見出し画像

筋ジス協会で働く50代女性が「仲間」に向けるメッセージ

オフラインでは一般論として年齢の上下関係が根強く残っている。これは儒教の名残かと私は嘆いていた。
反面、SNSでは会うまで容姿や年齢がわからないことが多い。それゆえ親子ほど歳が離れていても交流ができる。これもSNSの醍醐味であろう。

今回も私と仲間が行なっているインタビュー企画「マイノリティスポットライト」にゲストを招いた。
これは先天性障害者にインタビューし、障害を掘り下げる人間的探求である。

今回、お話を伺ったのは日本筋ジストロフィー協会某支部で働く50代女性の宮永(仮名)さんだ。

彼女自身も筋ジストロフィーを患っており私とは友人主催のリモートを通して知り合った。
参考までに日本筋ジストロフィー協会のwebサイトにある筋ジストロフィーについての説明を引用しておく。

筋ジストロフィーは、身体の筋肉が壊れやすく、再生されにくいという症状をもつ、たくさんの疾患の総称です。平成27年7月から、指定難病となっています。
我が国の筋ジストロフィーの患者数は、約25,400人(推計)です

日本筋ジストロフィー協会 公式サイト

タロウ「仕事は筋ジス協会なんですか?」

宮永「そうです。最初は病院で働いてて。病院で働いてるからバリアフリーかなと思ったんだけど、事務の方はバリアフリーじゃなくて。それでだんだん大変になってきて。それをやめて、障害者雇用枠でJAに入ったんですけど。ヘルパーさんがいないとトイレとかの立ち上がりが大変っていうことでそこを辞めて。筋ジス協会〇〇支部事務局の人が辞めるっていうので、じゃあ手伝いがてらいきますよっていう話をして、手伝っている間にそっちが仕事になった。仕事というか完全に仕事ってわけじゃないんですけど。そんな感じでやってます。」

宮永さんと私は同じ県に住んでいて彼女の職場は私が通院している病院と隣接していることがわかり病院事情などで大いに話は盛り上がった。仕事の日は各種申請書の作成などの事務職をしているという。

核心となる質問に入る前に現在の障害の度合いについて聞いてみた。

宮永「そんなになんていうかな呼吸器もつけないし腕は上がるけど、動くけど上がらない。

タロウ「なるほど。じゃあこういうパソコンをするじゃないですか。」

宮永「それは大丈夫。」

タロウ「じゃあ、普段生活ってヘルパーの方とか入ってます?」

宮永「ヘルパーは、居宅を週2回、火曜と木曜。仕事に行く日に居宅で入ってもらってるのと、月水金を重度訪問。」

ご主人と二人暮らしの宮永さん。2019年から海外に行っていたご主人が去年帰ってくるまでヘルパーの人手で足りなかったりと少し苦労したようだ。
居宅から重度訪問介護に見直そうとした際に市の行政から「どちらか一方しか選べない」と言われたと言う。
話し合いの結果、重度訪問介護の比率を上げるという条件で特例として併用を認めてもらえたという。

制度を含め、行政に対する不満があるようだ。もっともこれは彼女に限ったことではない福祉サービスを利用する人の多くが感じていることだ。

私は福祉に関してはまだまだ勉強不足である。界隈の事情に詳しい宮永氏に気になることを聞いてみた。

タロウ「筋ジス協会で働いてるってことですけど、ヘルパー不足って全国的なものなんですか?結構断られたりするんですか?」

宮永「全国。うん。人手がいない。だから今もいくつもの事業所、居宅とかで重訪(重度訪問介護)もそうなんですけど全介助じゃないから。立たせられなくて「この人しか入れません」みたいな。」

タロウ「ヘルパーさんでもそっかスキルっていうか ノウハウにもよるってことね」

宮永「そうそう。その人が来れない時は他の事業所に頼む。」

タロウ「ありがとうございます。すごい勉強になります。質問なんですけど…抽象的な質問になるんですけど。障害を肯定的に捉えてるかそれとも否定的に、悪いものだなと捉えているか教えてください。」

宮永「行政の制度に対しては悪いと思ってて。全然良くならないから。自分が障害になったっていうのは最初は すごいショックだったけどま矯正していくしかないというのがあるから。これが筋ジスというのは筋力がどんどんなくなってくから。じゃあこれができなくなったらどうすればこれまで通りできるかなって言うふうに考えるようにしてます。」

