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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】ヴィラ・ローレルへようこそ(5)

第5話 ワルイ友達

 このお屋敷に来てから初めて……寝坊した。
 どうやら起こしにきてくれた碓井さんをシカトして、昼過ぎまで爆睡しちゃったみたい。
 たぶん昨夜の疲れからだよね、そういうことにしよう!
(でもまた榊に怒られそう……)
 ユーウツな気分で1階へ下りると、リビングのソファにユフィルの姿を発見した。
「おはよー。なにしてるの?」
「なんや嬢ちゃん、今起きたんか? もう早くないで」
 見ていた書類から目を上げて、ユフィルがあたしに向かって苦笑する。テーブルの上へ積まれている書類には、暗号? なにかの計算式? よく判らないけど、日本語以外のものがたくさん書かれている。
「なに、これ?」
「今開発中の新種アザレアの実験レポート」
「実験!?」
「一応俺、こう見えて主任研究員なんよ」
 そうだった。ユフィルって、お屋敷の裏手にあるおっきな研究所で働いてるんだっけ。その研究所も一条グループの持ち物だって、前にゆきちゃんから聞いた気がする。
「そっか、だからユフィルとゆきちゃんって気が合うんだ。ゆきちゃんもなんかそんなの勉強してたもんね」
「いや、まったくジャンル違うけど」
 困ったように笑ってから、再び書類へ目を落とす。
「まあ、俺がゆきを気に入っとるんは、もっと別の理由かな」
(……もしかしてユフィルなら、ゆきちゃんが多紀さんの養子になった時のイザコザとか知ってるかな?)
 桂くん情報によれば、ユフィルと榊はほとんど幼馴染みみたいなものらしい。だとしたら、榊からもなにか聞いてるかもしれない。
「ね、あのさ……」
 質問しようとした矢先。
 ブッブー!! パラリラパラリラ!!
 窓の外から車のクラクションが大音量で聞こえてきた。
「な、なに!? ボーソーゾク!??」
 こんな島でも暴走するひといるの?
「ああ……アーシュ、友達来てるで」
 ユフィルが背後へ声をかけると、いつからいたのかリビングの隅にある大きな一人がけソファから、アーシュがのそりと起き上がった。
「判ったー、うるさいから行ってくるー」
「行っといで」
 アーシュがふらりと部屋を出ていく。
「アーシュの友達?」
「そ。リゾートエリアに別荘持っとる金持ちのぼんぼんども。毎年この時季になると観光に来て、悪さしよる。街のクラブで騒いだり、おかしなクスリやったりで島民からはすこぶる評判悪いんやけど、なんか最近つき合うてるみたいで」
「つき合うてるみたい……」
 テーブルの上にあったレポートの束で、ユフィルの頭を思いきりはたく。
「じゃないでしょっ! そんなタチの悪いヤツらだって判ってるのに、なんでアーシュ行かせるのよ!?」
「しゃあないやん、本人が好きでつき合うてるもん……」
 はたかれた頭を手で撫でるユフィルに向かって指を突きつけると、
「そーゆーの止めるのがオトナの役目!」
 あたしは急いでアーシュの後を追った。
 外へ出ると、遠くのほうから数名の男女が騒ぐ声が聞こえてくる。
「オレ達アスランに用があんだよ、執事引っ込んでろよ」
「そーそー、カジノ行きたいんだけどさー、ボク達クラブ出禁?とかで、会員証取られちゃったんだよね~。だからアスランいないと中入れないんだよ」
「ねー! あの子どこ行っても顔パスなんだもん。一条多紀の身内だからって、ずる~い!」
 閉じたままの門を挟んで対応している榊がナンクセをつけられている。相手はド派手なオープンカーに乗った、男ふたりに女がひとりだ。
「それは当方には関わりのないご事情ですが?」
 いつものごとく冷ややかな口調で、榊が反論する。その少し後ろから近づいていくアーシュの後ろ姿を見つけた。
「鷹……、っ!??」
 ダッシュしてアーシュを羽交い絞めにすると、脇にあった低木の茂みへと引きずり込む。
 がさがさがさっ、バキッ!
