テレコテーション02

日中のラブホテル街には、互いにはしゃぎながら自宅のマンションのような自然さでホテルに入っていくカップルもあれば、日陰の中を縫うように目立たず、ある瞬間、消え入るかのようにそっと入っていくカップルもいる。

どちらにせよ、やることに変わりはない。

10時を少し回った頃の太陽の日差しは強烈で、この場に巣食う人間の姿を白日の元に晒そうと躍起になっているかのようだった。

有象無象のラブホテルの中で、スターウォーズと古代ギリシャを足して2で割り、猥雑さを足したようなサイバーエンタシス感の溢れた外観に惹かれ、ホテルに入る。

照明の落ちた暗いエントランスに人影はなく、それぞれの部屋を写したモニターがぼわっとわびしい光を放っていた。

僕が空室の部屋の1つのボタンを押すと、下の受皿に鍵が降ってきた。見覚えのある細長い四角形のキーホルダーも健在だ。

エレベーターが扉を開けて待っていてくれた。上にあがり、ラトソル土の色をした廊下を渡った。あまりにも人の気配がないので僕はKANの『東京ライフ』のさわりを口ずさんだ。

部屋は白を基調とした床がエナメル質のようにつるつるとしていて、電気をつけると光の白い筋が浮かんだ。

ベッド、ソファ、冷蔵庫付きのサイドボード、壁掛けテレビがコンパクトに収まっている。浴室とトイレは別々だ。

取り急ぎ、僕はベッドに雪崩れ込み、疲れた身体を休めた。5分ぐらいごろごろした後で、スマホとJBLのイヤホンケースをポケットから取り出す。

「それでは次です。菊地さん、4月の際にこんばんは。はい、こんばんは。前回、小説文体の質問をしたラジオネームつかさです。」

ベッドの上の天井には扇風機よりも大きい形の羽根が吊るされていた。調べてみたらこれはシーリングファンという名称で空気の循環に使うらしい。

仰向けに寝そべり、ゆっくりと優雅に回転するウイングを目で追いながら、菊地さんの大恐慌ラジオに耳を傾ける。今回は映画に関する質問に菊地さんが答えてくれる回だった。

何通目かの質問が呼ばれた後に僕のメールが読まれる。冒頭、たくさんのメールが届いているので、全ての質問には答えることができないと菊地さんが話していたから、少し心配だったが安心した。

「質問にご回答いただきありがとうございます。ラジオを通して菊地さんと交流ができたことに胸が熱くなりました。あ〜、なんかありがたいお言葉ですね。加えて他の質問者の方に、マクドナルドでコーヒー片手に小説書いてるよりよっぽど文学的と…ごめんなさい、本当に。」

ツボにはまったように菊地さんの笑い声が耳にこだまする。

「コメントをした菊地さんのアイロニックなくすぐりに、創作熱が大いに鼓舞されました。あぁ、くすぐりと受け取って頂き、大いに鼓舞されたのであれば本当に幸いです。重ねてお礼申し上げます。ただ、アイロニーじゃないよ。あの、アイロニーじゃないの。文学志望者よりも時折、精神病たとえば自閉症なんかは精神病って言っていいかわりいか、それこそボーダーラインにある症状ですけれども、そういう全然文学者になるつもりのない文章が文学的であったり、あの物語が書きたい、小説が書きたい書きたいと思ってる人の文章が、そういう人と比べて、それこそ当社比でね、おんなじ番組の中で並んだときに、文学的でないという風に比較級になってしまうっていう現象は、これは避けられないですよ。そして、それを、まぁ、つい口が滑ってしまったんで。なんか、すごい意地の悪いね、この人は小説が書きたいんじゃなくて、かっこいい文章を書いてチヤホヤされたがってるだけの人だ、とかいうコメントがあって、ボクそれにアンサーしてないですけど。あなたがそういう方じゃなくて、本当に小説書きたいんだってことは理解してます、よく。ただ、前も言いましたけど、書けない、できないことに対して目的格を置いて努力しても人間はできませんので。あの、一回そこは放念してください、手放してください。あの、でもこの人ガッツがあるからね。大いに鼓舞されたんだ、良かったですね。」

