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呼吸がおかしい

「最後」はどうやって決めるのか

NICUを卒業してから約3か月間で入院での輸血と点滴2回、外来での点滴も2回。輸血や点滴のたびに元気にはなるものの、その元気が持続できる期間がだんだん短くなってきました。

産まれた当初、夏にはお別れだと思っていたのに、自宅で生活を始めてからはミルクもたくさん飲めて、みるみるうちに傷が治り始め、もしかしたらこのまま1歳まで生きられるのかもと淡い期待をしていました。その後、ミルクが飲めなくなり、体重がどんどん減り、傷も治らなくなってきて、やっぱりもうダメなのかと思わざるを得ない状態に。それでも、輸血して元気になるたびに、またあの時みたいに回復できるかもという思いは捨てきれずにいました。

そんな中、先週より明らかに大きくなった呼吸音。娘の表情は息苦しそうには見えないし、気道が狭窄しているのかを調べることもできないけど、喘息のような呼吸音が日に日に大きくなり、もうすぐ呼吸が難しくなるのは明らかでした。

経管栄養開始のための入院中に、漠然と「どこかで限界が来るんだろうな」とは考えていました。輸血、点滴、経管栄養なしでは生きられないのに、手足にルートとるのも難しくなってきていて、栄養チューブも食道を傷つけていつ使えなくなるかわからない。どこかで「最後」が来るんだなと。この頃、主治医の先生からも同様の趣旨のお話があったので、いよいよなんだと思い知らされました。それでも「最後」をどうやって決めたらいいのかが分かりませんでした。
さらに呼吸が難しくなっていることが分かり、苦しそうにしながら死んでいく娘の姿が頭をよぎるのが辛くて、現実から目を逸らすように思考を停止させてしまいました。息子と自分の喪服を購入しながらも、「最後」が自然と訪れるのを待つことしかできませんでした。

モルヒネのお薬をはじめる

退院から2週間でアルブミンの値が下がっていたので、外来で点滴をしてもらいました。呼吸音が気になることも伝え診てもらいましたが、酸素濃度は低くなかったため帰宅。しかし、だんだん鼻翼呼吸になり、胸の陥没もより深くなってきたので、入院をしてモルヒネの投与を開始することになりました。前回からたった3週間しか経っていませんが貧血も進んでおり、また輸血と点滴もしてもらいました。

入院中に、モルぺスというモルヒネのお薬を様子を見ながら少量ずつ増やしていきました。特に吐き戻しなどもなく、予定量を投薬できることになりました。

輸血が限界

輸血はまた漏れてしまい、手に大きな糜爛ができてしまいました。
糜爛の合間を縫うようにルートをとるため、刺入部の周りも糜爛だらけ。試行錯誤しながらうまく固定していただくのですが、娘もじっとしていられるわけではないし、どうしてもずれてしまうようです。毎回スマホで刺入部の写真を撮って、周辺の色が変わっていないかこまめにチェックをして、漏れたらすぐに止めてもらうのですが、それでも漏れてしまえば大きな水疱ができ糜爛になります。複数回に渡る輸血と点滴で、腕も脚も糜爛だらけになってしまいました。

もう余力がない

退院して自宅に戻ると、モルヒネのお薬が良く効いているのか、昏々と眠るようになりました。1日12時間ちょっとだった睡眠時間が、15、16時間くらいに。夜22時ごろに寝ると朝9時くらいまで起きず、私もいよいよ産後の疲れが出始めていたので一度眠るとなかなか起きられず、夜中の注入を飛ばしてしまう日も・・・。
また、輸血で酸素が運べるようになったということなのか、呼吸音が小さくなりました。顔色もよくなり、退院日にはあやすとほんの少しだけ笑顔も見せてくれました。ただ、調子がいい日は長続きせず、もうこれまでのような余裕はないのだという事が分かります。

輸血して血流が良くなるせいか、処置中の出血量も増えてしまっていました。大きな糜爛が治らないと、せっかく入れた血液がどんどん流出してしまう・・・。もうこの悪循環から抜け出せなくなっていました。

入院中に読んだ本

タイトルと装丁に惹かれて読み始めたら、このときの自分にぴったりの内容でした。どうやって送り出してあげるのか、考えなければいけないなと思わされました。


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