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平凡な大学生だった私が働き始めて思うこと。

大学を卒業して、4月は日雇いのバイトをして、5月からフリーター。

響きだけで見ても結構やばそう。文字にしたらなお現実味を帯びている。

そんな中で、学生だった頃の私とフリーターだった私。月日が経つのは一瞬で、まだ学生気分のところも正直あるけど、確実に変化した(失ったのか、得たのか)部分はある。タイトルにしたはいいが、結構壮大すぎて、言葉にしきれないかもしれないけど、やってみようと思う。

「仕事」って、「仕事」なんだ

就活をしていた頃イメージしていた「仕事」と、今の「仕事」のイメージは正直全然違う。
どこまでも求められるし、妥協した瞬間に、それが本当に妥協になっちゃう。
小学校で教わった「あいさつ」「はやねはやおき」「おもいやり」「げんきよく」とかが、本当に必要。
そういうことって、中学生や高校生、大学生では無視しても生きていける。なんなら、「先生に目を見て挨拶しよう」「関わる人に笑顔で元気よく接しよう」「きちんと頭を下げて謝ろう。」なんて思ったことは1度もない。なんとなく、雰囲気で過ごしてきた。学生時代はそれが許されていた感覚から、社会ではそういう1つの小さいことで印象が創られていた。
特に、今みたいな働きはじめに、スキルなんて、そこまで求められていない。「あなたにしかできないこと」なんて最初から求められていない。
それよりも、ちゃんと目を見て挨拶をして、プライベートがどうであろうと、仕事の時は心地よくいること、相手を思いやること、時間を守ること、報告・連絡・相談をすること。こういう基本すぎて、学生なら、そんなことできるわ。って思っちゃうようなことの質を問われている。そして、それを100点でやることが結構難しかったりする。

あんなに好奇心を向けてきた世界にも、没頭するのが難しい。思考する時間が、努力しないと生み出せない。言い訳にしている瞬間に、何かに置いていかれる。いかに頭を使って、何かを生み出す力や知識をつけるか。これに尽きるんだろうな。

まだまだそれができてない。

一方で、大学の頃感じていた、モラトリアムで、世界がどこか自分より遠いところにあって、自分の中だけで生きていて、だからこそ生まれる詩的なものは、結構生み出しにくい。

これが社会か....

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