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週末歌仙*葉ノ伍

歌を詠むということ

短歌とは、感動したこと、悔しいこと、悲しいことや嬉しいこと、すべてを言葉にのせて表現するものです。
歌を詠むこと、それは、長い人生において心の薬となるでしょう。
私も人生の山坂を短歌に支えられ、 81歳 まで 生きてこられました。
だからまず難しいことはおいといて、あなたの心が感じたままに、歌をつくってみてください。
きっと作歌の楽しさが、だんだんわかってきますよ。(楓美生)

歌人・楓(かつら)美生(みお)
昭和17年10月28日 杉並区荻窪生まれ

玉川上水の桜橋を散歩中、その後歌の師と仰ぐことになる人物と
偶然出会ったことがきっかけで、短歌を始める。
多摩歌話会(歌人集団)に15年ほど所属。
NHK、地方の短歌大会入賞。
現在は近所の歌好きを集めて、短歌の指導をしている。

<好きな歌人>
栗木京子、寺山修司、尾崎左永子
<好きな歌>
ここに咲きここに散りゆく秋萩のごとき一生(ひとよ)を悔いざれよゆめ

第一首

(想像してみてください…)

些細なことで夫と言い合いになった夜。
背中を向けて布団に入ったものの、モヤモヤが晴れずに寝つけない。
そのまま迎えた翌日の早朝。
気持ちはどんより淀んでいるのに、空は快晴だ。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

真っ白に
洗い上げたる シーツ干し
昨夜(よべ)のいさかいふっ切る朝(あした)
<2007年 小野小町賞受賞作>

注)古代では夜の時間帯を、ゆうべ→よい→よなか→あかとき→あしたと言い分けており、「朝(あした)」は夜間の最後にあたる。また、なにか(特別なこと)があった翌朝を、特に「朝(あした)」と表現することも。

<解説>
この歌の印象を決定づけているのは、「真っ白なシーツを干す」という行為です。
洗濯用洗剤のCMが影響してか、洗ったシーツを干すと聞いたら、たいていのひとは青空にはためく白いシーツを思い浮かべると思います。その部分を歌の冒頭へ配置することで、読者の頭の中には「青空の下で風になびく白いシーツ」という実に爽やかな光景が描かれるのです。
その対極にあるのが「昨夜のいさかい」ですが、すでに爽やかな気持ちで歌を読み始めているので、さほど「なにがあったのだろう?」と深掘りする気にはならないですよね。では逆に、歌の最初にくるのが「昨夜のいさかい」だったらどうでしょう? おそらく歌の印象が大きく変わってくるのではないでしょうか。
この「いさかい」という事柄を受け流してもらうための工夫がもうひとつ。それが「朝(あした)」という言葉です。
「朝」を「あした」と読ませるのは7、7の語数に合わせるためもありますが、それ以上に、自然な時間軸の変化を促しています。
昨日の延長である「今日の朝」を明日に通ずる「あした」と読ませることで、視点が昨日の夜にふっと戻りませんか? 「今朝」は「昨夜」の段階では「明日」ですよね。つまり、歌の最後に「朝(あした)」を持ってくることで、「クサクサしていた昨夜の自分」を「爽やかな今の自分」が帳消しにしているわけです。
日常の中で、身近なひととの小さな衝突や些細な行き違いはよく起こることだと思います。大きな問題であれば時間をかけても解決するべきですが、そうでないなら、翌日まで引きずるよりも「今日の自分」で「昨日の自分」を上書きしてしまうほうが楽しいのではないでしょうか。昨日失敗してしまったことは今日やり直してみればいい。ひとは日々成長しますから、昨日できなかったことも今日ならできるかもしれませんよ!

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
1)昨日の自分と今日の自分
2)真っ白なシーツ

・・・・・・・・・・

第二首

(想像してみてください…)

2020年のコロナ禍真っ最中。
緊急事態宣言で、日々の外出もままならない。
マスク着用に消毒薬も持って、近所のスーパーまで買い物へ。
久しぶりに歩いた道端では、紫陽花が盛りを迎えている。

ここで一首ーー
(みなさんなら、どんな歌を詠みますか? わたしの歌は……)

コロナなど
われ関せずと 今を咲く
紫陽花のあお目に涼しかり
<2020年 コロナ禍に詠む>

はがき絵・ともこ作

<解説>
コロナ禍での不自由さはまだ記憶に新しいかと思います。受けた影響によって、あの時期の捉え方や社会の対応への評価は違ってくるかもしれません。
かく言うわたしは、新型コロナウィルス感染症が5類へ移行する直前に、兄をコロナで亡くしました。享年90歳を超えていたので「寿命だ」と言うひともいますが、なにもコロナで死ななくても……と思ったものです。
なので、「あそこまで厳しくしなければ日本経済はこんなに落ち込まなかった」というような論説を聞くと少し複雑な気分にもなるのですが、ひとつ言えるのは、なにかあると大騒ぎして右往左往する人間に比べ、自然のなんと超然と美しいことか!
わたし達はどうしても人間中心にものごとを考えてしまいがちですが、自然の中で人間は決して中心的な存在ではないんですね。花は人間の目を楽しませるために咲くのではないし、人間に食べさせるために果実を実らせるわけでもない。人間が見ていようがいまいがお構いなしに、ただ飄々とそこで咲く。だから美しいのです。
……でも、小さなことにでも心を揺さぶられてしまうからこそ、「ひと」は「ひと」なのかもしれませんけどね。

歌を詠んでみましょう!

テーマは……
紫陽花


短歌:楓 美生
編集:妹尾みのり

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