前回の放送で、僕の後に質問をした人が、自分は自閉症的傾向があり、物語に興味が持てず、全てが断片的でバラバラの世界を生きてる感じがすると言ったことに菊地さんは僕のメールよりも文学が宿っていると話したのだ。

確かにこの方の質問内容は僕なんかよりも奥がずっと深い。文章も理路整然としていて、菊地さんのいうように知的な響きがある。

しかし、この人は本当に現実としてこういった症状なり世界観があるのだろうか。

僕はフロイトの『精神分析入門』の上巻しか読んでなく、しかも後半に進むにつれて、彼独特の怒涛とも言える文体の波に翻弄され、気がつけば、最後のページに座礁していた人間であり、ラカンについては菊地さんと親交のある精神科医の斎藤環氏の著作『生き延びるためのラカン』を図書館で借りて読んだが、最後まで読み通すことなく返却してしまった程度の人間だ。だから、精神医学に知見などがあるとはとても言えない。

ただ、これは僕の個人的印象だが、この人は、菊地さんの関心を惹くために、敢えてラカンの鏡像段階理論に沿った〈物語〉を創ったのではないか。

5歳の頃も今日の生活も、どちらも現在なのだというこの人のアフォリズム的感想は、それこそ、意地の悪いコメントを改変して、この人は本当は自閉症的傾向や特異な世界観があるのではなく、単にそれっぽいことを書いて菊地さんの関心を買いたいだけじゃないかと勘繰ってしまう。

まぁ、でも菊地さんの放送を聴いて、あまつさえ質問を送るような人間は、僕も含めてみんなそうだとも言えるが…。

地方公務員になりたての頃、仕事や人間関係で自己嫌悪に陥っていた僕は、ほんの一時期西新宿にいるホームレスからビッグイシューを購読していたことがある。そして、その本の中に、自閉症者でありまだ未成年の作家が連載を持っていたが、彼は〈物語〉つまり小説が大好きであったし、彼の文章の中には、自閉症者であることへの痕跡がありありと伺えた。

この作家が特別で、一般的自閉症者は物語に興味がないのかもしれない。知識のない僕には分からない。ただ、この人の質問に理知性は感じても病理性は感じられない。

「さて、今回は映画についてのご質問にご回答頂けるということでしたので、質問をさせて頂きます。俳優のヴィンセント・ギャロと彼の監督した作品について菊地さんの批評をお伺いしたいです。私は俳優の中で誰が1番好きか?と質問を受けた時に、ヴィンセント・ギャロ、と答えています。監督、俳優業以外にも音楽、絵画、服飾デザインなど、その活動は多岐に渡っており、外貨獲得やグルーピーとの邂逅を目的とした彼の二度のブルーノート東京公演…ふふ、よく知ってるじゃないですか、にも足を運んでいます。はいはいはい。監督作、出演作を問わず、彼のナルシシズムと神経質さによって生じる諧謔性が好きです。もし、全く関心がなく、語るべきことがなかったらすみません。なにそつよろしくお願い致します。」

ラブホテルの内側には窓がない。存在しないのではなく、外側から板を打ちつけて塞いでいる。これは周囲からの覗き見や盗撮を防止するためだが、利用者がプレイの一環として、自分達の行為や喘ぎを意図的に露出するのを阻止することも兼ねた相対策である。と、僕は踏んでいる。

今いる部屋は、ラブホテル全体の一部である。しかし、隣の部屋で何が行われているかは知る由もない。

昔、友人は、僕と同じように単独でラブホテルを利用した際、隣室の性行為の音が聞こえてきたので、何を思ったか、手で拍子を取りながら、ビートルズの曲を歌い始めたという。

この奇行は、本来ホテルの部屋は相互に独立した存在であり、お互いが混じり合うことが通常はないのだが、部屋の機能に欠陥が生じたせいで、その独立性が不全になってしまったことによって生じた。