タロウ「これって小さい頃からそうでした?」

宮永「病気がわかったのは中学2年。高校とかぐらいは普通の高校に行ってたから一緒に仲間とかとねあれしてたけど。社会に出てから認めてもらうために知ってもらうというのがあったから。」

タロウ「その頃って病気に対する認知もされてないと思うんですよ。大変だったんじゃないですか。」

宮永「そうだからなんかこう歩くのが大変になってきて自分では歩けるけどぶつかって転んじゃったら立てなくなるとかねそういうのがあったから杖をつくようにして周りに知らせるとか。ていう感じではちょっとずつダメになる前から発信してた感じ。」

タロウ「杖っていつ頃からついてました?」

宮永「30前くらい」

タロウ「車椅子は?」

宮永「車椅子は35くらい。」

タロウ「あのさっきに近い質問ですけど陳腐な言い方ですけどいわゆる障害受容をしてますか?」

宮永「そういう点はえっと、健常者っていう言い方は変だけどそういう感じに合わせるためには色々な制度を使うと思ってる。」

タロウ「うん、なるほど。じゃあ悩んだり葛藤したりというよりなんかこうどうすればいいかなってその都度考えるっていう?」

宮永「うんうん。」

タロウ「あれですか。みんなあのー、先天的に病気のある人とか障害のある人って最初からそうだからまあしょうがないかなっていうスタンスの人が多いし私もそうなんですよね。宮永さんもそっちに近いのかな。」

宮永「うーん。できれば使いたくないから普通にしたいけど。まあ色々なんかね、せっかく仕事で働いてて年金かけてたのに年金もらう時期になったら自分でかけてた年金じゃなくて障害年金かどっちかみたいに言われるでしょう。二者択一に。そういうのがあるなら使える制度は使ってやれみたいな感じ。」

タロウ「それはわかる。前向きと言うか現実的というか。」

宮永「そう言うのを知らない人がいるから。だからこういうのがあるよ、こういう時にはこういう風に使える。でもこういう時はダメだよっていうのをやっぱ教えてあげるためにはある程度その福祉課との関わり持ってた方いいかなっていうのもあって。」

タロウ「なるほど。あの、動画の最後でもしよければ匿名でnoteの記事にしたいんですけど。みんなに伝えたいことがあれば後で言ってもらいますか?」

宮永「ああ、わかりました(笑)」

タロウ「両親について。家族構成が分からないんですけどご両親はその宮永さんの障害に対してどういう態度やスタンスでした?」

宮永「父はね全然関心持たない感じ。病気になっちゃったものはしょうがないだろう。どのうち治るんじゃねぇかみたいな。そういう感じの人だったけど母はまあできれば変わってあげたりとか。なんかそういう新しいものがればそういうのどんどんうん。こう試させてあげたいけど先立つものないよね、みたいな(苦笑)。」

先天的に障害を持つ子供がいる場合、父親が無関心であることが多い。これはもともと昭和世代の男性が家庭に無関心であることが多いことを考えれば当然かもしれない。
一方で彼女の母親は感情的な面があるらしく態度の悪い中学の担任に啖呵を切ったこともあるようだ。

タロウ「何かやりたいことがある場合は反対されなかった?」

宮永「うん。どんどんやれって言った。」

タロウ「おお、いいね。」

宮永「そう。だからあの、スキューバダイビングする時もずっと悩んでたんだけどやってみなで悩まないでとりあえずやって…。」

タロウ「スキューバダイビングやってたんですか!?」

宮永「うんうん。」

タロウ「次の質問なんですけど、現状に満足してますか?」

宮永「現状…生活…満足してるのかな。そういう制度的な、ヘルパーが不足してるとか。あと家族の収入になることに対しての負担額とかあるじゃない?私を対象にして欲しいなっていうがいつも。」

タロウ「なるほどなるほど。ではこれからの夢か目標はありますか?」

宮永「出かけたいのはある。海外行きたいとか色んなのはある。いっぱいいっぱいありすぎて(笑)」

タロウ「ではnoteの記事通して読者の方に伝えたいことがあれば。制度のことでもいいんで。」

宮永「とりあえずやってみたいこととか行ってみたいところはヘルパーさんなり親なり友達なりを通して行ってみて。できないことはだんだんどういう風にしたらできるかとか。お店とかもね段差があって入れないっていうのが分かったら変えてくれるお店もいるし。とにかく外に出て自分たちに障害がある。こういうことがあってできないっていうことをどんどんPRするべき」

