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雷の民俗学的な意味ってなに?

「地震・雷・火事・親父」

恐ろしいものを列挙しているこの言葉、意味は父親は災害の脅威に匹敵するということだが、昔から雷は地震に次ぐ畏怖の対象であったようだ。

昔から雷が人々に恐れられること自体は想像に難くない。
凄まじい音と光に誰でも一度は度肝を抜かれたことがあるだろう。
また、落雷は時に火災を起こし、人命も奪ってしまう災厄である。しかもそれは何も昔の出来事でなく、現代でも落雷事故のニュースが時折報道される。

時代や地域に限られることなく災いをもたらせる身近な存在、それが雷である。

そのため、雷にまつわる伝承や言い伝えは数多く存在する。例えば雷除けの呪文として有名な「クワバラクワバラ」。

なぜクワバラかと言うと、後に雷神となったという菅原道真の領地桑原には落雷がなかったという説、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った説などがある。
他にも青柳智之著「雷の民俗」によると、雷除けの伝承として「雷が鳴ると線香を焚く」「節分の豆を吊るす」「鎌を立てておく」「雷鳥の絵図を飾る」などがあるようだ。

ここで一つ疑問に思うのが、雷とは畏怖の対象としてしか見られてこなかったのかという点である。
雷が鳴るとき、同時に雨の降ることが多い。雨は作物の生育に潤いを与え、実りをもたらす。そして、このような存在は農耕を営む人々にとってはありがたく雷神として祀られる。例えば、群馬県富岡市には雷電神社があり、雨乞い、厄除けを願う神として雷神を祀っている。

稲作文化の日本において、雷は単なる畏怖の対象としてだけでなく、恵みをもたらす存在であることが見えてくる。言い換えると、雷は災厄性と恵与性、この2つの性質を併せ持っているということが言えるようだ。


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