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【 ボンボン版悪魔くん考察】「奥軽井沢」はどこにある?

「軽井沢」……日本人ならばその地名を一度は耳にしたことがあることだろう。

「長野県 軽井沢町」は現在の長野県・東信地方、佐久地域の標高950mから1200mの緩斜面にある高原地帯に位置し、古くから日本を代表するリゾート地として広く親しまれてきた。

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そんな風光明美な避暑地・軽井沢であるが、

実は、水木しげる原作『貸本版・悪魔くん』『悪魔くん千年王国』の主人公・松下一郎少年の住む別荘の所在地として登場することから、「悪魔くんシリーズ」の中では切っても切れないゆかりの地である。

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私は水木しげるオタクであり、「悪魔くんシリーズ」をこよなく愛している。

特に(一般的に「埋れ木真吾版」と呼ばれる)『ボンボン版悪魔くん』に登場する日本魔法「魔天道」を扱うミコという少女が”推し”キャラなのであるが、そんな彼女の居住の地としてもこの軽井沢が作中に登場する。

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つまるところ軽井沢はオタクにとっては「聖地」なのであるが、私はこの悪魔くんシリーズ内の聖地……「軽井沢」の扱いに対して大きな疑問を持っていた。


”奥軽井沢……そこに四百年まえに海のむこうから魔法が伝えられていた……。”

(「水木しげる漫画大全集コミックボンボン版悪魔くん」486pより抜粋)


これは『ボンボン版悪魔くん』15話「どくろのトミーの巻」冒頭で日本魔法「魔天道」の基本設定の説明がなされている部分の記述である。
そう、ボンボン版で魔天道が生まれたとされる場所は「軽井沢」ではなく、「奥軽井沢」と表記されているのである。

「”奥”ってなんだ????」

実のところ、この「奥軽井沢」という名詞は『ボンボン版悪魔くん』が初出ではない。「貸本版悪魔くん(1963年発行)」で松下一郎が居住している地も「奥軽井沢」とされており、作品内のサブタイトル(「奥軽井沢の別荘」)にもなっている。

私は考えた。わざわざ「軽井沢」ではなく「”奥”軽井沢」と表記されているからには世間一般で知られている「軽井沢」と、この「”奥”軽井沢」は異なる場所を指しているのではなかろうか?

悪魔くんシリーズ作中……しいては「ボンボン版悪魔くん」で述べられている、西洋から魔法の伝えられたとされる「奥軽井沢」は果たして一体どこにあるのだろう。

そして私は思った……

「推し(ミコちゃん)の作中での、生活圏および活動圏内がしりたい」

邪念一つを胸に秘め。私は、この謎を解明するため本格的なリサーチを開始したのだった。


1、存在しない地名「奥軽井沢」


まず結論から言うと、日本に「奥軽井沢」という公的な「地名」は存在しない。

「軽井沢町」に類する地名を調べると
「中軽井」、「旧軽井沢」、「南軽井沢」、「新軽井沢」……
などを挙げることができる。これらはいずれも軽井沢町内に存在する大字(地区名)である。
軽井沢町の他にも、軽井沢町に隣接する御代田町の「西軽井沢」、群馬県吾妻郡長野原町の「北軽井沢」……など軽井沢に由来する大字・地名を周辺地域に多数確認することができる。

しかしやはりいずれの町にも「奥軽井沢」という公的地名・字名は存在しなかったのである。

次に「奥軽井沢」という名称をGoogle マップ上で調べてたところ群馬県吾妻郡嬬恋村に存在する「奥軽井沢温泉」がヒットした。


この奥軽井沢の名を冠する温泉について詳しく調べると、安達事業グループが平成15年に「ホテルグリーンプラザ軽井沢」敷地内にて採掘・湧出した温泉の源泉名として命名されたものであった。
(ググっとぐんま観光宣伝推進協議会HP参照: https://gunma-dc.net/tourism/1177/ )
しかし地図上でヒットしたのはこの「奥軽井沢温泉」のみ。
そこで私は一度地図から離れ、「奥軽井沢」に関係する物品から奥軽井沢という地名のルーツ・所在を探れないかと考え、リサーチを試みた。


すると「嬬恋名水株式会社」が販売している天然水が「奥軽井沢の天然水」という名で商品展開されているのを発見した。詳しく調べてみたところ「嬬恋名水株式会社」の所在地はやはり奥軽井沢温泉同様、群馬県吾妻郡嬬恋村となっていた。
(嬬恋名水株式会社HP参照: http://www.tsumagoi-meisui.com/tumagoimizu.html

どうやら「奥軽井沢」という名称が使用されている物品および地名は、「群馬県 吾妻郡嬬恋村」と何らかの関係があるようだ。


「奥軽井沢」とは長野県軽井沢ではなく群馬県にあるのか?
であれば、そこはいつから「奥軽井沢」と呼ばれているのか?

