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自由といのち

連日、ウクライナのニュースを見て、本当に心が痛くなる。

今、ウクライナ人にとっての問題の核心は、戦争か自由かという点にあるのではなくて、命か自由かという点にあるのだと思う。
もはやウクライナが持っている選択肢は、降参してロシアに(事実上)併合されるか、犠牲を払って自由のために戦うかという対立で、つまり、命か自由かの二択である。

西側諸国はウクライナの「自由」を守るために武器をガンガン輸出しまくっているけれど、反面、武器を輸出すればするほど、戦争は長引き、ウクライナ人の犠牲も、ロシア人の犠牲も増える一方だろう。
私たちは、アメリカやドイツの武器支援を、そして日本も参加したSwift締め出しを、安易に応援してしまって良いのか。その結果、多くの命が失われることになっていないか。

ウクライナの「自由」や「民主主義」への強い志は、私も、正直、感動してしまった。ゼレンツキー大統領の動画は、胸に刺さるものがある。
けれども、私たちは、そんなに簡単に「ウクライナ頑張れ」と言えるのか。何を頑張るのか。戦争をだろうか。民主主義が命に先立つことは当然のことだろうか。

「自由」は、大切だ。人はパンのために生きているのではないから。
しかし、自由と民主主義のために、これから大勢のウクライナ人とロシア人の命が犠牲になるということ、無批判に歓迎してしまっていいのだろうか。義勇兵なんて、参加していいのか、応援していいのか。ロシア人にもウクライナ人にも、家族がいるんじゃないのか。勧善懲悪なんて無かったということが、私たちが歴史から学んだことだったんじゃないのか。


やっぱり、演劇を続けるしかないんじゃないだろうか、私たちは。
劇場が燃やされたとしても、ミサイルが飛んでくるかもしれずとも、家族が殺されたとしても、ばかみたいに、演劇を続けるしかないのではないかと、最近は、(ばかみたいに)なんとなく思っている。
(とはいえ、この考え方だと、演劇が禁止されたときにどうしたらいいかということも考えないといけないのだが・・。)

どうか、今後、誰も命を失うことなく、ウクライナに春が訪れるとよいのだが。

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