「……?」
 榊が肩越しにチラ見する。
「あれ? 今、アスランいたんじゃね?」
「幻です」
 伸びあがって門の中を覗き込む男へ、榊が即答した。
「アスランはただ今不在ですので、どうぞお引き取りください。これ以上騒がれるようなら、警備の者を呼びますよ?」
(ナイスだ、榊!)
 あたしは藪の中にしゃがみ込んだまま、こっそり榊へガッツポーズを送る。そんなあたしの腕の中で、アーシュがもぞもぞ身じろいだ。
「ぷ、むぐ……、ちょっとぉ! なにすんのさ!?」
「ああ、ごめん」
 アーシュの口を押さえていた手を離してあげる。
「ごめんじゃないよ! ボク、行かないと」
「うん、まあ、榊に任せとこうよ」
 立ち上がろうとするアーシュを再び引き倒す。
「あなたの迷惑なご友人は、みなさんお帰りになりましたよ」
 藪の向こう側から、榊が冷たく見下ろしてきた。どうやらチンピラどもを追い払ってくれたらしい。
「お疲れ、榊」
「もう、なんだよっ。今日はみんなとカジノに行く約束してたのに!」
「では予定を変更していただけて幸いです。クラブから信じられない額の請求書を受け取るのは、もううんざりですので」
 そう吐き捨てると、榊は屋敷のほうへと去っていった。
「……ボクは一度も負け込んだことないのに。あのひと達、へたなんだよね」
 榊の背中を見送って、アーシュが小さく溜息を吐く。
「あいつらが負けた分を、なんであんたが払ってるのよ?」
「さあ? 払ってって言われるから」
「あのさー、あんたそれ、絶対カモられてるよ。なんでそんなヤツらと遊んでるの?」
「だって、ほかにいないから。前は多紀が遊んでくれたけど、いなくなっちゃったし……」
 そう言って、小さく頬を膨らませる。
「よし、じゃあ、あたしと遊ぼう!」
「あなたと? なにして?」
「ん~、そうねぇ、このお屋敷いろいろあるじゃん。プールとか、テニスコートとか!」
「ボク、そういうの嫌い」
 む、確かに。アーシュはあまり体育会系のノリじゃないね。
「じゃあ、部屋でお絵かきでもする?」
「……ボク、そんな子供じゃないんだけど?」
 でも、むくれた顔は、まだまだあどけない男の子って感じで。
(子供は子供扱いされると怒るよね~。かわいいなぁ……)
「あっ、そしたらさ、この辺りを案内してよ。観光スポットとか!」
「……いいけど、その格好で行くつもり?」
「ん?」
 そう言えば、あたしまだ寝巻きのままだった。もうこの際夜までだらだらしてやろうと思っていたから、朝起きた時のまんま着替えてなかったことに今さら気づく。
「すぐ着替えてくるから、ちょっと待っててよ」
 逃げられないようにアーシュの手を掴んで屋敷へ引き返したあたしは、ユフィルのいるリビングへアーシュを押し込む。
「あっ、桂くん、アーシュにジュースあげて!」
 ちょうど通りかかった桂くんにジュースをオーダー。大抵の子供はジュースあげとけば機嫌がいいもんね。
「あなた、やっぱりボクのこと、すごい子供だと思ってない?」
「思ってないよー」
「おや、おかえり?」
 ユフィルが顔を上げると、アーシュはあたしから逃げるみたいに駆け寄っていく。
「酷いんだよ? あのひとにいきなり後ろから羽交い絞めにされて、藪の中に引きずり込まれたの」
「イタズラされんかったか?」
「するかっ!!」
 疑いの目を向けてくるユフィルへアーシュを預けて、あたしは部屋へ着替えに戻った。
 それにしてもこの島、カジノまであるんだね。ちょっと行ってみたい……。

 着替えを済ませてリビングへ下りると、中からアーシュの笑い声が聞こえてきた。アーシュはユフィルを膝枕にして、なにやらいろいろ話しかけている。初めて見る笑顔だ。
「………」
 あたしに気づいて、またいつものつまらなそうな顔に戻っちゃった。
「お、嬢ちゃん来たで。散歩に出るんやって?」