そもそもこの不全こそが友人の混乱を招き、そしてそれは隣の性行為をしている2人にも伝播した可能性がある。まぁ、だとしても愛し合う2人にとっては、傍迷惑な雑音でしかない気がするが…。

僕は昔、付き合っていた女の子に俳優の中で誰が好きかと聞かれて、ヴィンセント・ギャロと答えた。彼女が誰を好きと言ったかは覚えてないが、彼女はヴィンセント・ギャロの『Buffalo66』は知っていたが、ギャロ自体は知らなかった。僕は寄せばいいのに、もしヴィンセント・ギャロから求められれば、自分は彼の性器をフェラチオすることもできると言った。

なんでこんなことを言ってしまったんだろう。

恐らくこれは、彼の2作目の監督作『the brown bunny』の中で、クロエ・セヴィニー演じるデイジーが、ギャロ演じるバドのペニスを咥えるシーンがあったことと無意識に関係しているかもしれない。

勿論、そんな関係性をしらない彼女は、僕の発言であからさまに気分を害した。そのことが別れたことの遠因になったのかもしれない。

 僕が初めてブルーノート東京の敷居をまたいだのは、ヴィンセント・ギャロのライブである。渋谷駅から宮益坂を登り、青山学院大学や国連大学を通り抜けて、骨董通りを右に折れて少し歩いた先にあった。僕は1人だった。僕と同じくらいヴィンセント・ギャロが好きな人間が、僕の周りにはいなかった。

正装した黒人のガードマンが店の前に立っているのを見たのも初めてで、僕は近くのコンビニの前で煙草を吸いながら、ちらちらと横目で見ていた。

もし、路上喫煙を防止するのなら、僕はガタイのいい黒人を配置するのが、最適であると思う。煙草が嫌いなのではない。日常的に煙草を吸うのは3、4年前に止めたが、時々我慢できないことがあったときには煙草を吸う僕は喫煙者の一員でもある。そんな僕ですら生活圏で歩きタバコをする輩を見かけるとイラつくし、路上喫煙の制服を着たリタイアした老人の頼りなさにがっかりする。

「えっと〜、これもぶっちゃけて申し上げますが、アイロニーでもなんでもなく正直なことを申し上げるならば、あまりヴィンセント・ギャロは、1番好きな仕事としては服飾デザイン、かなぁ。ギャロの服はいいよねぇ。うん、絵も嫌いじゃない。でも音楽家、俳優としてのヴィンセント・ギャロは、ボクのね好みかどうかっていう単に体質の話ですよ。体質の話として好みかどうかって言われると、そんなに好みではないんですよ。ギャロには神様がいない感じがしてね。ボク神様がいる人が好きなんで。簡単に言うと。」

神様。うわぁ。

神様か。うん、ギャロに神様はいないな。僕の質問の前にディビッド・フィンチャーがあまり好きではないと菊地さんは話していたけど、フィンチャーも神様がいなそうだな。

でも、僕はフィンチャーの作品もかなり好きだ。

僕は神様がいない人が好きなのかもしれない。

ここではないラブホテルに入ったときに、木製の古びた作業机が部屋にあった。それは他の部屋にあるものと比べて明らかに浮いていた。

セックスが終わり、相手が眠ったあと、僕は試しにその引き出しをそっと開けてみてびっくりした。

中に聖書が入っていたのである。

おそるおそる手に取り、その重さを手で確かめてパラパラとめくった。そして、ここに聖書がある意味を考えた。

あぁ、そういえばベルドナルド・ベルトリッチの作品『ラストタンゴ・イン・パリ』の中で、マーロン・ブラント演じるホテルの支配人が、マリア・シュナイダー演じる女優志望の女の子とアナルセックスをした時に、聖句を口ずさんでいたっけ。もしかしたら、それに被れたカップルが、ここで再現したのかもしれない。だとしたら、マジでシネフィルな奴らだな。

ホテルを出て女の子と別れた後、僕は無性に聖書が欲しくなって、吉祥寺の古本屋にあったのを1,000円出して購入した。ただ、時々、思い出したように頁を開くぐらいでえんじ色をした栞の紐は旧約聖書の民数記で止まっている。

