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今年の春の高校野球が終わり、ふと今思うこと

今年の春の甲子園「選抜高校野球大会」が終わり、優勝は神奈川県代表の「東海大相模高校」で、準優勝は大分県代表の「明豊高校」となりました。

私も高校時代は硬式野球部に入部しており、同じく甲子園を目指していました。毎年、甲子園の時期になると様々なことを思い出します。

そこで、今回はそんな私の思いを、恥ずかしいことも包み隠さず、綺麗事は一切なしで当時の本心を記載していこうと思います。

☞ 当時の私の高校野球生活

私が高校生の時の親元を離れて、寮生活をしていました。そこで毎日ひたすら野球に没頭し、「レギュラー」と「甲子園出場」という目標を抱えていました。高校球児なら誰しも目指す大きな青春だと思います。当時の野球部は、上下関係に厳しく、礼儀やルールを重んじられ、練習中はもちろんのこと、寮での私生活などにもかなり厳しく注意されて過ごす日々でした。

当然、理不尽なことも多く、一人がやらかせば全体責任。正直な感想を言うと、私が高1の時は先輩方がめっちゃ怖かったです。それでも、ひたむきに先輩の言う事やルールを守り、同級生と支え合いながら雑用などをする日々を1年生の頃は過ごしていました。

一方で野球の練習の方はというと、部員の数は100人を超え、同級生でも入学時は47名ほどいました。そのため、1年生のうちは声出し・球拾い・道具の手入れ・グランド整備・練習や試合の準備や片付け、など。基本的には雑用や手伝いが主な役割。3年生が引退し新チームとなってからは、徐々に練習に参加でき、試合に出たりベンチ入りすることもしばしばありました。それでも1つ上の先輩達も人数が多かったので、自分が試合に出れる機会などはほとんどありませんでした。
しかし、3年生ではずっと試合に出れるほどになり、最後の学年で悔いのないよう努力しようと決意し、苦しい練習にもひたすら耐えて頑張りました。
最終的な夏の甲子園の地方大会予選では、決勝戦までいきましたが、惜しくも敗れ地方大会予選準優勝で引退となりました。

☞ 厳しい環境の中での心境の変化

最初は、ワクワク楽しみとかほとんどなく、不安中の不安のそのまた不安と恐怖でしかなかったですね。こんな厳しい環境で、今まで親に全てのお世話をしてもらってた自分が、逆に自分で全てやる+練習+学校+雑用。なかなかのハードルでした。
正直、1年生の頃はもうひたすら何事にも耐える日々でしたね。笑
仕事で忙しすぎて逆に記憶にない、そんな経験ありませんか?そんな感じです。当然、辞めていく仲間も出てきて、自分自身も辞めて逃げたい気持ちでいっぱいでした。それも一回とかではなく、一年間の3分の1は思ってましたね。でも、辞めずに継続できた。というより辞めれなかった。

なぜか?

「もう無理!ほんまに辞めよ」と思った時、いつも頭に最初に出てくるのが「親の顔」と「地元の人の顔」でした。親や地元の人に怒られるとか、恥さらしに思われるとか、そういうことではありません。
決して裕福ではない家庭環境の中、高いお金を払って寮にまで入って野球をすることを許してくれた親の気持ち。息子である私の活躍の期待はもちろんのこと、一生懸命頑張って野球をし、それを応援するのが一番の楽しみと言ってくれた親の気持ち。私が地元を離れて寮に入ると知った時に、「ほんまえらいわ!頑張りや」と温かく見送ってくれた地元の人たち。
私にはこんなに恵まれた人たちが周りにいるのに、何をわがままを言ってるんだろ。辞めたら、親を含め、応援してくれてる人たちに顔向けできない。そんな気持ちになりました。それに、自分がやりたいと言ったことにも継続できないのかという情けなさだけが残りました。

でもそこで、苦しいながらもふと気付いたことがあったのです。

「自分に与えられた使命は、絶対にレギュラーになる!」ではなく、
「毎日一生懸命やりきる!最後の引退するまで諦めず努力し続けること」
だと。


当然、レギュラーを取る、試合に出て活躍する、これは誰でも当たり前のことでこの気持ちに変わりはありません。でもレギュラーになれそうになかったら終わりなのか?なれなかったら何が残るのか?そんな事をよく考えていました。その時に先ほどの言葉が思い浮かんだのです。当時は分かりませんでしたが、今でいうと「結果よりも、やってきたプロセスが大事」ということです。
これが分かった瞬間、気持ちが楽になり、厳しい練習などに変わりはないけど、最後まで努力し続ける意志と決意ができました。
それから毎日練習後にさらに自主練を2時間行い、「やれることは全てやる」という思いでした。
最後の最後、ほんとに引退するまで誰が何と言おうと絶対に諦めない。後悔しないくらいやり抜く。そうすれば、結果として最終的にベンチ入りできなくても、胸を張って親に謝れると思いました。
結果的に、最後の地方大会予選のベンチ入りはできませんでした。練習試合にはずっと出場し、直前の大会にもベンチ入りしてたので、最終選考でギリギリ外れた感じですね。
正直、めちゃくちゃ悔しかったですね。でも、自然と涙は出なかったです。
コーチには「聞いていいか?選ばれんくて泣いたりとかないの?」と言われたのを覚えています。何て答えたかは覚えてませんが、僕の中では"やり切った"と気持ちと、これだけやって勝てなかったチームメイトだから、「やっぱお前らすごいわ」と心底思い、自然と応援したくなりました。だから、涙が出るというより、こいつらなら任せられるという安心感の方が大きかったです。おそらく聞いてきたコーチは、泣いてないから悔しくないと思っていたのでしょう。私の陰の努力は知らないですからね。悔しかったら泣くことは多いですが、やりきると違う感情が出てくるもんなんですよね。