私はそれを確かめるべく、裏どり調査へと移った。


2、「奥軽井沢」の歴史

「奥軽井沢」は果たして本当に群馬県 吾妻郡嬬恋村にあたる言葉なのだろうか?
それを明確にすべく、私は東京都のど真ん中。千代田区永田町にある国立国会図書館へと向かった。

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国立国会図書館オンラインで「奥軽井沢」を検索すると、最古の検索結果は1962年発行「実業界 9月号」という情報雑誌であった。
その誌面内の「奥軽井沢にニュータウン拓く日本興業 (p68~71)」には……

“奥軽井沢といっても分かりにくい方が多いと思うが、ここは例の奇岩、溶岩の集積で有名な「鬼押出し」のすぐ下に当る。” (実業界9月号 p70抜粋)

という文章が記載されていた。
ここに記載されている「鬼押出し」というのは群馬県西部浅間山北斜面の溶岩流の名称である。

群馬県と長野県の県境に位置する標高2,568mの浅間山。

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軽井沢町も嬬恋村もこの山の膝下に位置するのだが、この浅間山で天明3年(1783年)に起こった噴火(浅間山大噴火)によって生まれたとされるのがこの通称「鬼押出し」と呼ばれる溶岩地帯である。

現在この一帯は「上信越高原国立公園」の一部として「鬼押出し園」が開かれており、所在地は群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原となっている。

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同誌には「奥軽井沢を中心とした近郊略図」と題した略地図が掲載されており、それを見ると「奥軽井沢」は「鬼押出し」より北側一体を指すとされているようであった。

(※下記画像参照)

奥軽井沢 実業界


この略図を元に現在の地図を照らし合わせるとやはり「奥軽井沢」と呼ばれる場所は前項でリサーチした奥軽井沢温泉および「奥軽井沢の天然水」販売元の嬬恋名水株式会社のある奥軽井沢嬬恋村にあたると思われる。

また、国立国会図書館オンラインで「実業界 9月号」の次点に古い書籍とされた、1971年10月発行「新建築46(10)」には「住宅特集 作品 奥軽井沢の山荘(p237~243)」というタイトルで奥軽井沢の山荘とされる写真が掲載されており、その写真の撮影場所の住所は「群馬県吾妻郡嬬恋村」と記載されていた。

群馬県吾妻郡嬬恋村近辺が明確にいつごろから「奥軽井沢」という呼称を用いられるようになったかは定かではない(今後要検証が必要と思われる)が、少なくとも「実業界 9月号」の発行された1962年時点にはその地域を指す用語として使用されていたことは事実であると、断言して良いだろう。


【補足】
奥軽井沢に関する書籍リサーチの過程で2008年初版発行「東京近郊ミニハイク」という書籍の「碓氷峠 |軽井沢・長野」のページに「奥軽井沢の優雅な散歩道」というサブタイトルが使用されているのを発見した。
「碓氷峠」は長野県軽井沢町と群馬県安中市との県境沿いにある峠で、浅間山から見て東南方向に位置する。


該当書籍では嬬恋村とは全くの逆方向に位置する「碓氷峠」を「奥軽井沢」と称していた為、関連性があるのかを検証したが


・元々奥軽井沢という公的な地名は存在せず、「群馬県嬬恋村付近を指す俗称である」と明記されている過去書籍(「実業界 9月号」他)が多数存在すること。
・「奥軽井沢」という地名の定義に対し、現在検証と裏付けが書籍・ネット上でほとんど行われていないこと。
・該当書籍の発行された年代が近年(2008年)のものであり、史料としての価値が低いこと。


以上から該当書籍の指す奥軽井沢は本来の奥軽井沢(嬬恋村)とは全く関連性がなく、従来の意味とは異なった誤用であると推測している。


3、「軽井沢」から派生した地名の謎

さて、ここまで本記事は、公的に存在しない地名「奥軽井沢」の謎を追ってきたが、なぜ軽井沢周辺には軽井沢から派生した地名がここまで多く存在するのだろうか。

そもそも「軽井沢」の避暑・リゾート地としての歴史は非常に古い。


元々軽井沢の地は、江戸時代に中仙道の難所・碓氷峠を越えるための宿場町として大いに発展していた。
しかし時は流れ明治維新後。碓氷新道(現・国道18号線)の開通によって、中仙道を利用する必要がなくなったため一度その賑わいを失いかけることとなる。

