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昔ばなしの時限性

イントロダクション

前回、昔ばなしの始まりの言葉「発端句」について、少しお話させていただきました。
この回から一読された方もいらっしゃると思うので、簡単に発端句とはなにか?を説明しますと、一言にいえば、周知の事実ではありますが、「むかしむかしあるところに」が、発端句となります。

「発端句なんて仰々しい書き方をしやがって。なんてことはない「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました」のことかよ。」
そうおっしゃられたら、僕はぐうの音も出ません(グゥ~

ですが、この発端句。詳しく調査をしていくと、異なる言い回しや「これは、単なる日常会話では?」と思ってしまうようなものもあることを、実際に、例題を上げて紹介させていただきました。
そして、この発端句があることによって、その物語に悠久の「時限性」が生まれる。ということを前回に解説させていただきました。今回はこの時限性が、あるものによってグラデーションを帯びる。ということを紹介したい。

時間軸のフラグ

この発端句。じつは相方がいることをご存じだろうか?
手紙を書く際、「頭語」と呼ばれるものがよく使われる。聞きなじみのある言葉で言えば「拝啓」がそれにあたるのだが、拝啓と言われたら、反射的に浮かんでくる言葉があると思う。そう「敬具」である。
日本には手紙を書くとき「頭語」で始まり「結語」で終わるというルールが存在する。
なぜそのようなルールが生まれたのか?ということは、僕の専門外なのでここでは触れないが、じつは、昔ばなしの中にも、この「結語」にあたるものが存在する。それは「結末句」と呼ばれるものである。

前回と同様に柳田國男 著「日本昔話名彙(にほんむかしばなしめいい)」から、結末句を取り出して見たいと思う。例えばこんなものがある

・ちょうどほんの昔の事。それで欲はせんもんじゃ。
・それが、誠に斯うから一昔。

先のものは兵庫県にて収集されたものである。
おそらく「こぶとり爺さん」のような、片方は富を得たが、もう片方は災いを得た話の結末句だと想像される。
後のものは鹿児島県で語られていた「猿蟹合戦」の結末句と記されている。
猿が懲らしめられたという事実が「本当に一昔前、こんなことがあったんだ。」と断言している内容となっている。

前者のものは、一言で言ってしまえば「戒め話」の「念押し」という立ち位置であろう。「〇〇はしてはいけないよ。」「〇〇をするとこういう目にあうぞ。」という念押しである。
後者のものは、さも作り話のように思ったかもしれないが「これは本当にあったことなんだ。」と強調していることになる。

では、発端句と合わせるとどうなるか見てみよう。

「むかしむかしあるところに…(中略)…ちょうどほんの昔の事。それで欲はせんもんじゃ。」

これを日常会話っぽく書き換えるとこういう形になる。

「むかし、こんなことがあってね。(中略) ほんと、ちょっと前のことなんだよ。だから欲は出さないほうがいいってことさ。」

と、いうような風になるだろうか。では後者も同様に見てみよう。

「むかしむかしあるところに…(中略)…それが、誠に斯うから一昔。」

となる。日常会話っぽく同様に書き換えてみるとこのようになる。

「むかし、こんなことがあってね。(中略)…これが、昔、本当にあったことなんだよ。」

という具合である。前回触れたように「むかしむかし」の時限性の度合いは聴き手に任されている。近い過去なのか、遠い過去なのか、想像を超える過去なのかは聴き手次第である。しかし、結末句がつくことによって、この散逸的な時限性は、ある一定の位置に収束をしはじめる。
「おまえは何を言っているんだ?」と思うかもしれないが、ここまで読んでいただけたのだから、もうすこしだけ、僕の話にお付き合いしていただけないだろうか。

時限性のグラデーション

それでは、先のものから考えていこう

「むかし、こんなことがあってね。(中略) ほんと、ちょっと前のことなんだよ。 だから欲は出さないほうがいいってことさ。」

中略の部分は、高校物理の問題文でよく目にする「ただし、摩擦係数は0とする。」と同様、一旦無視していきたい。

この文章、物語としての過去性は、それほど遠い過去ではないと感じられないだろうか?どういうことか?無視していた中略の部分には、さきほど「こぶとり爺さん」を置いていたが、この部分、日常的な事柄に置き換えても、文章構造的に成立しないだろうか?例えばこうだ

