自分を裏切った人を責めるな

自分を裏切った人がどれだけ悪い奴だったかをとうとうと語る人がいる。「貸した金が返ってこない。あいつはクズだ」とか「元カノに浮気された。あいつはくそビッチだ」とか。そりゃ裏切る方が100%悪いよ。でもその人を信じるって決めたのはあなただよね?と思う。10代の子にそんなこと言っても意味ないかも知れないけど、20年30年と人間関係やってきて人を見る目をまったく養ってこなかったんかい?と言いたい。

「裏切られた方も悪い」って言うとドライ過ぎるけど「裏切られてかわいそう。変なのに捕まって運が悪かったね」っていうのもまたウェット過ぎるように思う。誰かを信じた時点でどうしたって裏切られる可能性は生まれるものだ。そのリスクを背負った上で信じる。だからこそ信頼関係は美しい。ハイ信じますよーでも裏切ったら訴えますよーでは本当の信頼関係と呼べない。後々自分を裏切るような人を信じると決めた側にも反省すべき点があるはずだ。

裏切られたときはなぜこんな人を信じてしまったのかと考える。あの時の仕草、あの時の言い方、あの時の笑い方に何か違和感を感じ取ることはできなかっただろうか。あの時一瞬目が泳いだ気がしたな、あの時一瞬言い淀んだ感じあったな、なぜあの時その違和感をスルーしてしまったのだろうかと考える。振り返れば裏切るようなヒントがあったかもしれない。後からそんなこと考えてもただの結果論に思えるかもしれないけど絶対に将来役に立つ。「あれ、この違和感、あの時のあいつに似てる、、」と気付ければ少しは警戒できる。裏切られた経験のある人ならわかるだろうけどその警戒ができるかできないかは大きな違いだ。

「あいつはクズだ」「あいつはくそビッチだ」と責める前になぜそのクズやビッチを信じてしまったか考えないと別のタイプのクズやビッチに出会ったときにまた信じてしまうだろう。

自分を裏切った人を責めるのは簡単だ。でも辛くてもそんな人を信じた自分の中に反省点を見つける。それが先々の人間関係の糧になる。

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