それに限らず、おもえば物心ついてからずっと病み期かもしれない。(それはそれで大問題)

インスタグラムに載せた瞬間に解消される喜怒哀楽は24時間で写真共に消えてしまう。

せっかくの思い出と喜怒哀楽がかわいそうじゃないかと思います。

「その人生語れば説教、書けば文学」

何年か前の坊ちゃん文学賞のキャッチコピーである。

『花見をした、桜が綺麗!』

そんなの当たり前だ。100人いたら104人は桜を見て綺麗だというだろう。
当たり前すぎることを写真と添えてSNSに投稿する。
投稿主が誰でもいい、その人だけの価値観はそこに存在しないから。

けれど、こうやってnoteにしようとすることで、
「桜綺麗!」なんて月並みな文章だけじゃあまりにも記事が埋まらないし、伝わらないから一生懸命考える。桜がどう綺麗だったかという表現を。

そしてなおかつ記事に残る。

これこそ文学じゃんと思いました。
今まで良かったこととか素敵だと思ったこと、
最悪だ、信じられない、死にたいと思って、
すぐストーリーにしていたけど、
月並みな感想で24時間で消えるなんて勿体無いじゃん、
全部文学してこ、と思いました。
ので、
何回もnoteやめているけどもう一度、週一投稿がんばってみます。

最後の悪あがき。
思えばストーリーは毎日更新しているし文学できる気がしてきました。

文学できるってなに?

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