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SS「蔵書家の皮肉」

 彼は蔵書家であった。彼が蒐集の対象とするのは主として文学作品であったが、それは彼の生来の文学青年的気質によるものであった。すなわち、彼は既存の道徳に盲従せず、社会の趨勢に対しては常に批判的視座に立ち、少数者に対しては共感と当事者意識を有していたのだった。「道」というものを理解せず、その脇の森を横切るギリアーク人に彼は共感していた。小市民的生活をよしとせず、結婚もせず、家も持たず、木造アパートの六畳の借間で本の山に埋もれて気ままな生活をしていた。

 年を重ねるにつれて、彼の蒐集家気質は輪をかけて増大していった。毎日のように古本屋に通い、初版本とみれば内容も値札も見ずに購入し、彼の部屋にうずたかく積まれた本の山はますます高くなる一方であった。彼はその光景に恍惚とし、自身の所有物を決して手放したくないと強く願った。

 ある時隣家が火災に見舞われた。幸い被害はその一軒に収まったが、彼はいたく恐怖した。自らの死に対してではなく、本が焼失することに対してである。彼はコンクリート造の家屋を購入する決断を下した。

 郊外の住宅地に一軒家を買うと、彼はさっそく書斎づくりに没頭し、高価な木材で拵えた揃いの本棚を並べ、嬉々として蔵書を並べていった。そして、書斎にお誂え向きな安楽椅子を設え、チークの机を置き、これ以上ないと思えるほどの厳かでシックな装丁を部屋に施したいと考えた。そのために平日は朝から晩まで資産家であった親の莫大な遺産を元手に株の取引きをして金を貯え、休日にはパナマの葉巻を燻らせながら、ヘネシー・リシャールを片手に読書をするのが彼の新しい日課となった。

 書斎づくりが落ち着くと、彼は日がなインターネットで貴重な初版本や絶版本を買い漁るようになった。注文した品が手元に届くと、彼はそれを読もうともせず、手袋をはめて本棚に収めた。彼の書斎は飾り棚のようになって、そうした本で彩られていった。

 新たな生活が板についてくると、彼は家事をするのも、あまつさえ食事をするのも厭わしくなって、家政婦を雇うようになった。この家政婦は、これは彼の趣味だったのだが、若く可憐で、たいそうよく働いた。彼はとうとう彼女に惚れ込んで、結婚を申し入れた。果たして彼は妻を娶り、今まで通り家事はすべて彼女に任せて、自分は本の蒐集に専心し、稀にではあったが同衾もして、息子を二人設けた。

 子どもが産まれ成長していくにつれ、彼は自分の息子に尊大な態度で接し、強権的に振る舞うようになった。そして、二言目にはこう言うようになった。
 「規則正しい生活をして、よく勉強をし、きちんとしたところで働き、所帯をもって孫の顔を見せる。こういうまともな大人にならなきゃいかん。」

おわり

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