「うん。行ける?」
 アーシュは黙って頷いて、さっさとリビングから出て行こうとする。
「待ち。今日は陽射しが強いから、帽子被ってき」
 ユフィルがポールハンガーから麦藁帽を取ると、アーシュの頭の上へぽふっ、と乗っける。
「これ、かっこ悪いよ~」
「そか? かわええよ?」
(別に無関心てわけじゃないんだよね)
 さっきはユフィルにフシン感を抱いたけれど、こうして見ると、彼は結構アーシュのことをかわいがっていると思う。アーシュのほうもユフィルには特に懐いているみたいだし。
「嬢ちゃんは帽子持ってるん?」
 戸口でふたりを眺めていたあたしに向かって、ユフィルが尋ねてきた。
「持ってない」
「そんなら多紀のやけど、これ被ってき」
 壁に飾ってあったマダム風の帽子を取り外した。
「えっ、多紀さんの? いいよ、悪いじゃん」
「こんな女物の帽子、ほかに誰も被るもんおらんし。嬢ちゃんに使うてもらったほうが、帽子も喜ぶで」
 手をぶんぶんさせて断ったあたしの頭に、ふわりと帽子をかぶせてくれる。
「気ぃつけて行ってき」
「はーい」
「じゃあ、行ってくるね」
 笑顔のユフィルに送り出されて、あたし達は出かけることにした。
(とは言ったものの……屋敷から門までメッチャ距離あるんだよね~)
 さっきも歩いた道程をてくてく進みながら、門の前まで車で送ってもらえばよかったかななんて、ちょっと思う。
「どっちに行く?」
 門の外へ出た途端、アーシュが左右を指し示しながら訊いてくる。
 屋敷の前を走る道路は、結構な坂道だ。
「えーと、どっちになにがあるのか判んないんだけど」
 ここに来てから昼間に屋敷の敷地外へ出るのは、実は初めてだったりする。でもこのお屋敷へ来る時はのぼり坂だったから、下ると港のほうに行くのかもしれない。まあ、歩いてはとても行けない距離だけど。
「説明するの面倒だから、上るか下るかだけ決めて」
 そういう選択肢なの!?
「じゃあ、上ろうか」
 アーシュがホントにめんどくさそうなので、あたしは短く答えて歩きだした。
「………」
「………」
(ホントに歩いてるだけだよ、あたし達)
 屋敷の敷地に沿った坂道は、片側が断崖のようになっている。梢を透かして、きらきら光る海の広がっているのが見えた。
「絶景じゃん! なんて言うんだっけ、こういうの。えっと、校風明記?(※風光明媚)」
「………」
 反応なしか。
「……えーと……やっぱり、さっきのひと達と出かけたほうがよかった?」
「……あなたは、どうしてボクがあのひと達と出かけるのいやがるの?」
 質問には答えず、逆にあたしに訊いてくる。『ひとを見た目で判断する汚いオトナ』みたいな目で見るのやめてほしいんだけど。
「あー……あたしも、昔ああいう感じのヤツらとつるんでたことがあるんだよね。あたしみたいな子はアレだけど、友達で、ちょっと気の弱い子がいて。なんか仲間になっちゃって……勧められるままドラッグやっちゃってさ、気づいたら病院入っちゃってたんだ」
「それって自業自得でしょ? むりやり注射でも打たれたなら別だけど」
「それはまあ、そうなんだけど……」
 いろんなケースがあるけれど、ひとりが寂しくてそういう仲間に入ってくる子は、ハブられたくないから断れない。そうやって深みにはまっていくんだ。
「……そか、あんたはちゃんと断れるんだね。余計なことしちゃったかな? ごめんね」
「……もういいよ。別にあのひと達といても、そんなにおもしろくないから。ルーレットもバカラもへたくそだし」
「そういうの、ゆきちゃん得意だよ? ポーカーとか、カードゲーム。すごい強いの」
 前に1回だけ、ゆきちゃんの友達がやってるっていうナイトクラブに連れてってもらった時、そういうギャンブルゲームを一緒にやったことがある。
 ゆきちゃんはカードは負けなしで、確かルーレットも結構勝ってた。お店のオーナーが飲み代をタダにしてくれたくらいだから。
