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SS「偏りフォビア」

 時は20XX年、兼ねてより世間に蔓延していた、「偏り」を恐れる傾向であるところのいわゆる「偏りフォビア」が病気として認定された。この病気は「バイアスフォビア」と名付けられ、何らかの「偏り」を有する者に対する過度な攻撃性をその特徴としてもつ。特に2010年代後半に生まれた者たちを境に目立った症例が確認されるようになり、患者数は年々増え続けていた。


「バイアスフォビア」を発症するのは主に10代の若者である。彼らは学校という狭小空間の中で他者に爪弾きにされることを恐れ、穏やかな日常を過ごすためにひたすら中庸を目指そうとする。その過程で、何らかの「偏った」ものを忌避し、悪ければ攻撃する。そして、1度発症したが最後、この病気から恢復するものは少ないとされている。なぜなら、この病に罹患した者は、その結果として人格形成期である10代を安穏に暮らすという成功体験を得るからだ。


 さて、この病が発生した当初、その症状は極右や極左的なもの、つまりは政治的に偏向しているものに対する一種のアレルギー反応に留まっていたが、状況は年々悪化し、ついには「偏っているものなら何でも」嫌悪や攻撃の対象になった。たとえば彼らにとって偏食は「偏っている」から危険である。小学校でも中学校でも、給食を残す人間を見つけようものなら、バイアスフォビア患者たちはその人間を一斉に攻撃し始める。学級会でつるし上げの対象にし、なぜブロッコリーを残しただとか、なぜ牛乳を飲まないだとか、なぜ肉を食わないのかなどと徹底した糾弾を続け、自己批判させるのだ。むろん教師もこの運動に加担する。なぜなら今やほとんどの教員が「バイアスフォビア」発生以降に教職を得た人間だからだ。


 バイアスフォビア患者が増えるにつれて、彼らは教室や会社やその他不特定多数の人間が集まる場所をすっかり「平定」してしまった。次なる攻撃目標は斜面である。ビー玉を載せたら転がりだしてしまうような斜面は、傾いている、もとい「偏っている」から、相応しくない。この時点で患者たちは既に偏りと傾きを区別できていないのだが、ともかくそういった経緯で、工業製品でもなんでも「偏り」はすべて正さなければならないという強迫観念が人びとを覆った。どの家の屋根も真っ平になった。車のデザインは曲線美を主体としたものから直線のみに代わり、新幹線やロマンスカーは廃止された。リクライニングシートやマッサージチェアは「偏って」しまうから撤去され、代わりに背もたれと座面が直角になるように構成された椅子がどの家具屋にも出回るようになった。とりわけシーソーは偏りの象徴としてバイアスフォビア患者たちの憎しみをかい、行政が撤去処分を下す前にそのほとんどが破壊されていたという。


 芸術品や建築物も例によって攻撃の対象になった。東京駅は「赤い」という理由だけで一部の過激派市民団体(自称中道右派)によって爆弾テロの目標となったし、太陽の塔は「左右非対称である」という理由だけで同じく過激派市民団体(自称中道左派)によって破壊された。またイタリアに渡ってピサの斜塔を倒壊させようという動きもあったという。


 事ここに至って、ようやくこの神経症的な病の存在が知れ渡ることになった。ところが、こうした症状をある種のパラノイアだとして研究論文を発表したさる大学の教授が、論文の発表翌日に殺害される。この論文には共同執筆者が十数名いたのだが、一週間と経たぬうちに彼らはすべからく謎の死を遂げることになる。マスコミはこのことを雁首揃えて報じたが、間もなくその論調は下火になり、数日後には各メディアから完全に黙殺されることになる。この背景には、バイアスフォビア患者で構成された「偏りから我々を守る党」なる政治団体の影があったことが今では明らかになっている。この団体は「偏りを嫌悪する人間を病人扱いするのは差別と同義であり、それすなわち極端な思想であるから我々人類の生存にとって危険であり排除しなければならない」という、十把一絡げの極左暴力集団も真っ青な偏りっぷりを晒した主張を掲げて自らの行為を正当化したのだが、いかんせん彼らに肩入れする人間の数が多く、もはやその暴走を止めることは出来なくなっていた。


