肋骨を5本折る。
それは還暦前の誕生日のこと
4月7日のことだ。ちょうど一ヶ月前か。
私は、公共機関の利用を避けるため個人所有のルイ・ガノRTS2(型番はうろ覚え)にまたがって職場に向かっていたのだ。
うちからドアツードアで20分。こぐのを急げば15分の距離である。
車体はすごく軽く9キロないぐらい(これももうろ覚え)。車高は爪先立ちでぎりぎり地面に届くぐらいに高くしてあるのだ。重心は限りなく高い。
私は、ほぼいつも通りの気分でうちを出て、いつも通りの気分で急坂を下り、いつも通りの気分で東横線の横を白楽駅に向かって走っていたのだった。そこまではいつもどおり。ふふふん、ふふふん .......♪
ところが、私の進行方向前方に立ち塞がる軍団一つ。なにものぞ....。
登校日なんか作るんじゃねーよ
それは、小学生の群れ。
それに付随する見守り親が数名。
横浜市の小学校では、登校班というものがあって、集団投稿(登校ですw)することになっていて、見守る親が数名付き添うことになっているのです。
4月になって初めての投稿日、それはそれは楽しみに投稿(いや、登校です)する子どもたち。楽しそうに道路を左から右まで占領しています。
コロナコロナコロナコロナで、外食も自粛、飲み屋は論外!という、真綿で首を絞めるがような、ソフトな脅しに心がささくれていた私は、目の前の楽しそうな伸びやかな子どもたちを見て、なぜか、くそーっ!と思ったことでした。
その瞬間
ずいぶん急な短い下り坂で
私の右手が
なぜか、ブレーキをかけたのです。
え、
え、
なに、
おお、
え?
やば!
(ふわり、ふわり、よろっ...)
ガシャん。(自爆)
子供達、一斉に振り向く!(見るな、寄るな、俺の自爆だ!)
こどもたちと一緒に登校をサポートしていたお父さんが、寄ってきて
「本当に大丈夫ですか?」
と言ってくれた。
私は、前輪ロックで前方に一回転しかけて、その途中で右前方に落下したため右手で胸をガードしたまま横転しているのだ。大丈夫なわけはない。メガネは前方に飛んでいる。何も見えない。
でも、ついてでた言葉は「大丈夫です。大丈夫です」
大丈夫と思いたかったのだ。多分。変なアドレナリンが、俺にその言葉を言わせたのに違いない。
それは59回目の誕生日の朝
ホント、素敵な朝でした(涙)。
その後、よろよろしながらそこから10 分の職場に行き、やばい顔色そのままで、その日のお仕事終わりました。
翌日、体の至るとこが痛むのかなと思ったらそうでもなく、でも、右肩の擦過傷がかさぶたのようになって、痛い、痒い。案外、これで、このままいけそうじゃん!
俺って、すごいかも....。
と、強がったその日。大きく息をすると、胸が痛い。
ズキン...
だったり
チクッ!
だったりで、わたしのハートもちょっとドキドキしてまいりました。
で、病院へ
レントゲン撮りましょうね、という整形外科の挨拶がわりの診断で、数枚のレントゲンを撮りました。
その結果は、右の肋骨4・5・6・8番と左の12番が骨折。
トータル5本骨折。肋骨なのに、5本.....。
ということで、それから一ヶ月、今日(5/7)になりました。
いまだに痛み止めは飲んでます。特に痛みはありません。
でも、楽しそうな小学生の集団にイラッときて自爆してしまった自分の了見の狭さ、この痛みはは59歳で終わりにしたい。
もっと、おおらかに還暦を迎えたいと思ったことでした。
おやすみなさい。
(おっと、夜の分の、薬飲まなきゃ.....)
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