20221115すき家のわさび山かけ牛丼ほか

すき家のわさび山かけ牛丼ミニ480円。
ペットボトルの黒烏龍茶110円。
店内で。

フランクな男の店員さんだった。接客がフランクというのはすべて失礼にあたるのかというのは微妙なところで、フランクは今調べたら率直なさまという意味らしいのだが、率直に笑いかけてくれたり、率直に僕分からないんですけどと言ったり、私の受け取り方としては親しみを覚えて楽しい気分になったので正解だった。店員と客にも相性があるね。でも思うんだけどこれも人と人の相性というよりかは、この数十秒、ないし1分くらいの時間で関わり合う店員と客としての相性が今回は私にとっては正解だったというだけであり、瞬間によって違うし、様々な要素が組み合わさって心地よさというのは生まれると思うよね。
最初すき家ではなくカフェに入ろうと思っていたので、飲み物を注文しなきゃという気持ちが私の行動細胞の中に跡として残っていて、だからペットボトルの黒烏龍茶を注文したのだけれど、すき家には飲み放題の水があるんだった。
〇〇番でお呼びしますと言われて、席を探しに歩き出した瞬間に「山かけ牛丼のお客様!」と別の女性店員に呼ばれた。番号で呼ばないし激早い。え、どれ、どれ、とオドオドしながら自分の牛丼が乗ったトレーを見つけ出し、持った状態で空いている席を探す。
ミニって結構小さいなと盆の上の牛丼を見下ろす。小さな丼ぶりに納まった牛丼の上には、とろろもわさびもまだ乗っていない。とろろは別皿で、わさびとだし醤油は個包装になったものがこれまた別皿に置かれている。(置く?置くじゃないもっといい言い方考えたい〜収納?盛られている?うーん要検討)セルフサービスだ。なんかコンビニのお弁当っぽさを感じる。好きな量に調整できるという利点なのだろうが、そこはかとなく寂しさを感ずる。(感じる続きにならないようにちょっと言い方を変えるという小賢しいやり口)実際寂しさを感じたかというとそんな事はないのだが、寂しさとまでは形容できない「ふ〜ん、ちぇ、まあ、別にいーけどさ〜」くらいの感情が一瞬よぎったような気がする。それを安易に寂しさと表現しただけ。
まずとろろをぶっかけて、だし醤油、わさび、紅しょうがのそれぞれの封を切ってとろろの上に配置。ちなみにお腹が減っている時はいつもの倍で雑な人間になるので、それぞれ中身を全部絞りきれずに諦める。もったいないが一瞬よぎったり、それに付随しておかあさんといっしょのいちごの歌がよぎったりするけどお腹すいてるしもういいよ。(いちごの歌はいちごが大きくなったらショートケーキの上に乗りたいと夢みていたけど結局ジャムになるって歌なんだけど、もし紅しょうがとかわさびとかにも感情があっていつか牛丼の上に乗りたいと夢みてた1人を上に乗せてあげずに袋のなかに置き去りにして捨てちゃってたとしたらちょっと罪悪感感じるなあとかそういうことをチラ、って考えたりしてるっていうことなんだけど、みんなも一瞬のうちに考えてる量って案外すごいからさ、意識するとびっくりする量だから意識してみて)
一瞬で食べ終わる。味とかは食べログではないからいいかあ。あー美味しかった!

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