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虹を見る日

わたしたちの人生は、ひとつひとつの小さな出会いと別れが重なり合って、形づくられている。そこには断続的な悲しみと、ひとすじの希望の光がある。


キャットが12歳の秋、はじめて学校の外に友だちができた。友だちの名前はコリンで、彼はセントラルパークに住む、いわゆるホームレスだった。コリンはセントラルパークの北の方に住居を構えていて、ふだんは落ちている新聞を拾い集めて売ったりして暮らしていた。しかし一日の大半は、公園を行き往く人から「寄付」—小銭やレストラン・チケットなど—をもらうためのブリキ缶の入れ物を傍らに置き、よく日が当たる場所に座っていた。キャットはマンハッタンの私立中学校に通う中学生で、セントラルパークは彼女の通学路だった。

ニューヨークの朝は忙しい。街にはすでに、たくさんの人が溢れている。彼らはまるで夜の間に大事な何かを失ってしまったかのように、汗びっしょりになってジョギングをしたり、ホットドッグの屋台をひらく準備をしたりと素早く動き回り、新しい一日に追いつこうとしている。セントラルパークで犬を散歩させる人は、ただ犬と歩くだけではこと足らず、リーシュを持たないもう片方の手には携帯電話を握って小さな画面をしかめ面で見つめたり、またある人は、すれ違う知り合いらしき人とぎこちない笑顔で挨拶したりして、できるだけ急ぎ足でその散歩の時間を終わらせようとしていた。昨日よりもっと黄色が濃くなった木の葉にも、噴水の真ん中あたりにできる小さな虹にも、誰も気づこうとはしない。
キャットのママも忙しい。彼女は、いつでもどこにいても、やらなきゃいけないことに追われているように見える。シングルマザーで、弁護士である彼女は、マンハッタンにアパートを一部屋を持っている。お金には困っていないだろうけれど、二言目にはいつも「ママは仕事をしなくちゃ」とか「仕事が山積みで大変なのよ、ハニー」と言う。キャットは、自分の母親が自分を愛しているということを十分理解している。でもだいたいの時間、彼女の頭の中は、キャットとは全く関係のない世界のことでいっぱいになっているのも肌で感じている。キャットの母親は、娘にはできるだけいい幼少時代を持ってもらいたいと願い、マンハッタンでも指折りの私立中学校に通わせ、習い事もたくさんさせた。テニス、数独教室、ダンス、フルート。キャットはわがままを言わず、母親の希望通りに学業と習い事をこなしたが、とくべつに好きだったのはフルートだけだった。軽くて持ち運びもしやすいし、振るわせた唇を冷たい金属に当てると、キスから生まれた音色が細い筒から外へと飛び出すようにふわりと立ち上がる瞬間がお気に入りだった。

その秋、キャットのママは、キャットの朝の送り迎えを週の半分に減らすことになる。仕事が忙しくなったこと、そしてキャットが一人でも通学できる年齢になったと判断したことから生まれた新しい習慣だ。キャットが一人でセントラルパークを歩くようになったのはそういういきさつだ。最初の一ヶ月、ママはとても心配そうに「気をつけてね、ハニー」とキャットを見送った。キャットからすれば、もう12歳だし、学校はそこまで遠い距離にあるわけでもないので平気だった。ちょっぴり不安だったけど、大人に近づいた気がしてワクワクした。わたしたちは皆、ある時点までつねに親に手を引かれ外を歩くが、その後たった一人で家から外へ足を踏み出し、自分のペースで歩き出す。右へ行くのも、左へ行くのも、速く歩くのも、遅く歩くのも自由だ。はじめて一人で歩き出す、あの感覚を覚えているだろうか。目にうつる全てのものはまるまる自分のものだ。大きく開いた花をじっと見つめ、蹴飛ばした小石のその固さをつま先で感じる。解釈の方法も速度も自分次第。歩き方のルールなんてどこにもない。そこには無数の出会いがわたしたちを待ち構えるのだ。