「ギャロは無神論がすごい伝わってくるよね。そこがちょっと苦手で、でも、これだとあまりに冷たい回答なので、2010年、えっと、ご覧になってると思います。イエジー・スコリモフスキの、『早春』っていう映画がね、クラシックになっている東欧の映画監督の復帰作としてでてきた『エッセンシャル・キリング』っていう映画があるんですよ。ここでギャロがほとんど一人しか、まぁ4、5人しか出てこない映画で、ほとんど一人舞台で、ほとんどセリフがないの。で、監督はスコリモフスキなんですよね。ベネチアで主演男優賞とってるんですよ。アラブ人テロリストが米軍に拿捕されて拷問を受けて移動する雪原の中で脱走すんの。んで、雪山の中をテロリストを追っかける奴と命からがら追いかけあう映画、もうストーリーそれしかないんですけど。ここでのギャロは、あのー、まぁ映画の性質上しょうがないんですけど、あの神にもすがるところがちょっとあって、そこがよかったですね。ギャロには珍しく。あのー、過度のナルシズム、この方が称揚されてらっしゃる過度のナルシシズム、自己愛とね、神経質さってのが、このエッセンシャル・キリングではあんまり出てないですよ。なにせ逃げて生き残るのに必死なアラブ人テロリストの役だから、ね。んで、アラブ語もよう話せんでしょうからギャロは。セリフもほとんどないんですよ。片言の英語でちょっとしゃべるだけですよ。は、よかったですね。ありがとうございました。文学頑張ってください。」

この年のベネチア国際映画祭は、良くも悪くもヴィンセント・ギャロが目立っていた。まず、良い方は、菊地さんの挙げた『エッセンシャル・キリング』の主演男優賞の受賞。僕は今よりもギャロに傾倒していたので、この映画がDVD化してTSUTAYAに並んだとき、すぐ借りて観た。そして、そのあまりの単調さに途中で寝てしまった。この映画のギャロには、僕の好きなギャロの旨味というべき味わいが全然感じられなかったし、イスラム系の民族衣装を着ているので、ファッションアイコンとしてのギャロのルックスも皆無に等しかった。しかし、菊地さんは逆にこれがいいというのだから、奥は深い。そこにこそ僕の知りえない視点の領域みたいなのがあるのかもしれない。

一方で、僕にはこっちの方がよほど重要だったのだが、このベネチア国際映画祭では、ギャロの監督3作目である『Promises Written in Water』が上映された。作品はあまりに自己愛に過ぎると観客から散々な評価であったようで、それに憤慨したギャロが映画祭の式典をボイコットしたと悪意ある書きぶりでネットニュースは伝えていた。

『Promises Written in Water』は幻の作品になっていて、僕の知る限り本国ですらDVDになっていない。もちろん観客が金を返せとシュプレヒコールを起こそうが、記者がギャロを悪者に仕立てあげようが、それは自由である。しかし、僕はこの作品を心底観たいと思っているし、それが観れないのは、こいつらのせいだと恨んでる。

菊地さんのラジオはあっけなく終わり、空白の時間がただ流れた。僕は頭の後ろで両手を組み、ベッドの端を背もたれにして、身体を起こしたまま、両足はベッドに投げ出した。眼の先には35〜40インチ位の大きさのテレビがあり、液晶には色彩の抜けた僕の姿が映っていた。

菊地さんの実家の店の両隣が映画館だったことは有名な話である。僕の近所は面白味のない住宅街だったので、当然映画館なんて洒落たものはなかった。その代わり、レンタルビデオ屋があった。

家は丘の上にあったので、レンタルビデオ屋に行くのには、自転車を漕いでも片道30分ぐらいかかる。帰りの上り坂は自転車を押して登らなくてはいけないから、平地に住んでいる友達が羨ましかった。

地元のレンタルビデオ屋は、店内に漂う匂いが特徴的だった。それは駄菓子屋で売っている瓶のチェリオのような匂いがした。どこか個室風俗店や漫画喫茶に似ていて退廃的ですらある。

