見出し画像

日々のきろく:名台詞・・・葬送のフリーレン

「あきらめたらここで試合終了ですよ」・・・はもちろんSDの名台詞です。

名台詞かどうかおいといてガンダムは初回放送でみていて、以後は全く視ていない・・・・単にタイミングの問題で以後、働いていて視る暇なかったんですよね。
「親父にもぶたれたことないのに!」は妙に頭に残っている・・・。
台詞でなくて名演説がありました。はい、例の追悼演説です。

最近では葬送のフリーレンは台詞が印象深いです。


葬送のフリーレンより

ヒンメル  「これは強敵だな」
フリーレン 「アイゼン手が震えている・・怖いの。」
アイゼン  「ああ」
フリーレン 「アッサリ認めるんだね」
アイゼン  「怖がることはわるいことではない。この恐怖がオレをここまでつれてきたんだ
このときのアイゼンの台詞にいろいろな場面やいろいろな人の顔が浮かんでしまいました。

その前にいやというほど訓練を積んで、鍛えてきた・・という前提があって、必要なのは「覚悟だけ」という話につながるのですが・・・それでも現実では負けることがあるわけです。
「覚悟」は無謀な勇気ではなく、夢想でもなく、それまで積み上げてきたもので勝負をかけることだと思います。裏付けのない「覚悟」は妄想にすぎません。

私は「負ける勝負」は好きではありません。
肝が細いので(カラダは太いが)。
でも、どうしてもしなくてはいけない場面で勝負に出たことはあります。
追い詰められて、自分しか頼るものがなくて。
その勝負に勝ったのか負けたのか・・・よくわかりませんが、今生き延びているので負けても挽回可能な程度には保てたのでしょう。

「覚悟」をきめて立ち向かった人を思い出すと、みんな少し震えていたように思えてきました。その震えが私にその人「先輩たち」を尊敬させたように思います。


あと
「魔法が好きだからではなく、生きるために選んだのだ」
と言ったフェルンに
「それでも魔法を選んだ」というフリーレンが台詞

仕事を選んだときに、進路を選んだときに「ほどほど」だからそれを選ぶってよくあることだと思うのです。
医師になってからも分岐点はいくつもあって大学卒業間近で国家試験の勉強をしていて
「私、医師になるのかなあ」とつぶやいて友人にあきれられたことがありました。
「医師になる」という強い気持ちの人たちの中でこんな私が医師になるっていいのかなと思ったのです。最終的には「医師」を続けていて、その間にいろいろな選択肢もあって、留学をやめたり、俗に言う出世コースから自ら外れたり、「優生保護指定医」という公的な資格も通常は使わなくても維持するのでしょうが手放したり。当時、あまり注目されなかった食や漢方の勉強を日常診療のなかで勉強に行ったり、産婦人科クリニックで通常に勤務しつつ20年前に婦人科と心療内科を合体させた女性外来を始めたりと・・・そしていまnoteでダイエット記事を書いている・・・。

「本当に医師になるのかなあ」とつぶやいた大学卒業前の私に
「これでいいのだろうか」と首を傾ける昔の自分に
「それでもその道を選んだよね」と今の私が話している姿を想像してしまうのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?