「ゆきちゃん子供好きだし、言えば一緒に行ってくれるんじゃない?」
「ゆきって子供好きなの? 聞いたことないけど」
「好きっていうか、面倒見るの得意だと思うよ? あたし小さい頃、ゆきちゃんにごはん食べさせてもらったり、お風呂入れてもらったりしたもん」
「そうなの?」
「うん。うち、あたしが生まれてすぐに両親が離婚したとかで、ママはパートかけ持ちとかしてたから、あんまり家にいなかったんだよね。だから保育園も小学校も、お兄ちゃんがお迎えにきてくれて、一緒にお買い物して晩ごはんはお兄ちゃんがつくってくれてたの。誕生日とかクリスマスの時も、お兄ちゃんがケーキ買ってくれて、ふたりでお祝いしたんだ」
 話すうちに昔のことを思い出して、ついつい笑顔になってしまう。歳が10個も離れてるから、あたしにとってゆきちゃんは、兄であると同時に親みたいなものだ。小さい時からずっと、あたしはゆきちゃんが大好きだった。
「……そうか、あなたとゆきって兄妹だったっけ」
 ぽつっと、アーシュが呟く。
「似てないんだね」
「よく言われる」
 思わずがっくり肩を落とすあたし。
「ホントに、おんなじ兄妹でどうしてこんなに違うかなー? お兄ちゃんはなんでもパパッとできちゃうのに、あたしはどこ行っても落ちこぼれで……やんなっちゃうよね。きっと生まれる時に、ゆきちゃんがいいとこみんな持ってっちゃったんだぁ」
「似てないとは言ったけど……そういうつもりで言ったんじゃないよ。ボクはゆきより、あなたのほうがいいかな」
「えっ? なんで? ゆきちゃんのことキライなの?」
 思ってもいなかったことを言われて、本気でうろたえてしまう。
 なのにアーシュのほうがさらにびっくりしたような顔で、あたしを見返してくる。
「そっちに反応するとは思わなかった。予想外のリアクションされると困るんだけど」
「え、だってさ、ゆきちゃんよりあたしのがいいなんて言ったひと、今までひとりもいないもん。ゆきちゃん優しいよ? よく気がつくしさ。それに凄いんだよ? 高校から現役で、なんだっけ、すごいいい大学行ったの。途中でやめちゃったんだけど。でも英語ぺらぺらだし」
 ゆきちゃんのいいところを一生懸命説明してたら、アーシュがくすっと小さく笑った。
「ゆきのこと、本当に好きなんだね」
「うん、大好き」
 素直に頷く。
「でも……あたしはゆきちゃんにいっぱいメーワクかけて、助けてもらったのに、あたしがゆきちゃんにしたあげられることがなんにもないのが、ちょっとアレかな」
「なんにもないの?」
「うん。あたしほんっとにバカなんだよね~」
「それって、できないんじゃなくてやってないだけじゃない?」
「いやいや、一応いろいろ試してはみたんだよ?」
「向かないこと試したってことじゃないの? 違うことしてみれば? やる気があるなら、だけど」
「スミマセン、そうしてみます……」
 あれ、なんであたし子供に説教されてんだろ?
「で、この道ここで行き止まりなんだけど」
 言われて顔を上げると、海に大きく迫り出した絶壁の上に巨大な石板が立っていた。
「ふわ~~~っ」
 石板には、読めないけどなにか字が彫りつけてある。その先の絶壁に、白い飛沫をあげて波が打ちつけている。
「これは……凄いね。落ちたら死んじゃうかな?」
「たぶんね」
 あたしの隣でアーシュは、水筒を傾けながら遠く海原を見つめている。その横顔は、なんだかオトナびていて。
(あんまりいろんなこと訊かないほうがいいんだよね? 親のこととか、どうして多紀さんの屋敷にいるのかとか……。聞いたところでなにかできるワケでもないし)
『できないんじゃなくて、やってないんじゃない?』
 さっき言われたことが頭の中に甦る。
(そう、なのかな? あたし、やる気がないのかな……?)
