アウトプットは一つの手段、目的ではないことを思い出す
最近note投稿のペースが落ちてきています。
言語化が苦手
1記事仕上げるのに時間がかかる
時間がかかるから億劫になる
日々の気づきや書きたいネタはたくさんあるのだけど。。。
(といった内容の記事、前にも書いていたな?!)
練習なんだし気軽に書けばいい
時間を決めてしまって、自分の中で満足できなくてもとにかく公開
記事を投稿する、発信する、がゴールならそれでいいのだけど
そもそもなんでnoteで記事を書いて発信する、ということをしているのだっけ
と思い返してみる。
「アウトプットの練習」という名目であることは自覚しているけど
なんでアウトプットの練習するんだっけ?
インプットだけでは人生変わらない
どれだけアウトプットするかが重要
本で読んだり、音声配信でそうのようなことを聞くたびに
アウトプットすることで何か変わるなら、やってみよう、そう思う。
現状維持が嫌いで、常に上へ上へと目指したくなる性格。
よりよく変化したい、その気持ちを満たすための手段、一つの実験としてアウトプットをしているのかな。
よくある「手段が目的化してしまう」現象に陥っているのだと気づく。
まずは、自分が楽しみながら発信できる方法を模索して継続していきいたいなと思います。
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