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人は人を求める者

春先、
空に向かってすくっと伸びる
紫陽花の新芽が大好きだ。

私は自然と離れて暮らしていくことはできないし、
自然にいつも救われている。

読書、運動、手芸、DIY、映画、音楽、登山…

人それぞれ、特別な何かを持っていると思う。

趣味がないという人はいる。
趣味といえなくても、何かしらあるはず。
好きという自覚はなくても、
ふりかえると、そのことをしているとき、無心になっている、何か。

本当にまいってしまっているときは、いわゆる趣味(好きだと自覚していること)はできない。
好きなことさえ手につかないことに、落ち込んだりする。

それでも、できていることは必ずある。

ひきこもっていて何もしていない、何もできない、
とおっしゃる方も、よくきくと、ねこちゃんのお世話は欠かさずされていたりする。

私も、今は「ラジオを聴く」を好きなこととして言えるけれど、
もとはといえば、かろうじてできていたのが、
ラジオを聴くこと、だったわけだから。

―――

眠っているときは、だれしもひとり。
起きている時間のどの程度を、
生身の人間と一緒にいるか、
いることを望むかは、
個人差が非常に大きいと思う。

でも、ゼロになることは不可能だと思う。
人は、生身の人間との関わりなしには生きていけないと、
人間より動物が好きな私でさえ、
感じている。

一時的にゼロに近い状態になることはあるけれど、
そのとき心身ともに健やかで、現状に不満がないという人は、いないと思う。
少なくとも私は、きいたことがない。

―――

密な関わりだけが、かけがえのないものではない。

名前も知らないけれど、
会ったらお互い、あっと気がついて、
「急に暑くなって、変な気候ですね」
と言い合えるような間柄の人。

だれもが持てたらいいと思う。

2024.4.16

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