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クーデターと少数民族武装組織

クーデター後の少数民族武装組織の反応についてみていきます。

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少数民族とは?

ミャンマーにはたくさんの少数民族が暮らしています。金属の輪を重ねて首を長くするカヤンや海上で暮らすモーケン族などはよく知られています。それ以外にも全身に入れ墨を入れる族や年に一度しかシャワを浴びない族もあります。標準語のビルマ語が使えない人も珍しくないです。

少数民族は大きく分けて、 カチン、カヤ-、カレン、チン、モン、シャン、 ラカインの7民族があり、それらがさらに134の民族に細分化されます。ミャンマーは14州・管区に分かれています。7州は少数民族、残り7管区はビルマ族の地域のようになっています。これは1962年にクーデターを起したネイウイン将軍がビルマ族の地域を広げさせるための策略の一つです。

ビルマとミャンマー?

ミャンマーの国名がビルマからミャンマーへ変わったのは1989年です。1988年に起きた大規模デモの翌年にどさくさに紛れて国軍が一方的に変更しました。イギリス、オーストラリア、カナダなどはビルマと呼び続けています。アメリカ1990年に選挙で圧勝しているのに関わらず権限を剥奪された政党(NLD党)への支持としてビルマと呼び続けていま。

ビルマはビルマ族を表すので少数民族を代表しないとして独立依頼改名を検討していきました。しかしミャンマーもバガン王朝時代のビルマ族が暮らす国名として使われていたため、ミャンマーへ改名していもなお少数民族の要求は満たせていないのです。後にミャンマー連邦共和国へ変更しています。

東西南北

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写真の出典:https://www.fnn.jp/articles/-/181290?display=full

ミャンマーは最大人口のビルマ族の地域があり、それを囲った形で少数民族の地域があります。地図を見れば一目瞭然ですが、ビルマ族は東西南北から少数民族に囲われいています。クーデター以前は少数民族の武装組織とNLD政権、国軍と3者の間で全国停戦協定(NCA : Nationwide Ceasefire Agreement)を締結して地域の平和を目指す動きになっていました。クーデターで民主政府が破壊された為NCA条約も無効になってしまいました。

東のシャン州

ミャンマー最大の州です。中国、タイ、ラオスと陸続きになっています。かの有名なゴールデントライアングルがシャン州東にあります。ミャンマーで2番めに大きい湖のインレー湖があります。古代遺跡の町バガンの次に観光客が訪問する場所と言われています。

シャン州は一番広い分問題もたくさんあります。元から少数国家がたくさんあったので独自の文化で進化しています。以前はケシの栽培が盛んでした。ケシの栽培と麻薬を資金源とする武装組織も少なくないのです。ミャンマーは麻薬生産でアフガニスタンに次いで世界2位です。

武装組織も複数あります。大きく分類してRCSS、SSPP、TNLA、UWSA、MNDAAの5つがあります。RCSSはSSPP・TNLA同盟と長らく地域覇権争いを戦闘を続けています。RCSSのリーダーはNCAの議長も努めています。

RCSSとSSPPはSSAというシャン族最大の武装組織の崩壊後に分裂しました。RCSSは麻薬撲滅とシャン族の発展のために活動しているためシャン族の信頼が厚いです。一方SSPPは国軍に近い組織で国軍から権力と支援を受けていると思われています。最近になってRCSSと国軍の戦闘が勃発しています。

TNLAはタアーンとパラウ民族の解放を目的に設立されています。TNLAは麻薬禁止と公に上納金を撤収を行っています。SSPPと同盟を結び、AA(アラカン族武装組織)、MNDAAと北の三兄弟という同盟を結んでいます。北の三兄弟と国軍の戦闘が起きています。

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写真出典:https://english.shannews.org/archives/18907

UWSAはワ族の武装組織です。UWSAは自治権が認めらている組織でもあります。UWSAは元は中国国民党の残党の生き残りが多数暮らす場所と思われています。中国政府からの支援があり最新鋭の武器と国内最大の兵士の数が所属しています。中国政府の影響力が強いのとクーデター後に立場をはっきり示さないので国民から避難されています。反クーデターのワ族の若者から民族の意思を尊敬するように抗議されています。

MNDAAも中国系民族の多いコーカン族の武装組織です。公式に中国語と使います。もはやミャンマーの少数民族とは言えないと思ってしまっています。MNDAAは北の三兄弟同盟で国軍との戦闘に参加しています。

西のアラカンとチン州

アラカン州はミャンマーの西側に位置します。ミャンマーで一番キレイなガパリのビーチリゾートがあります。漁業と観光業が盛んだ地域です。

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写真出典:https://www.bnionline.net/en/news/tatmadaw-pressures-kio-end-alliance-arakan-army

AAはアラカン族の武装組織です。リーダーは海外で教育を受けた優秀な30代の方です。2015年以降に設立されたにも関わらず戦闘力と市民の支持は厚いです。また政治力も長けています。アラカン州で独自に行政システムの構築を作ろうとしています。

2018年からAAと国軍の間戦闘が行われてきました。AAは国軍将校の寝返りを誘発したり地域の行政管理者に銃弾を送りつけて国軍配下の公務員を取りこんできました。またAAはKIAに訓練を受けていてKIAとの交流も深いです。

