幸せのハードル
幸せとは何かを考えるときに楽しさとか嬉しさと何が違うのかなぁって思ってしまう。
幸せホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌を増やすことが幸せなのか?
没入して物事に取り組むことが幸せなのか?
自分の夢を実現することが幸せなのか?
じゃあ夢がない人は幸せになれないのか?
信頼できる仲間の数が幸せに繋がるのか?
結婚すれば幸せなのか?
幸せという言葉自体に憧れを抱き、幸せを追い求める。
幸せという言葉自体のハードルを上げている気がしてならない。
幸せになりたいという願望を抱くのも良いが、それは裏返すと今は幸せではないと言っているようなものだ。
幸せに関するデータや統計は沢山ある。
でも、幸せなんてそのときインタビューした人の気分によるしだいたいどういう状態が幸せの状態なのかよくわかってないんじゃないかなって思う。少なくとも俺はわからない。
SUPER BEAVERの『美しい日』では
「
もしかして幸せは 訪れるものでも 待ってるものでもなくて 今ここにあることに気がつくものなんじゃないかな?
」
とある。
この歌詞が大好きだ。
(https://youtu.be/RF8mlN45vOQ)
幸せのハードルを規定したり上げるのではなく、日々生きてる中で嬉しい楽しいと思えることが幸せで、そんなものでいいんじゃないかなって思ってる。
結婚して嬉しいと思ったらそれも幸せだし、ライブ行って楽しむのも幸せだし、美味しい料理食った時も幸せだし、やりたいことやってる時も幸せだし、そういうざっくりとしたものでいいんじゃないかなって思う。
今日昼飯を食べているときに、となりの若い女性たちが「めちゃうま!幸せだ〜」みたいなことを言っていてそういうもので良いんだって思えた。
幸せとは、自分次第。
つか、幸せって意識してなるもんでもないと思っているから日々を楽しく生きる。
それだけ。
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