タロウ「うん。」

宮永「うん。前、私がその病院で働いているときね。病院の看護師さんたちと成田山新勝寺あるじゃないですか。うんあそこにね毎年みんなで行ってた。最初はあそこすごい石段の階段で。じゃないと境内に入れなくって。すごい遠回りしないと境内まで行けないっていうのがあったんだけどそしたら毎年通ってるうちにエレベーターがついて。まず境内に上がれるまでのエレベーターがついた。そしたら今度本堂に入るところも上がれるエレベーターがついて車椅子の人はこちらからどうぞっていうスペースを設けてくれたりとか。」

タロウ「うんうん。」

宮永「あと車椅のトイレも1個なんかこれ後付けだけどとりあえず作ったよなっていう車椅のトイレだったけど、あっちにもこっちにもとか。だんだんできてきたりとか。車椅子はこちらにどうぞっていうスロープの案内マークとかついてくるようになったりとか。自分のためっていうわけじゃなくてやっぱりそういう不便な人たちのために慣れる…こう同じように繋がれるようなことをしてきてくれるところはいくらでもあるとは思うので。とりあえず行ってみるべき、出てみるべき。とにかく外に出て自分の障害を分かってもらう、周りの人に理解してもらうっていうのはすごい大切だと思ってます。それに対して嫌な思いとかはするかもしれないけど。」

タロウ「もちろんそうでしょうね。それも含めてそれでもやるべきだと。」

宮永「うんうん。そしたらそれでやっぱりダメだっていう時それこそ行政に相談することも大切。」

タロウ「とにかくアクションを取るべきだと。」

宮永「そうそう。」

タロウ「それはおっしゃる通りだと思います。やっぱり障害があるとどうしても引っ込み思案というというか。」

宮永「あそこ段あるし行けないやじゃなくて行ってみて、じゃあお店に入れないからテイクアウトさせてください、そこのお店のものを食べてみたいのであの持ち帰りできませんかと 。なんかこうアクションしてみるべき。」

タロウ「なるほど、分かりました。当然そういう相手からいいリアクションもあれば悪いリアクションもあるけどそれでもとりあえずアクションを起こすべきだってことね。」

宮永「うんうん。絶対にいいことの方が比率は上がってくる。」

タロウ「それはもうおっしゃる通りだなって思います。はい、ありがとうございます。すごいなんか納得っていうか今までで1番勉強になりました。いやあの、まきさん(ゲストである宮永さんを紹介した人物で同じ年齢)もそうだけどやっぱり今までなんて言うかな…自分より障害の経歴長い知り合いがいなかったんで。ベテランの人だと勉強になる。インタビューではなく個人的にまた雑談ってことで話し相手をしていただければと思います。」

宮永「いつでもお時間がある時に(お辞儀)。」

タロウ「今日は本当ありがとうございました。」

宮永「いえいえありがとうございました。」

今回は福祉に関しても彼女の人間性についても啓発的なインタビューになったと思う。
特に最後の障害者の読者に対するメッセージはとても重要なものである。私もこの内容については全面的に同意する。
健常者もそうだが身体障害者の場合は特に行動することが求められる。行動に制約が伴う障害者に行動が求められるのは一見奇妙に思えるかもしれない。
だが、障害によって生じる不自由さ、そしてその生活に適応するためには考え、そして行動し変化に適応しなければならない。
先天性の障害の状況が悪化することは珍しくない。それは生活も変えなければならないということを意味する。

宮永さんのアドバイスは具体例もあげているのでわかりやすい。障害者として生きるうえでもっとも重要な点が含まれていた。
もっとも中にはいうは易しだという人もいるかもしれない。特に内向的な人は知らない人に話しかけたり助力を乞うのが苦手という人もいるはずだ。
だが自分が保守的なままで楽しい生活ができるほど身体障害の世界は甘くはない。障害によって生活は変わりその人の人生も変わる。

障害のある生活環境に適応するためには自分を行動を変える必要があるがその前に自分が変わらなければならない。
できなれば埋没するだけだ。今回のインタビューで語ってくれた宮永さんの最後のメッセージは経験と障害者の実情を背景とした啓発であり決して単なる綺麗事ではない。綺麗事は「実戦」では役に立たないのだ。

若い障害者ほど「筋ジストロフィーの母」のアドバイスの恩恵は大きいはずだ。この記事を通してそれをお届けできれば望外の喜びである。

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートお願いします!記事作成、マイノリティー研究の活動費にしたいと思います。