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【ある日の日記】なんで絵を描き続けてるのと聞かれた時の答えが急にわかった

2年前に書かれたメモを見つけたので掘り起こしてみる。
文章中にある「今日」とは「2022年8月29日」のことだ。この日何があったかは正直全然覚えてないが、絵を描いてる答えは今でもこの通りなので、載せてみる。


タイトルがいかにも絵描き一本っぽい感じに見えてしまいかねないので最初に断っておくと、私は一日の半分以上を絵に費やすような生き方を毎日してるわけじゃない。絵描きとは言えないかもしれない。正直いまだに自分が絵が描けると人様に言っていいのか自信がなくなる瞬間はある。実績はゼロではないがずっとそれで生きてきたわけではないし、ある時期は絵から離れていたこともあるので、余計に自分が絵を描ける人間と自信持って言い切れない。

だけど何故かいまだに絵を描く習慣がある。いまだに紙があれば絵を描くことがある。
絵で何かを成し遂げているわけではないのに、絵で何かと等価交換することを本業としているわけではないのに、何故いまだに絵を描いてるのか。変なところ損得計算する性格なくせに、なぜ絵を描くということを気づいたらやってるのか。
実はこの疑問は、20代くらいからずっと考えていたのだが、ずっと答えがよくわかってなかった自問自答だった。

今日、久々に自分が好きな版権作品のキャラクターを模写をしてみた。
そのあと、そのままの勢いて自分が昔下書きで放置したものをまたもう一度書き直してみた。その時に突然、先の自問自答の答えに気づいた。

描いてる時の自分の頭、すごくアドレナリン出てるな、と。

自分がどうしても描きたいものがある。描き出したい世界がある。
そこに至るために、論理的に考えて手を動かしたり、直感的に良い悪いを感じながら手を動かしたりすればするほど、自分の頭の中の理想が現実化していく。その快感。その快感がたまらないから絵を描いてる。
より良い絵を描いて誰かに勝ちたいとかそういうのは全くない。というか他人が何を描こうとするかは正直そこまで興味がない。(とはいえ他人のイラストを鑑賞するのが興味がないわけではない。むしろ好きな絵はとことんめちゃくちゃ好き)
ただ、自分の満足するものを描こうとして実際にその理想を現実のものにしていく過程やその時に感じる感覚がたまらなく楽しい。描いてる瞬間、それ以外のものが本当にいらなくなる。
その理想がなかなかうまく描き出せないなら、足りない部分を練習して分析して解析して、そして最後に自分のものにする。その過程もとにかく楽しい。悩むときは暗中模索だけれども、最終的にうまくいって、理想が自分の現実として手に入る、その感覚が、とにかくとにかく気持ち良すぎる!

アドレナリンが出てる状態を具体的に言語化して説明するとそんな感じだ。

美味しいものを食べたときに、幸せ〜!と思わず言ってしまうような。
絶景な露天風呂に入って、幸せ〜!と思わず言ってしまうような。
自分の大好きな人と一緒にいて、幸せ〜!と思わず言いたくなるような。
そういう、人間が生きてる時に感じる、幸せ!と言ってしまいたくなるような時の感覚が、絵を描く際に私は感じている。だから描くのをやめてない。

絵を描くことをやめない理由。
幸せを感じるから。
ただそれだけの話。
あっけないくらい、ただそれだけの話だったのだ。

イラストレーターとして活動している友人が、「絵を描くことは麻薬みたいなものなんだよね」と言ってたことがあるが、その気持ちは正直すごくわかる。
絵を描いてる時は多幸感に包まれてるのだ。しかもこれは、体に毒にならない程度の麻薬なのだ。
人間は幸せを求めがちな生き物だと私は思う。幸せな方向に流れていけるものなら流れて行きたいと思う。
いくら摂取しても体には毒にならなくて、むしろ精神的に幸福を感じることができるような麻薬があったら、そりゃあ手を出し続けるよねえと思いながら、また手が勝手に動いてしまうのだ。



MIO(designer & illustrator)
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読んでいただきありがとうございます。とりあえず温かい目で見守ってくださると嬉しいです。