働いている店員は愛想がないが、年齢確認がザルだった。そもそもやる気がなかったのだろう。友達がバイト先の先輩から譲り受けた〈18禁カード〉を僕は友達と共有し、濫用した。

借りにいくときはマナーとしてきちんと私服に着替える。学校の制服を着てポルノを借りるなんて愚は犯さない。わざわざ矛盾を背負い込むのは、ガキのすることだ。僕らは流れに逆らわず、あくまで自然な工程に則り、ポルノを借りることを信条としていた。

もう一つ。当時、僕は猟奇殺人の蒐集に凝っていた。猟奇殺人ほど蒐集という言葉が嵌まるものはないだろう。スケールが規格外の海外での大量殺人や野性すら凌駕する猟奇事件が複雑な10代の心境を幾分和らげた。

ホラー映画にレイティングがつくのは、僕の知るかぎり珍しかった。だから、『人肉工房』がR18なことにたまらなく興味をそそられた。しかし、なかなか借りる決心がつかない。

ビデオが借りられる心配はまずない、問題は自分がいつ観るか、だ。僕は中間テストが終わる日を選んだ。学校が午前で終わり、解放感で満ち溢れている日だ。

前々日に18禁カードを翳し、『人肉工房』を借りた。店員は、僕が『天使にラブソングを』を借りようが、『馬と女』を借りようが、表情をビタ一文変えない。

当日、僕と僕の友達、そして何故か不良が1人混ざってきた。やることがなかったのだろう。不良はしきりに家の中でタバコを吸いたがったので、それを制止するのに無駄な労力を使わなければならなかった。

映画のエド・ゲインは、薄汚れたネルシャツやジーンズの身なりをして明らかに挙動がおかしい奴になっていて、異常者としての型にハメすぎているような気がした。

狙いをつけた人間を殺害し、屠殺場の牛のように中吊りにして血抜きのシーンがあったが、ただただ退屈だった。僕の友達も大体同じように冷めていた。不良は、中身のないことをだらだらとしゃべり続けている。内心怖かったのかもしれない。

殺した人間の皮膚を生地にした絨毯や太鼓は凶々しくはあったが、その過程が粗いせいで訴えかけるものがない。エド・ゲインが警察に連行されて映画はエンドロールになった。

僕らの間で徒労感が形成し始めていた。ホラー映画にはよくありがちなことだ。

しかし、この映画はただじゃ終わらなかった。

エンドロールで実際の事件映像が流れ、エド・ゲイン本人の顔がアップになったとき、僕は芯から恐怖を感じた。

エド・ゲインの顔が人間としての形を保っているものの、その内面には明らかに非人間的な異物が蠢いてる気がしたからだ。

殺した人間の皮膚を加工して絨毯や楽器にする。常軌を逸した犯罪の動機が、男の顔の不合理さに現れているようだった。

人間の容貌をしていながら、人間ではない。

それに僕は戦慄した。友達がどう思っていたかは分からない。不良はうたた寝をしていた。

大学生になった後も、僕は実家の横浜から大学に通っていた。少し距離があったので、一人暮らしをしたかったけど、貯金が全くなかったので諦めるしかなかった。

相変わらずビデオレンタル屋通いは続いていた。いや、それはますます増えた。

出だしから大学生活はつまづいた。周囲の人間との距離の取り方が全く掴めない僕は、大学の講義に関心が持てず、1年目は9単位しか取ることができなかったし、流されるままに入った音楽サークルは、合宿が終わり、秋の音楽祭が始まるまでの半年で辞めた。僕はあてもなくキャンパスを放浪し、図書館ぐらいしか居場所がなかった。ほんの僅かな友人を除いては、顔見知りに会うと狼狽し、身体が熱くなり、脂汗が顔からだらだらと垂れた。安らぎと吐口を求めて、古典的名作からポルノまで僕は片っ端からDVDのパッケージソフトを裏返した。

いつものようにAVコーナーの暖簾を潜ったら、小学校と中学校が一緒だった同級生が立っていた。同級生は僕に気がつくと、照れた様子もなく、堂々とした態度でよぅと挨拶をしてきた。