「むかし、こんなことがあってね。携帯の料金が1000円くらい安くなるっていうから乗り換えたんだけど、実はそれ「SMS」が使えなかったんだ。いま、決済サービスする際に二段階認証でSMSで認証番号送ってくるやつあるじゃない?すっごい不便で、結局SMS使える契約に戻したんだけど、違約金とか再契約の初期手数料とかかかっちゃってさ。ほんと、最近やらかしたんだよね。欲は出さないほうがいいってことさ」

「格安Simの失敗談」的な話だが、過程はどうあれ、こぶとり爺さんと同様に、欲を出したために失敗した。欲は出さないほうがいい。という話である。では、この場合の「むかしむかし」はどれくらい昔のことだろうか。
少なくとも「むかしむかし」と言っているので、昨日今日の話ではないことはわかるだろう。それでは、10年も20年も前の話かといわれたら、ちょっと古すぎると感じるのではないだろうか?(そもそも格安Simは2013年ごろから本格化されたので20年前と感じることはないとおもう)
なので、少なくとも2~3年前。経っていても5~6年前の話だろうか?と予想して聞き始めることだろう。ところが、「ほんと、最近」と言われ話が終了する。「5~6年前」のことだと思っていた人は「おぉぉ…わりと新しい話か」となるかとおもう。

では「こぶとり爺さん」の場合も考えてみよう。この物語の中には「鬼」というものが出てくる。現代社会において、鬼を観測することはできない。では、現代からどれくらい過去に遡れば「鬼」がでてくるだろうか?
空前の大ヒットを遂げた、鬼を退治するマンガがある。あの物語の時代設定は「大正」とされているため、西暦でいうと1900年代初頭のこととなる。すると「こぶとり爺さん」に出てくる鬼は、某マンガの鬼だと仮定した場合「たしか鬼って、大正時代くらいまではいたよな。ってことは、100年くらい前の話かな?」ということで、この場合の「むかしむかし」は100年ほど前となる。
一方「鬼といったら陰陽師。安倍晴明だよな。」と思う方もいるだろう。安倍晴明は10世紀頃の人物なので、この場合の「むかしむかし」は1000年近く前ということになる。
つまりこれが、聴き手ごとに異なる、昔話における「むかしむかし」の悠久の時限性というものである。

「本当に、おまえはいったい何を言ってるんだ?」と思うだろうが、もう少しだけお付き合い願いたい。つまり、

「むかしむかしあるところに…(中略)…ちょうどほんの昔の事。それで欲はせんもんじゃ。」

という、発端句と結末句で始まって終わる物語の「時限性に関する内部構造」はどうなっているかというと、

・「むかしむかしあるところに」という発端句を聞き、聞き手は自分の持っている「むかしむかし」の時間軸のなかにフラグを立て物語を聞き始める。
・物語中に年代を特定できるようなものがあれば、そのフラグは自分が事前に立てた位置を修正する。
・「ちょうどほんの昔の事。それで欲はせんもんじゃ。」という結末句を告げられる。
・現在立てられている位置よりも、いくらか現在寄りに最終修正される

このようなことが、無意識下に頭の中で処理されているのである。
つまり、この場合の「ちょうどほんの昔の事。それで欲はせんもんじゃ。」という結末句の役割はなにかというと

「とある物語のなかで起きた事柄は、そう遠い過去に起きたものではなく、いまでもよくある話だから、気をつけろ。

ということになる。なので語り手は聞き手に対し「あとにもさきにも、こういう失敗をする人はいたんだ。だからあなた達も気をつけなさい」ということを物語を通して伝えているのである。
「そんなこと説明されなくても、最初からわかってるよ!」と、お叱りを受けるだろうが、感覚的なものではなく、論理的に起きている事象を説明しようとするとこうなってしまう。そして、「昔ばなしのこの表現というのは一体どうなっているんだろうか?」と、こういうことを日々考えているのが、僕なのである。

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