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五線譜

音。

見ることも、触れることもできず、すぐに何もなかったかのように消えてしまう。
その上、言い直すことも、鳴らし直すことも、できない。
聞かなかったこと、聞こえなかったことにもできない。

この、時間のいたずらのような、不思議でしかない特徴に、私は、いえきっと人は、魅せられてきたのだろう。

でも同時に、残しておけないことがもどかしくて、口伝えや譜面という形を編みだしてきたようにも思う。


私は五線譜を眺めるのが好きだ。
美しいと思う。
そして、魔法の暗号が書かれているようでわくわくする。

音符が縦に重なり、和音、ハーモニーとなる。
横に繋がり、メロディーとなる。
音符の種類もさまざまで、きちんと休みにも役割りがある。
同じでないからこそ、リズム、テンポが生まれる。
5本の線の上にも下にも、はみ出すものがいる。それが当たり前。
何だか、音符ひとつひとつが人のようだ。

左から右へ、時間とともに音が奏でられていく。人生のように。
音符が人だと考えたら、重なりあったときにしっくりくることも、違和感や嫌悪感を感じることも、当然だとうなずける。

私には、人生は物語というより、曲であるという方がしっくりくる。
私という音符は、時間の流れの中で、居場所も在り方も少しずつ変わっていくのだろう。

誰と出会えるか、何に出会えるか、誰にも分からないし、実際に会ってみないと相性も分からない。
音も、想像はできても、奏でてみないとどう感じるかは確かでない。
それを知っているから、何ともいえない美しいハーモニーやメロディーを聞けたとき、喜びが溢れる。

鳴らしてしまった音は取り消せない。
だから、できるだけ丁寧に鍵盤をおろせたらと思う。
不協和音を怖がらずに。


2023.4.19

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