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塀の上

私には、
「生きづらさ」という言葉はしっくりこない。
でも、今のところ、これといった代わる言葉は見つかっていない。


進もうとすると、
いえ、歩こうとすると、
必ず前には距たりがあって、乗り越えないと行けない仕組みになっている。


たとえば誰かと親しくなりたいと思うと、
その人は必ず塀の上にいる。
私の短い手は、その塀には届かない。

もしかすると、その人は手を伸ばしてくれるかもしれない。
でも、私は大人の女性の重さはあるので、その高さまで引き上げてもらうことはできない。

だから、
その人と心を通わせたいと思ったときは、力をふり絞って、自分から声をかける。

その人も私に興味を持ってくれた場合は、塀の少し低いところへ降りてきてくれる。
そして、しばらく、その場所で会話する。

その人は、私のところまで降りてくることはできない。
ある高さまで降りてきてくれたとき、
手を伸ばして力を添えてくれれば、私はその塀に上がることができる。
そうでなければ、何とか上がれる高さに相手がきてくれるまで待って、
全身に力を入れて、自力でよじ登る。


そうやって、ひとつひとつ。
その工程が険しくて、
心が折れそうになる。
いつも、だから。

―――

間に壁や塀があって隔たれている、というよりは、
私は相手が見えている感じ。
見えていて、頭では分かって、
でも、行けない。

金縛りのような感覚がある。まわりは分からないのよね、金縛りのときって。

いつだかルーナ(うさぎ)に、
「なんで起こしてくれないの?」 
ってきいたら、
「ねえさん、言わなくちゃ伝わらないこともあるんだよ」
って返された。


そのはじめの塀の高さを低くするものは、
知識と、
相手を思いやる心…やさしさ
だと私は思っている。

2024.4.22

「生きづらさ」は「行きづらさ」かもと思った。
一歩の踏み出しづらさ。

ルーナの背中のハート型。
「伝わることが肝心だよ」
byルーナ

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