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受け取れるように

“私は”としか言いようがないが、

私は、複数の聞き手がいて歌うときや、複数の読み手がいて書くとき、
(音や言葉を飛ばす)矢印のようなものを感じていることが多い。

①あなたへ
②みんなへ
③自分へ
ほとんどは、この3つのどれか。

①あなたへ、は
となりに座っている人に話しかけるような感じで書いたり、声を出す。

ただ、その“あなた”が、特定のだれかであることはまずない。
摂食障害のあなたへ、
といったあなた。

②みんなへ、は
その場にいるみんな、
社会全体へ、といったイメージだ。

―――

特定のだれかに届けたいときは、
その人に手紙を書くか、
その人とふたりだけのときに話す。

伝えたい相手が明確なら、
直接本人だけに伝える方法を私は選ぶ。

伝わることは大切だ。
伝えたつもりで伝わっていないのは残念だと思う。

みんなが手に取れる状態のものだと、
自分へ向けた内容かなと思ったとしても、怖いので確信は持てない。
勘違いしたくないし、
取り違えたくない。

私ならそうだし、
自分のためだけに作ってくれた特別な何か、は嬉しい。

読んでくれたかな?
ちゃんと聞いてくれたかな?

などと不安になるのもいやだ。

一言でいいので
「受け取りました」
がほしいとよく感じる。
感想はなくていい。

贈り物でも、手紙でも、メールでも。

実際に届いていなかったことがあるし、
受け取れなかったメールも、ある。
受け入れたどうかは別にして、
受け取ったかの確認は
し合いたいな。

そのあとのことは、
受け取った人が自由に決めればいいと思うから。

―――

いい、と言われるのと、
好き、と言われるのは
私の中では全く違う。

たとえばまわりの人が髪を切ったとき、
切る前より、魅力的だと思ったら、

「夏らしく爽やかでいいですね」

ではなく、

「とてもお似合いです。」

とはっきり言うようにしている。


いい声、と極まれに、
声が好きと、極々まれに言っていただくが、
好きと言われた日は、スキップしたくなるほど嬉しい。


好きはその方の琴線に触れたということ。

いいは、かっこいい、おしゃれ、すてき
など万能だと感じる。


私は韓流スターも、アイドルも知らないに等しいが、
夢中な方から推しの話をされたときには、
「へぇ〜、いいですね」
と返す。
時間を忘れるくらい何かを好きだったり、はまっていたりということが素敵だと心から感じるから。

―――

いいと一言言ってもらえるだけで、安心する。
だから、黙っているより遥かにいいと思う。

でも、
「好きだー」と感じたときは、できるだけそう分かるように伝えたいと心がけている。
少し恥ずかしいし、少し勇気がいるけれど。

遠回しに伝えるよさもある。
でもよいことは、私は手渡ししたい。

―――

こどもの絵本や児童書には、3歳から、5歳から、小学校中学年からなど目安が書いてある。
だいたいその年齢の子が、分かる文で書かれている。
(上の年齢はないわけなので、私は喜んで読む。)

分かりやすいことは、気持ちがいい。
日常のやり取りは特に、分かりやすい方が私は好きだ。


2024.5.10





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