・チン族

チン州はササ医師の出身地です。開拓が一番遅れている地域でほとんどが山脈地帯です。産業がなく最近になって観光業が増えて来ています。インド国境と隣接していてインド側にもチン族の地域があり、脱走した兵士と警察官を保護しています。

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CNFはチン族の武装勢力で200名弱の兵士しかいません。ササ医師の家族はCNFに保護されていると言われています。狩猟民族が住む地域で一家に猟銃が一丁あると言われています。第二次大戦まではイギリスに訓練された優秀な兵士が所属する部隊がありました。独立後に国軍はチン族の多い師団を計画的に解体していきました。

最近になってチン州の各町で国軍との攻防戦が繰り広げられています。昨日は5月16日にミンダット市を国軍が重火器やヘリなどを使用して攻撃してきました。市内での戦いでは国軍が市民を拘束して兵隊の前に立たせて兵士が打たれないようにする卑劣な方法を使っています。

南のカレンとモン州

カレン族はミャンマーの南半分に散らばって暮らす民族です。1947年以来武装組織を設立して自治権のために闘ってきた元相武装組織でもあります。タイとの国境で一番多く暮らしています。

KNUはカレンの民族連盟でカレン族を代表しています。カレン族の多くはキリスト教です。国軍の策略でDKBAというカレン仏教武装組織として分裂してしまいました。またBGFという国軍傘下国境警備武装組織もあります。BGFは元から組織ではなく小さく散らばった様々な武装組織の集まりです。

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KNUは反クーデターの市民デモ隊を護衛するなどして市民を支援しています。NUG(国家統一政府)連邦大臣もカレン族出身の方です。またKNUは国軍から逃げた多くの政治家や芸能人そして市民を保護しています。DKBAは国軍と近く利益優先組織のため信頼が薄いとされています。

1990年代にKNUなどの歴史のある組織が停戦条約に参加しました。KNU以外で残った小さい組織をまとめて国軍がBGFを構成しました。そしてカレン州で活動させるためリーダーをカレン族の方に任命しました。国軍の狙いはKNUの影響力を下げさせることにあります。BGFは国境にある中国人の違法カジノの警護や貿易拠点の権益で大きな収入を得ています。BGFはカレン族からも搾取しているので一番嫌われています。

KNUの地域が国軍の空襲に合い村を捨てて森の中やタイに逃げるカレン族は住民は数万人に登ります。DKBAは未だに中立の立場をとっています。最近、国軍はBGFを使ってKNUを攻撃させカレン族同士の殺し合いを企てています。

北のカチン州

カチン州はミャンマーで唯一雪が降る地域です。ヤンゴンから飛行機で行ける最北端の街プタオは冬になると観光シーズンになります。カチン州には世界最大の翡翠(ひすい)発掘場があります。採掘された翡翠の多くは安い値段で中国に流れています。環境破壊も激しく毎年川の氾濫が起きて多数の死者を出しています。

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凄まじい環境破壊を捉えた今年の受賞作品

カチン州のエリアは歴史的に攻撃に優れた民族が暮らしてきました。ヒマラヤ山脈のふもとでもあり、チベット語を話す民族もいます。イギリスの訓練を受けたカチンの兵士が第二次大戦で活躍しました。その生き残りでKIAが結成され長らく国軍と闘っています。NUG政府の副大統領はカチン族の方です。また教育副大臣はカチン族の女性の方です。

KIAは歴史のある組織で様々な他民族の武装組織を訓練してきました。88年に学生によって結成されたABSDFもKIAの支配地域で拠点をおいています。アラカン族のAAもKIAに訓練されています。シャン州の組織とも交流が深いのでシャン州の北部にも影響力があります。もちろん民衆の支持も厚いです。

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2月1日のクーデター後にKIAが次々と国軍の基地を制圧してきました。また内戦を嫌がる中国からの圧力も受けています。国軍は重要な基地の奪還のためになりふり構わず空襲や重火器を使用してKIA攻撃しています。しかしゲリラ戦に長けているKIAの攻撃によって国軍は大きな損害を受けています。

少数民族以外

ABSDFは1988年以降に学生によって結成された武装組織です。北のカチン州でABSDFの仲間同士がスパイの疑いで拷問と殺戮が行われた有名な話しもあります。生き残った方の話しをベースにした数々の本や漫画が出版されています。

ポルトガル人はミャンマーに来た最初の西洋人だと言われています。歴代の王に仕えて武器などの交易をしてきました。歴史の中ではアヴァ王朝時代にポルトガル人によってビルマ王室の混乱や国家の崩壊を誘発されたとしています。

現在の三菱地所が手掛けたヤンゴンの南東に位置する工業団地ティラワがあります。その地区は一時期ポルトガル人に占拠されて独立国家を称されたことあります。ミャンマーの歴史の資料にあまり残されていませんがポルトガル人の子孫はミャンマーの中部に散らばって暮らしています。ポルトガル語こそは話せませんが瞳孔が青くヨーロッパ人のような外観をしています。

支援募金

下記のページでミャンマーへの支援金の募金を受け付けております。

https://note.com/minthit21dj/n/nd6e9ae96350d

5月16日時点で国軍の武力弾圧によって780名を超えるの罪のない市民が命を落としました。また戦争難民は数万にを超えています。皆さんの支援があればミャンマーは早く平和を取り戻せると信じています。

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