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実はみな自分のことが分からない

そう思ったら気が楽にならないか。
他人のアラはよく見えるのに、自分をなかなか俯瞰できない。
自分が分からないから、自分なのかもしれない。


プロダクト品に商品の取扱説明書があるように

自分にも取扱説明書を作ってみないか。

私自身手帳にアレコレと書き続けているのは、ぶっちゃけ自分取説なのだ。
こんなことあって、モヤモヤした→ 
あー、こういうことにモヤるのねって自分を理解する。
そして受け止める→自己受容。
その循環を回していくために手帳に書き留めている。

「自分の取扱説明書」とググると、いろいろ出てくる。
そのフレームをPDFでダウンロードができるサイトまである。
巷では、こんな風に自分を知ろうっていう試みをしている人たちがいるのだな。

私が思う取説

Amazonとかで販売している手帳にもあるのだけど、
何年計画とか、なんとかビジョンとか、
どんな社会貢献したいとか未来の自分とか、そういうのいいんだけど、
「書いて満足、ちょっと実現してラッキーなのはもういいんです。お腹いっぱいなんです。」って感じだ。

もっと内側から自分を見つめた俯瞰したことは、フレームには落とし込めない。だって人それぞれだから。
そのフレームは自分で作ること。
どこそこのサイトに落ちているものではない。
そう、他人のフレームばかり頼っているのがまずいかん。ダメっす。
自分軸なんだ。ここにこそ「自分軸」なのだ。
そしてそれは自分の内側から線引きするフレーム。

私は地道に自分取説が出来上がってきている。
ただ少しエッセンスが必要だなって思っている。
そのエッセンスは、他人の知恵・力を借りるということ。
「おいお前、さっき他人のフレームを使っているんじゃねーよって、言っていたよ」なんて思わないでね。
基本は自分が設計すること、
そして中身は私自身という事なのだけど、
他人の知恵や力に頼る余白を残していくこと、
いつでも書き換えられるということ、
なのだ。



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