よぅ、久しぶり。

仕方なく僕も返事を返す。

同級生の名前を口に出すと、記憶が呼び覚まされた。同級生は小学4年の時に転校してきた。見すぼらしい身なりに、どこか中年くさい顔つきをした転校生にクラスの反応は冷たく、特に女子はいわゆる生理的嫌悪の扱いを受けていた。。

ある時、休み時間に僕とこの同級生が組み合いのゲームをしていた。ゲームは、非常用の脱出シュートが入っている保管庫に相手の両肩を5秒間押しつければ勝ち。

僕らは両方ともそれなりに本気になっていた。

良い勝負だったが、とうとう同級生が僕の肩を保管庫に押しつけてゲームは終わった。同級生は勝ってとても嬉しそうだったし、力を出し切ったので僕もそんなに悔しくなかった。

しかし、周りにいた人間は、僕の肩を押さえてきた手が保管庫についていたから同級生の負けだと判定をくだした。もはやルールもクソもない。完全ないちゃもんである。

当然、同級生は怒り、抗議をしたが、多勢に無勢で判定が覆ることはなかった。

同級生は、遂にキレた。

「もう、死んでやる!」

そう叫び、教室の窓から身を乗り出して、飛び降りを図ろうとしたのだ。

クラスは大変な騒ぎになり、同級生の身体や服を掴んで中へと引き戻そうとした。

もし、このままヤケになった同級生が飛び降りて死んでしまったら。

僕は彼の自殺の原因の一端になる。そう思うと怖くなって、嫌な気配がお腹や胸のあたりを覆い、渦巻いた。少し離れたところで僕は立ち尽くしていた。

誰かが呼んだのだろう。間もなく担任がやって来た。30に届くか届かないぐらいの女性で怒ると、声質が鋭くなる担任だった。

同級生は、窓から無理矢理引き剥がされて、担任から怒号のように叱られた。

損な役回りだ。

僕は泣いている同級生を少し離れたところで見ながらそう思った。

「オレ、印刷会社で働いてんの。」

へぇ、そうなんだ。

同級生が手に持ってるパッケージを僕の眼が無意識に捉える。「奥さん、コレが欲しかったんだろ?」。なんてタイトルだ。おまけに、男優は黒人だった。

以前、仕事の先輩が、黒人がおーいお茶の濃い味をぐびぐび飲んでいることをネタにしたときに、僕は腹を抱えて笑ってしまったことがある。

ある面において、どうして黒人はこんなにユーモラスであるのだろう。これが、例えばラマ僧だったら、不可解になってしまう。黒人でなくてはいけないのだ。

同級生の眼はくぼみ、唇は腫れぼったい。短く刈られた髪の毛はボサボサでハリがない。無地のTシャツにジャージがファッションではなく、可動に特化したウェアであった頃のジャージズボンを履いていた。昔と変わることなく、ダサくて不細工だったが、昔より今の方が実年齢と外見のギャップがなくなり、なんとなく親しみの持てる雰囲気があった。

男2人が向かい合い、立ち話をしている場所として、AVコーナーは似つかわしくない。

僕は早めに切り上げて、刺激的なポルノを選びたかったが、同級生が手の中のパッケージを僕に見せてきた。

「おい、ここの色合いはなぁ、5番と13番の色を組み合わせてるんだ。色にはそれぞれ番号があって、印刷するヤツに最も合うのをこっちで選んで作るんだよ。」

へぇ、マジで。

僕が相槌を打つ。同級生は気を良くして、使用している紙面の種類にまで話が及ぶ。

「取れねぇ、コレ取れねぇな。」

熱中のあまり、パッケージの黒いプラスチックと透明なビニールの間に挟まった印刷用紙を無理矢理引っ張り出そうとする同級生を僕は止めた。

そういえば、この同窓生は、いつもは借りてきた猫のように所在なさげなのに時々ハプニングを起こす人間だった。

雨の日が続いて学校全体に灰色のベールが降りてきたような朝に、同級生は、突然キャップを被ってきていた。ファッション性が欠けた頭部を隠し日差しを遮る機能だけに着目したようないかにも同級生らしいキャップだった。

