俺は小一のときに。

こんばんは。子どもたちが好きすぎて、休みなのに子どもに聞かせたら喜びそうなスーパーマリオの楽譜を調べていました。3,000円もするんだな…(悩)

さて、私がなぜ中学校で働いているかというと。単に小学校に空きがなかったからです。私は子供の頃から豆腐メンタルで、メンタルがやられると体調がガラガラと音を立てて崩れます。朝は自律神経がメッタメタのために電車に乗ることなど不可能。そんなわけで、採用していただいた時に「車で行ける範囲で」とお願いしたところ、小学校はいっぱいなので、中学校行って、と言われたわけです。

「え?中学?なにされるの?」自分が悪ガキだったことを思い出し、のっけから被害者意識。

しかし実際は森の中にあるような感じのまったりしたところで、校庭にはキジのつがいが歩いていても誰も気に留めないほど田舎。子どもたちもそれに準じて優しく、素直でおっちょこちょい。

私が知ってるような、シンナーの缶がどーのとかタバコの吸い殻がどーのとか校舎に放火して少年院送りとかそんな子供は、嬉しいことにいませんでした。

図書館司書は、本に関わる業務のほかに、教室に入りづらい子の対応をすることがあります。あ、でもこれに関しては長くなるのでまた後日。

子どもたちは、成績をつける立場にない私に、いろんな話をしてくれます。

好きなもの、嫌いなこと、悩み、友達のこと、親の喧嘩のこと、勉強のこと。

そう、勉強は、教える側の先生たちからは絶対に「手を抜いて良い」とは言えないので、わたしのほうから、ギリギリまで追い詰められてるなぁという子には「ゆるゆるやりなよ」「ほどほどにね」「いつも頑張ってるんだから大丈夫」などの言葉をかけています。

友達を引き連れてわたしに話しかける子もいれば、一人じゃないと絶対話さないような子もいます。全ての子どもと必ずしも相性がいいというわけではないと思いますが、それでもあの子たちの安心材料になれてたらいいなと思って、話を聞いています。

司書なんだから本のことだけやってればいいじゃん、と言われればそれまでですが、わたしは中学時代に「学校」という場所に信用できる大人がいなかったので、そういう思いを彼らにさせたくないんですよね。ごくせんとかで「大人なんか信じない」というセリフがありますがまさにそれ。まぁ、そもそもそいないのが普通なのかもしれないけれど、それでもこの子たちには、大人なんかみんな汚いっていうあの気持ちはあんまり体験してほしくない。子どもが本当に困った時に力を持つのはやはり大人だから。

ところで、全然話が変わりますが、ずっと気になっていることがあります。可愛い可愛い中学生のおちびさん(※私よりでかい)たちは、決まってなにかの拍子に「小一の時に」と言うことです。

小一の時にサンタがいないことを知った。小一の時にその本はもう読んだ。小一の時同じクラスだった。

小一ってなんだよ!!なんかの節目なの?!小一ギャップ的な?!

連呼されるうちに、私も小一の時に、とさりげなく言ってやりたくなりました。しかし小一の記憶などもう宇宙の彼方、給食が食べられなくて泣いた思い出ぐらいしかありません。

悔しいので、司書教諭の先生に「わたしも、社畜一年のときに、ってことで「社一のときに」って言おうかな」と相談しました。まだ使ってませんが。


長くなったのでこの辺で。


あ、そうだ、次はジェネレーションギャップのことを書こう。


読んでくれてありがとうございました!😀

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