噴水にできる虹を教えてくれたのはコリンだ。その朝コリンは、まぶしそうにどこかを見つめていた。口元からは微笑みがこぼれていた。キャットはコリンの視線の先を追ったが、コリンが何を見ているかわからなかった。コリンをもう一度見ると、キャットの視線にようやく気づいたコリンは、噴水を指差した。キャットが噴水を見つめ、首を傾げると、今度はコリンはキャットを招き、キャットにある位置に立つようにジェスチャーで指示をして、その位置から噴水のなかに小さな虹が見えることを教えてくれたのだった。細かい水しぶきのなかに浮かぶ小さな虹は、フルートの美しい音色を乗せた五線譜が空に魔法のように現れたようだった。言葉はひとつも交わさなかったが、小さな秘密を教えてもらったような気がして、キャットは不思議な気持ちで胸がいっぱいだった。

翌朝も、同じ場所にコリンはいた。昨日と同じように、大切な宝物を見るような目でコリンは虹を見ていた。その日は母親の手に引かれて歩いていたキャットは急ぎ足でその場を通り過ぎることしかできなかったが、コリンはキャットに向かって短いウインクをした。また一つ、二人だけの秘密。その日を境に、毎朝、ときには学校からの帰り道でも、キャットは公園でコリンを見かけるようになった(きっとコリンはキャットが気づくずっと前からここにいたのだけれど)。数日後、二人はこうして会話を始めた。
「やぁおはよう。今日もいい一日を」
「ありがとう。ねぇ、あなたの名前はなんて言うの」
「わたしはコリンだよ。小さなレディーのお名前は?」
「わたしはキャサリンだけど、キャットって呼ばれてるよ。コリン、おなかすいてる?これ、あげる」
キャットはおととい学校であったハロウィン・パーティーでもらったピーナッツ味のキャンディーをコリンに渡した。コリンは、
「ありがとう。美味しそうなキャンディーはおいしくいただくよ。でもわたしは食べものはいつでも手にできるから、心配しなくていいんだよ」と言い、ウィンクをしてキャットにブリキ缶のなかにある小銭や紙幣を見せた。

コリンはいかにもホームレスらしく、くたびれた分厚いコートと汚い靴を履いていたが、お酒を飲んだり怒ったりしている様子は見せたことがなかった。寂しそうにしているわけでも、惨めそうにもしていなくて、とても穏やかでやさしい雰囲気をまとっていたが、同時にすべての激しい感情が奪われてしまったかのような、生きる希望を一度失ってしまった人によく見られる目をしていた。それでもキャットにとっては、コリンと過ごす時間は中学校で過ごすよりも何よりも楽しい時間だった。コリンは、雪が降った翌日には雪を使ってクマ、もしくはネコのような実にへんてこな動物を作ってキャットにプレゼントしたり、路上で集めた世界中のコインやお札のコレクションをキャットに見せたりした。観光客も多く訪れるセントラルパークでホームレスをするコリンは世界中のコインを持っていた。「この国はとっても遠くにあって、人々はヤシの木を蹴って実を落とし、実にストローを挿してジュースを飲むんだよ」、とか、「このコインは昔使われていたコインで、今は一切使えないけどしかし骨董的な価値があるかもしれない」というコリンの話はキャットの目を輝かせた。彼はそのコインのコレクションをなめし皮でできた小さな袋に入れて持ち歩いていたが、「これらのコインはここアメリカでは使えないから、いつかこれらがやって来た国に出向かなければならないなぁ」と言った。

