人々 001

央樹の街にも、桜の季節がやってきた。
寒さに耐えて見事な花を咲かせる桜を見ていると、ひとつの事を思い出す。
ある日、ぼくが仕事から家に戻ると、妻は急に「目を瞑って」と、言い出した。
妻の言う通りに目を瞑ると、ぼくの掌に何かをのせる。そして、話し出す。
「今日はね、このまちは風がとっても強い日だったのよ。それで、坂の上の小学校から飛来したの。玄関を掃除していたら舞い降りて来て」。
ふたりで散歩の途中、小学校の前庭に桜の木を見つけたのを思い出して言った。
「桜の花びらだね」
「そう、目を開けて」
その年の秋、事故で妻が逝ってしまった。
全てを忘れる為、北都へ越して来たはずだった。
けれど、桜が咲くと妻とのやり取りだけは、心の中に息を吹き返す。
妻がそうしてくれたように、桜の花びらを掌にのせて、目を瞑る。
それだけのことをままるで、儀式のように人知れず行う春の午後が幾度も過ぎた。
さくら、さくらと唄っては。

終り

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