当然、親に電話して落選したことを伝えました。申し訳ない気持ちは強かったですが、やれることはやったので胸を張って「ごめん、ベンチ入れんかった」と伝えました。そんな状況にも関わらず母親は、「十分頑張ったやん」と。その何気ない一言に涙が止まりませんでした。(当然母親には泣いてるのバレてないし、言ってもないので今でも知りませんよ。笑)

そんな、何気ない言葉に、私の心は軽くなり、高校野球生活の努力が報われた瞬間と思いました。

☞ 高校時代に培われたもの

一番大きなことは、やはり「努力すること」ですね。そしてその「努力を継続すること」「勝手に諦めないこと」。要は「プロセスを大事にする」ということです。結果は結果であり、結果は誰にも分からない。ならば結果を左右させるために「何をするのか」「どれくらいするのか」ということに気付けたのは、すごく大きな収穫となりました。そこから継続する力もつきましたし、厳しい練習にも耐えてやりきって乗り越えたという自信もつきました。
努力をするってのは口で言うのは簡単だけど、行動にするのは難しい。そして、それを継続していくのはさらに難しい。しかし、努力するというのはスキルでも才能でも素質でもなんでもないんです。誰でもできることなんです。誰でもできることじゃないから自分にはできないと思ってる人がいたら、それは「自分が努力しなくていい理由を探してる」だけなんです。だってその方が楽ですからね。つまり、「できるかできないか」ではなく、「やるかやらないか」なのです。

そして、そんな3年間を共に乗り越えた仲間とは、他とは比べ物にならないくらいの絆があります。嫌な事、しんどい事、辛い事、苦しい事って当たり前に逃げたくなりますよね。あの時、途中で辞めていたらおそらく後悔しか残らなかったことでしょう。でも、乗り越えたからこそ、苦しかったことも良い思い出となり、笑い話にもできます。こういった、"乗り越えた先には良いことがある"ということも学びました。

☞ 今だから言える過去のありがたみ、社会に出て役立つこと

過去に頑張った経験や乗り越えた経験があると、社会に出てすごく役に立ちました。礼儀正しく接することやルールを守ることはもちろんのこと、諦めずコツコツ積み重ねることで色んな知識を身に付けることもできました。思ってた結果でなくてもその過程が大事だからと思い行動していると、必ず何かしらの経験値を得られるようになり、それがまた自分のスキルアップにもつながってます。
努力することが大事ですが、努力すれば報われるわけではありません。努力すれば全員結果が出るわけでもありません。大事なのは「チャレンジ」であり「行動する」ことです。
もし私が高校時代に「なんや、めっちゃ頑張ったのに、最終的にベンチ入りできなかったから意味ないやん」と、そこから努力することを諦めていたら、今の私の思考には至らなかったと思います。そして、もっと緩い感覚で社会人生活を送っていたことでしょう。しかし、そうではなく「やれるだけやろう」「全力を尽くそう」「とにかくやろう」などのプロセスを大事にしてきたからこそ、今でも「行動することに意味がある」「チャレンジしよう」という思考になり、嘆いていても何も始まらない精神になってます。
現に私は、高校卒業後の進学先で、合格率10%代の難関資格を現役一発合格をしました。毎年学校で1〜2人しか受からない資格でしたが、高校の頃の精神で「やれるだけやろう!全力で!その結果不合格でも、後悔しないくらい」と強く思い、毎日めっちゃ勉強しました。仮に不合格でも「勉強で得た知識は身につくので得しかない」そんな事も思ってましたね。そして、当時一発合格したのは学校で私だけでした。めっちゃ自信になりましたね。高校時代に培われた自信が、さらなる自信を生みました。
そして、社会人生活で色んな荒波にもまれ、色んな職場や人間関係を経験しても、そこそこ余裕をもって強い気持ちと冷静さを保てることに役立っています。
あたかも辛い経験かのように捉えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこの高校時代があったからこそ今の自分があるので、本当に良い経験で良い思い出となり、心底あの高校時代に感謝しています。

私は現在スポーツトレーナーとして、逆にスポーツ選手を支える側・指導する側にいます。あの頃と立場が真逆です。そんな私だからこそ選手への思いも強く、トレーニングスキルだけでなく、気持ちの持ち方や努力することの大切さなど、色んなことを伝えていきたいと思っています。
単に試合に勝つ・負ける・出れる・出れないだけでなく、スポーツを通じて人間力を形成していける、そして私と同じように社会に出て「あの頃よく頑張ったな」と自信を持てるような人になってもらえるよう、トレーナーの立場としてこれからも選手たちのサポートをしていきたいと思います。

恥ずかしい話、この記事を書きながら当時を思い出し、なぜか涙が出てしましました(私泣くタイプではないので、記事を書きながら涙を流しているのも読者さんだけしか知らないことです)。辛かったとかではなく、大人になった今だからこそ分かる親の存在の大きさです。本当にすごく感謝です。


長々と読んで下さり、ありがとうございました。

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