そこに現れたのがイギリス外交官、アーネスト・サトウである。
イギリス公使館の職務のために来日した彼は1881年に母国・イギリスで日本のガイドブック「明治日本旅行案内」出版する。
それを読みこんで明治18年(1885年)に軽井沢を訪れた、カナダ人宣教師A.C.ショウが軽井沢を「屋根のない病院」と称し、毎年家族や友人の宣教師を誘って訪れたことをきっかけに軽井沢は国内外に広く紹介されるようになり、軽井沢は富裕層向けの避暑地として別荘やホテルが多く建設されることとなったのだ。

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こうして明治時代に国内外に広く裏打ちされた「軽井沢」の人気は、第二次世界大戦後も衰えることはなく更に開発の一途を辿る事となる。


60、70年代の高度経済成長期〜バブル時代の軽井沢町近辺のリゾート開発に端を発し、軽井沢というブランドが世間一般に周知された。

こうした歴史的背景から私は、「奥軽井沢」という名も「軽井沢」というブランドに肖ったプロモーションのために生まれた名だったのではと推測している。


4、結論

以上のことを踏まえ、過去および現代で知られ使用されている「奥軽井沢」の解釈の通りに「ボンボン版悪魔くん」を読むのであれば、

ミコおよび日本魔法「魔天道」の活動地域である「奥軽井沢」は

浅間山南に位置する長野県軽井沢町ではなく、浅間山北に位置する現・群馬県吾妻郡嬬恋村付近の事を指す

というのが私の出した結論である。


ただし、これらの考察はあくまで事実に基づいた「仮説」にすぎない。

実在の地名が扱われているとはいえ、制作関係者から「奥軽井沢」という地名がどのような意図を持って作中で使用されたのかが明確にされていない以上、全ては私の憶測であり想像にすぎないのである。

ぶっちゃけ。

今回、この記事を書いたオタクがボンボン版に登場するミコ推しだった為、彼女と該当作品を中心に話を進めてきたわけだが

前書きに記載した通り「奥軽井沢」という言葉が、悪魔くんシリーズ内で多く用いられたであろうそもそものきっかけは、シリーズとして初の作品であった「貸本版悪魔くん(1963年発行)」にそう記述されていたからであり、のちのシリーズ作品である「悪魔くん千年王国」「悪魔くん世紀末大戦」でも同様にそう記述されていることから「ボンボン版悪魔くん」も過去シリーズの「奥軽井沢」の記述・設定を引用したに過ぎないのではないかと思われる。

ではなぜ最初に「”奥”軽井沢」だったのか。

悲しいことに水木御大亡き今、それを直接きくことはもはや叶わぬことである。

しかし、このように地名・歴史的な背景を事実と並べて説き解すことで、様々な視点で物語を紐解き読むことができる。

もし13歳のミコちゃんが人間界の公立校に通っているのであれば、きっとその学校は群馬の嬬恋村にあるだろうし、本来の生活圏も同様に嬬恋村になるだろう。

また仮にミコちゃんの在住地が嬬恋村であるならば、作中で悪魔くん(埋れ木真吾)、メフィスト2世と共にわざわざ山向こうの軽井沢町に行ったのはなぜだろうか。

人目をはばかって?

近隣の観光地を悪魔くんとメフィスト2世に案内してあげるため?

……土地一つ取っても、様々な想像を膨らませ、大いに巡らせることができる。解像度が一つあがるような感覚でまた私たちに違った楽しみや発見を与えてくれるだろう。

最後に、もしもこれを読んでくださった方にこうした情報と視点を共有・提供できたのであれば、私も書き手冥利に尽きる思いである。



〜出典・参考〜

【参考HP】
・ググっとぐんま観光宣伝推進協議会HP(https://gunma-dc.net/tourism/1177/)
・嬬恋名水株式会社HP(http://www.tsumagoi-meisui.com/tumagoimizu.html)
・鹿島建設株式会社HP(https://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki32/index-j.html)
・軽井沢観光協会公式HP 「軽井沢高原の風土」(https://karuizawa-kankokyokai.jp/knowledge/271/ )
・軽井沢新聞 軽井沢が見える万華鏡軽井沢が見える万華鏡 No.9(https://www.karuizawa.co.jp/newspaper/special/sp_9.php)

【出典・参考書籍】
・1962年「実業界 9月号」
・1971年「新建築46(10)」


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