 人工物から偏りを無くしてしまったバイアスフォビア患者は、その矛先を自然物にさえ向け始めた。一般に、「神は直線を作らない」と言われる。それゆえ地面でも何でも、自然に出来上がったものと言うのは往々にして傾いている、もとい「偏っている」ものだ。バイアスフォビア患者たちにはそのことが我慢ならない。業を煮やした彼らは、「全国平定」と称してすべての曲線をまっすぐにし始める。ありとあらゆる山を均し、谷を埋め、日本全土を平にした。その結果、日本はあたかもマインクラフトのような世界になってしまった。

 今までバイアスフォビアの症候が無かった者たちも、圧倒的多数派にみえる彼らに忖度しなければ自分の生存が危ないとパニックを起こし始め、バイアスフォビアはさながら集団ヒステリーのごとく、急速な勢いで人びとに膾炙していった。すでにインターネット上のニュースサイトやSNSを含む主要メディアのトップはすべてバイアスフォビア患者に占められていたから、彼らの提供する情報が模範的市民のバイブルであるかのように扱われ、「偏りがある」とされて迫害を受けたくない大衆は、こうしたメディアの情報に殊更縋るようになった。特にTVは「今日の偏り」というお題目でどのような「偏り」が「道徳的に」許されないことなのかを延々と放送し続けていたから、主要TV局の視聴率が90%を下回ることはなくなっていた。

 この期に及んでは、もはや彼らがすでに相当「偏った」正義を謳っていることをすら誰も指摘することが出来なくなった。かように「偏った」(彼らの定義からすれば「中庸な」)価値観は、今や彼らのアイデンティティの基盤になっていたからだ。彼らの偏向性を批判する者は人民の敵として即テロリスト扱いされ、住所を特定され、バイアスフォビア患者からなる市民たちの自警団によって粛清の対象となった。


 バイアスフォビア患者による圧政は意外な形で終わりを告げる。そのきっかけとなったのは、今も一大電波ジャック事件として名高い「阿久津・ベッドルーム事件」である。ラブホテルじみた薄暗い部屋の中、ガイ・フォークスの仮面を被り、阿久津某と名乗ったその男は、TV視聴者が最も多くなるゴールデンタイムを狙って各局の放送を2分間にわたりジャックした。彼はおもむろに全裸になり、人間の体は誰でも実は非対称であるという生理学的に自明の事実を、自分の身体を使って詳らかに開陳してみせたのである。


 これを見たバイアスフォビア患者たちは大混乱に陥った。「偏り」を嫌悪してきた自分たちの身体そのものがそもそも「偏って」いる、よくよく考えてみれば、頭は丸いし、心臓は左側に一つしかない。発狂した人びとはこぞって自傷行為を始め、当時TVを見ていた人間の実に90%が死に至った。中には119番して心臓を右側にもつけてくれと懇願の電話をする患者もいたという。


 この事態を引き起こした張本人である阿久津某は、バイアスフォビア患者のせいで社会から排斥された人間の一人だった。彼はその反動として政治的に著しい偏りをみせ、反体制的な秘密結社である「炭火焼き党」を結成した。同様に社会から弾き出された他の者たちも、党派の違いこそあれそれぞれに「偏った」思想を抱いており、「報復実現党」、「肉食は殺人の会」、「ムラムラ時計」、「反NTR武装戦線」といった団体が頭角を現していた。彼らはバイアスフォビアによる専制を打破すべく互いに共同戦線を張り、テロ計画を実行したのだった。


 しかし、バイアスフォビア患者を一掃した後では、このような狭量な集団同士が協調できるはずもなく、ヘゲモニー闘争に終始した結果ほとんどの団体が構成員を失い、消滅した。辛うじて残った「炭火焼き党」は、密閉した室内で炭火焼き鳥をやるという暴挙に出て一酸化炭素中毒で全滅した。かくして日本は無政府状態になり滅亡した。

おわり。


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