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クズな自分を取り繕うのに疲れた話

気が付いた。

わたしは、クズな自分をめっちゃ頑張って取り繕ってる。

綺麗に見えるように、取り繕って生きてきた。

だから、しんどい。
生きてることが楽しいと、自分に言い聞かせてることが、しんどい。

ほんまは、朝目覚めた時に、まだ生きてるわ…とか思うこともあるのに。うつかよ。

泥臭くないとね、綺麗事ではやっていけないから、なんてことをカッコつけて言いながら、自分を覆い隠すのに必死なんだ、たぶん。
本当はきれいじゃない、本当の自分のお腹の底の方にいる、卑劣で、ずるくて、意地悪で、自分勝手な、どうしようもなく寂しい自分を認めてあげないだけ。


人にいい顔をするのは、昔から得意。
笑顔でいるのも、愛想笑いも、無理なくできてしまうというか、むしろもう、反射反応レベル。
でもそれって、たぶん、嫌われるのが怖いから。
目の前にいる人の「あれ?」っていう気持ち、「あーね、そうゆうやつね」って離れていかれる感覚が、肌で感じられるくらい分かるから。
そして、そんなふうに離れていってしまうことが、やっぱりどうしても、怖くて寂しくて、受け入れられないから。
別に、100人話しかけて、1人だけガチで話せる人おったらいいやんって、思ってるつもりやったけど、「その1人が忙しい時、わたしは一人ぼっちでどうするの?」って泣きそうな声で震えてるお腹の底の自分がいる。

自分のこと、好きじゃないんかな。
信じれんのかな。


他人の前では、多様性と自由と周囲の弱さを許容している、フリができる。

子どもたちが机に落書きしていたら、まぁまぁ、子どもはこのくらい大胆じゃないとねって笑えるし、
共有の場所が汚れていたら、パパッと掃除してみたり、
誰かの失敗は「成功のもと!」と言ってフォローできる。

でもこれが、身内となると当然違ってくる。
賃貸なのに、壁汚したらどうすればいいわけ?ってなるわりに、
シンクが多少汚れててもそこまで気にならない。
自分が食べ終わった食器は置いてるわりに、家族の脱ぎっぱなしにはカチンとくる、みたいな。

そして、夫婦という他人との生活は、またさらに複雑。
洗濯物のたたみ方。沸かしたお茶の濃さ。食器の重ね方。ゴミ袋の詰め込み具合。
細か過ぎて、ほんまにキリがない。ほんっまに、ややこしい。
「いやいやそれはないよ」って本音が出ることもある、でも、やっぱりこれはわたしのやり方なんだから、押し付けるべきじゃないかって我慢する。
我慢してるってことは、ぜんぜん許容できてないわけで。

野菜切ったら、廃棄するとこ多過ぎやろ!ってツッコんで、裏返しのまま畳まれた洗濯物が許せなくて、どうやったらこうなる?って思うくらい水浸しの洗面台の床に呆れて…
冷静に振り返ったら、本当にしょうもないことばっかり。(暴露してごめんね、旦那ちゃん…)

マジで自分、外ヅラだけ良くて、器ちっさ!ミジンコか!
でも、思ってるのも、感じてるのも、我慢してるのも、正真正銘の事実。

こんなにちっちゃい自分を、まずは知れた。
弱くて、めんどくさくて、ぜんぜん許容できてない自分。
ほんまは、心の底から、床に油を撒き散らそうが、買ったばっかりの服にケチャップつけようが、そんなこともあるよね〜なはは…って笑いたい。
次はいいことあるよね、絶対って感じで。まるちゃんみたいに。

笑える瞬間もあるんだけどな〜。
いつもってわけにいかない、これが。

ちっちゃいどうしようもない自分でもいっかーって、いつか思えるようになるかなぁ。
もう、取り繕うのは疲れた。

そう言ってもやはり、こびりついた癖はなかなか剥がれないで、明日からもまたやってしまうのだろうけど。
それでも、このわたし、クズ、じゃなくて、頑張ってるちっぽけな自分を、応援できる瞬間が増えたらいいな〜。

誰か、いい方法教えて〜〜〜笑

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