言葉に目覚めたキッカケ

私にとって『言葉』とは自らの思考・感情を表す一つの道具だと思っています。

私は今まで母や母の知り合い、私の友達の母等に育ててもらいました。一般家庭のような両親がいてという経験はあまりしておらず、今でも父親という存在がよく分かっていません。

私の母は、私が幼い頃から「言葉には魂が宿るからね」と
口癖のように言っていました。

社会人二年目くらいまでは、この言葉の意味もちゃんと分かっておらず内心 ハイハイ と軽く流していて
そのせいで知らず知らずに人を傷つけてしまったり
逆に傷ついたり、過去を振り返れば振り返った分だけこのような経験は出てくると思います。

母の口癖の意味をちゃんと理解出来たのはつい最近の話です。

私は社会人二年目の夏に無菌性髄膜炎を発症し
同じ年の冬に体調不良が続き、大学病院で検査をしたところ難病指定されている自己免疫疾患の疑いが浮上しました。まさか自分が治らない病気かもしれないという事実と、この先が真っ暗になってしまった恐怖と、同世代のように過ごせない悔しさと、今思えば絶望に近かったかなと思います😅(笑)

そんなドン底にいた時にたった一人の特別な人と出会い、今まで避けてきた  自分と向き合うということ
を強制的にスタートさせられました🙄
彼がキッカケで色々なことに気付きがあったり、今も日々向き合う毎日ですが『言葉』についても彼がキッカケで考えるようになりました。

私は俗に言う凝り性で、気になったことは
とことん追求せねば気が済まない人種です😺🎶

母の口癖である「言霊」はどういう意味からそう表現されるのか、私なりに理解をしよう!と思ったのが始まりです。

まず、自らの思考や感情を受け止める際に脳内で言語化されます。この言語化されたものを文章で表したものが
『言葉』として表面上に出されると考えました。

つまり『言葉』として出された文章は、その人の見えない内の部分であるということに気が付きました。

自己愛が上手な人が出す『言葉』は例えマイナスな内容だとしても暖かく愛に溢れています。
自己愛が上手くできない人が出す『言葉』はどこか冷たい印象があったり棘があったり時には凶器にもなりかねないです。

この世界に自分という存在は1人しかいないように10人いたら10通りの表現の方法があります。
正解・不正解ではなくとも、『言葉』を見たときに
受け取った側が気持ちいいか・気持ちよくないか
は存在すると思います。

私は自分の生まれ持った能力もあるせいか飛び交う言葉の中でも誰かを否定したり、批判したり、侮辱する言葉は言われてる側・言ってる側 双方の気持ちを受け取ってしまい好きではありません。

先程も書いた通り『言葉』はその人の内の部分の表れであり、心無い言葉しか出てこない人は自己愛が足りず「誰か」に発言してる気でも実際は「自分」に向けている事がほとんどだと思います。

ただこの事を理解出来る人はこの世界にそう多くないのが現状です。実際私もこれを理解していたとしても、心無い言葉を当てられたら悲しくなってしまいます。

この事を理解出来ない人は、ダメージが大き過ぎて耐えることすら難しいかもしれないですし、悲しさのあまり命を絶つ選択を取る可能性もあると思います。

長くなってしまいましたが、「言霊」とは
発言することで引き寄せる という意味だけでなく
自分の内の部分の表れ の意味もあるのかなと私は思いました。だからこそ、自分に向けてなのか誰かに向けてのなのか、自分自身の見極めが必要で『言葉』に表す事が大切なのかなと理解しています。これが全て正しいとは思いませんが私はこの意味も含まれてる気がしています。

だからこそ私は『言葉』を使って『言葉の大切さ』を伝えていかなければいけないと感じています。

『言葉』は誰かを苦しめるためにあるものじゃない
自らの真相を受け止め受け入れること。

『言葉』は誰かに感謝を伝えたり愛を伝えたりするための道具だということを届けたいです。

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