自席についた後も、同級生はキャップを被り続けていた。表情は固く、前方のある一点をじっと見据えている。

「はぁ、おまえ何勝手に帽子かぶってきてんの?早く取れよ。」

クラスメートの一人がそう言って、同級生の帽子を掴み、取ろうとしたが、同級生は頭を抱えるようにしてそれを防ぐ。

頑として脱がない同級生に業を煮やしたクラスメートは仲間を呼びかけ、一人また一人と加勢して、なんとしてでも頭からキャップを引き剥がしにかかろうとする。無数の手が同級生の頭に伸びた。

同級生は必死に抵抗し、暴れたため、座っていた椅子は悲鳴をあげながら後ろにひっくり返った。魔の手から逃げるため、同級生は教室を脱けて廊下に走り出す。

「逃げたぞ!追え!」

新たなゲームの始まりに数人のクラスメートは沸き立ち、同級生の跡を嬉々として追いかける。駆ける足音が響き渡り、やがてどんどん遠ざかっていく。

担任が来るまで同級生を含めて出て行った者は、誰も帰ってこなかった。同級生は、ずっと逃げおおせていることになる。実は、同級生の身体能力は、その外見に反して高く、後年選抜された区の小学生大会の短距離走で、4位に入賞したぐらいだ。

しかし、学校の中にいる以上、教室に帰って来ないわけにはいかない。担任が教室に入ってくるのと同時にちゃっかり着席していたクラスメート達とは異なり、同級生は遅れて入ってきた挙句、キャップもまだ被っていたままだった。

「早く脱げ!」

容赦のない檄が担任から飛んだ。

同級生は、仕方なく帽子を取った。

前髪の真ん中に道路が出来ていた。その道路は、2センチ程度、内に侵入したところで突然終わっている。

「なんでもないじゃないか!」

担任は同じ調子で言ったが、なんでもある。

最も目立つ前髪部分に刈り込まれて凹んでいる。

担任は、そのまま同級生の髪のことには触れず、朝の会が始まった。だから、どうしてそんな髪型なのか、誰にやられたのかは誰にも分からないまま、担任がいなくなった後の休み時間に、追跡者のクラスメートからアートネイチャーと呼ばれることになっていた。

じゃあ、オレは行くよ。

僕がそう言うと、かつてアートネイチャーと呼ばれた同級生は、なんともいえない顔でこっちを見た。それは中学生のプールの時間に、誰よりも早く着替えを済ませていたことから、ションベンを漏らしたんじゃないかと嫌疑をかけられた時の顔に似ていた。

「じゃあな。」

同級生は僕がAVコーナーを出たあとも、まだ留まっていた。

あの時間は、何だったのだろう。

ただ、どの店にも関わらず、レンタル屋にいた時の時間が、僕には堪らなく懐かしい。

ソファに置いたカバンの中から、カードケースを取り出した。まだ、TSUTAYAのカードがあったはずだ。

久しぶりに触れた黄色と青色の2色に彩られたカードは、兵役を終えた老残兵のようにひなびていた。

僕はいても立ってもいられず、部屋を出た。

残された僕だけの時間は菊地さんが薦めてくれたギャロのDVDを借りにTSUTAYAへ行くことに決めた。そして、コンビニには売っていないジタンのカポラルを煙草の専門店で買う。

ホテルに戻って来てから、バスタブでジャグジーしながら煙草を燻らす。哲学書があれば、尚よし。 ブックオフで物色するとしよう。

エレベーターで乗り合ったカップルは、僕が1人でいるからデリヘルの利用者だと誤解されたような顔の背けかたをしたが、構いやしない。

ホテルには窓がない。だけど、少しイマジネーションを働かせれば、女の子がいなくたって、素晴らしい時間が過ごせる。

僕は時計を見た。時計はまだ午後3時を回っていなかった。そのことに僕は安堵した。

外に出ると。まだ陽は昇り、空は煌々と晴れていた。

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