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それでも忘れてしまうこと

このところ自転車の後輪のタイヤが劣化してパンク寸前だったり、愛車のブレーキランプが切れたりと修理が重なった。こういう時は何かの予兆だったりする。
修理した翌日、祖母が亡くなったと弟から連絡があった。

これまで父方の祖父、母方の祖父の旅立ちに花を添えてきたが、母方の祖母も旅立つことになった。最初でこそ悲しい思いに包まれていたが、今となっては痛みを伴わずに旅立ったであろう祖母に不思議と安堵する。老衰という自然で一番綺麗な息の引き取り方は願っても叶うわけではない。勤勉で誠実な彼女だったからこそだと思っている。

葬儀の後、綺麗に化粧をした彼女の眠る棺に花を添えた。肌に触れると陶器のように冷たく、あたたかさを僅かに期待していたがゆえに、死を実感せざるを得なかった。声を上げて泣く母を前に、私も自然と涙した。信頼している家族だからこそできる感情の衝突、それが当たり前の生活だったのに、もう祖母へは一方的に悲しみの情を送ることしかできない。永遠に返事がないという事実に、ただただ彼女の顔を見つめるしかなかった。

音楽が好きだったということも、歌が好きだったということも、演奏会に母を連れて行くほど好きな音楽家がいたことも、祖母がいなくなってから知った。もっと早く知りたかったと思うことは数多くある。いつも取りこぼさないように気をかけていても、知らず知らずの内に人は忘れていく。大事なことも、そうでないことも。だから私は10年くらい前から何かあった時には、ノートや日記に残すようにした。読み返すことはあまりないけれど、忘れた頃にまた思い返すことができるだろうから。

音楽も時間芸術という面では、どんなに短い曲でも過ぎ去れば忘れられてしまうもの。何度も何度も聴くことで刻み込まれてゆく。何度も聴いてもらえるような曲を作らなければ、いずれ忘れ去られてしまう。私の音楽を好んでくれている方々が何度も聴いてくれるように、これからも生命力のある曲を作っていけるよう精進します。

思うことと言えば、今年の夏頃。DTMに慣れてきたところであり、依頼等もピークだったので、それに比べると落ち着いてきただけかもしれないのだが、正直そのままのペースでできていたら、波に乗れたであろうチャンスは転がっていたかもしれないなあとは思う。何事も最初の勢いは大事で、それを継続できてこそ次のチャンスも見つけられる。
とはいえ、自身にとって大事な人や考え方を失わずに、寧ろもっと親密になれた出来事もあったので、多分これでよかったのだと思う。私にはまだまだ足りないものの方が多いなと感じるので、今は今のペースで自身が納得できるものを作っていこうと思っている。

今年も残り少なくなってきましたが、皆様風邪など引かぬようご自愛ください。


tohma

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