それまでキャットは、自分の周りには、仲の良いと言える友だちも、気遣ってくれる大人もいるけれど、誰も本当に自分が考えていることや見えている世界などは理解してくれないと感じていた。大人たちが見えていないものを自分は見ていると思ったし、それは同じ年頃の子どもたちにもわかってもらえないものだと思っていた。それが何なのか、ハッキリと言うことはキャットにはできなかったが、コリンには自分の見えているものが全て見えているような気がした。キャットにとっても、コリンが何を考えているかわかるような気がしていた。絶対的な信頼がそこにはあったのだ。公園に行けばいつもの場所にコリンはいて、楽しい話を聞かせてくれる。けれど本当のところは、キャットに見えているコリンはコリンの人生においてほんの一部分にしか過ぎないのだった。キャットはコリンがなぜホームレスになり、セントラルパークに住むことになったのかなどの事情のひとつも訊きはしなかった。自分たちのおばあちゃんやおじいちゃんは生まれた時からおじいちゃんやおばあちゃんで、その人たちの一生ははじめから最後まで老人だったと信じて疑わない子どもたちみたいに、キャットにとってはホームレスは生まれた時からホームレスで、コリンにホームレス前の人生があったかどうかなんて思いもつかなかったのだ。

ある時、キャットはフルートの練習が嫌で嫌でたまらない時期があった。何もかもが面白くなくて、フルートの教室に行くのを辞めたいと思っていたのだ。それを話すとコリンは少しまじめな顔をして、「いきなり煮立った湯の中にカエルを入れたら、カエルはびっくりして跳び出してしまう。でも水から入れて、ゆっくり熱を加えていけば、カエルは知らない間に煮られてしまう。」と言った。「わたしは気づいたらゆでカエルになってしまっていた。そうなってしまうのは実に簡単なことなんだよ。でも、煮られている間にフルートの音色が聞こえてきたら、カエルは我に返って水から跳び出すきっかけを掴めるかもしれない。音楽にはそういう力があると思う。きみはフルートを続けるべきだよ」と言った。
朝や放課後にコリンと過ごす日々はとても長かったようにキャットには感じられたが、実は4ヶ月くらいのほんの短かい期間だった。冬が本格的になり、屋外が厳しい寒さを迎えると、コリンはどこか別のところに居場所を見つけてしまい、公園で姿を見かける機会はめっきり減ってしまった。そのうちキャットのママが再婚が決まり、彼女たちはもっと大きなアパートへ引っ越すことになったのだ。母親が再婚することも、つきあってる相手がいたこともキャットは全く知らなかったが、驚きよりは納得という気持ちの方が大きかった。ママの頭のなかにあったのはきっとこのことだったのだろう、とキャットのなかで符号がぴったりと合った。引っ越し先はマンハッタン内だったが、12歳のキャットにとってはニューヨークは宇宙より巨大で、セントラルパークの向こう側はいつか聞いたヤシの木が立ち並ぶ国のように遠かった。


今年の秋、キャットは19歳になる。今、キャットはヨーロッパのある国とある国を結ぶ、古い汽車の一席に座って小さな皮の袋を握りしめている。最後にコリンと会ったとき、世界各国のコインが入った皮袋を渡されたのだ。「きみにもらったキャンディーさえも買えない金額かもしれないけれど」とコリンは言った。きっともう自分は外国に行く機会が、もしくは気力がないと思っていたのかもしれない。彼女の旅は始まったばかりだ。コリンからもらったコイン、それらがやって来た国々をたずね、コインの裏側に描かれている植物をこの目で見たり、表側に描かれている人物についてその土地の人々に話を聞いてみたいと考えているのだ。コリンの手元にあったコインは、元来た場所へと戻り、そして誰かの手からまた違う誰かの手へ、旅をするだろう。キャットは今また、自分の足で歩き出そうとしている。今度は生まれた国を離れて、新しい土地での新しい一歩だ。あの日の朝も同じような気持ちだった。もし次の行き先がわからなくなったり、自分の気持ちが迷うことがあるときは、フルートに唇を当てて、心のなかに虹を描こう。そして勇気いっぱいに、カエルのように跳び出して、自分の足で歩き出そう。キャットはコインが入った皮袋をバックパックにしまった。バックパックにねじこまれているフルートがきらりと光った。

(了)

コラボレーションを、素敵な絵を描かれるわたしの大好きな画家、ムークさんにお願いしました。https://note.mu/muuke/n/n3d6fc033ca67
ムークさんの挿絵と合わせてお楽しみください。

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