 水平線に、小さなクルーザーが消えていった。
 ……ん?
「あーーっ! なにひとりで飲んでんの? ってか、いつの間に水筒なんて持ってきたのよ?」
「散歩に行くって言ったら、桂が持たせてくれたの」
 さすが桂くん、なんて気の利く!
「あたしにもひと口~! さっきから自販機探してたんだけど、ぜんっぜんないんだもん」
「あるわけないじゃない。ひといないのに。ゆきから聞かなかった?」
「聞いたような気もするけどー。ちょうだ~い、ひからびる~」
「しようがないなぁ。……はい」
 アーシュは渋々といった感じで、水筒を手渡してくれる。
「ふー、冷たくて美味しい~! 夏はやっぱり麦茶だね」
「うん、ボクも麦茶好き。あったかいの飲むのも好きだけど」
「ああ、判る! 沸かしたてとか美味しいよね。あたしも昔よく、ゆきちゃんに麦茶沸かしてもらって、冷やす前に飲んじゃって怒られた!」
「また、ゆきの話~?」
 いやそうに唇を尖らせる。
 でも、前ほどあたしと喋るのがいやではなくなったみたいで、屋敷まで戻る帰り道では、アーシュのほうからいろいろ話しかけてくれた。
 想像力が豊かなのか、時々意味不明なことも言うけど。笑い方や仕種がかわいくて。
(ずっと弟とか妹とか欲しいって思ってたんだよね~)
 アーシュとの距離が1歩も2歩も縮まって、すっごくジュージツしたお散歩だった。
「お、帰ってきたか。どこまで行ってきたん?」
 帰宅したあたし達を出迎えてくれたのもユフィルだった。……今日ヒマなのかな?
「石碑。ねーねー、それよりさっきの続きだけどー」
 あたしの脇をシタタタッと走り抜け、アーシュがユフィルの手を引っ張ってリビングへと消えていく。
「………」
 え? あたしガン無視??
 さほど距離は縮まってなかったようだ……。

 夏と言ったら海水浴!
 すっかり忘れてたけど、ここってすぐ傍にビーチがあるんじゃん!
 昼間の散歩で海を見たせいか、あたしは泳ぎに行きたくてしかたなくなっていた。
(あ、この水着かわいい! この値段だったらお小遣いで買えるし……ああ、でも、こっちもかわいいなぁ)
 寝る前に少し見てみるくらいのつもりだったのに、こーふんしちゃって眠れる気がしない。
 ファッション雑誌に掲載された最新モデルの水着は、しょーじきどれもかわいい。
(う~ん、でも、これかこれ?)
 ブラのバックベルトがリボンになっているオレンジ色のビキニと、フルーツ模様のプリントされたカラフルなワンピースタイプのふたつ。
(ん~、どっちがいいかなぁ。そうだ、ゆきちゃんに訊いてみようかな)
 そう思って、ゆきちゃんの部屋もリビングにも行ったけど姿がない。どうやらまだ仕事から帰ってきてないみたい。
 その後も何度もリビングまで見に行ったり、廊下の端から外を見たりしてたけど、夜の11時を過ぎてもゆきちゃんは帰ってこない。
(遅いなぁ。ゆきちゃんの部屋で待ってようかな)
 それにしてもこんな時間までお仕事なんて、体は大丈夫なんだろうか。少し心配になってくる。
(そんなとこは榊のまねしなくていいのに……)
 目星をつけた水着のページに付箋を貼ってぼんやり眺めているうちに、なんだか眠たくなってきちゃった……。
 体がふわふわ、ゆらゆらする。
 あったかくて、柑橘系のいい匂いもしている。
 その香りが、不意に遠ざかっていく。
(あ、ダメ、行かないで)
「え、ちょっと、未亜、寝ぼけてないで」
 腕を軽くぺちぺち叩かれて、あたしは閉じていた目を薄く開ける。すぐ目の前にゆきちゃんの顔がある。
「ん~? あれ、ゆきちゃん、お帰りー(ぐー……)」
「ただいま。……じゃなくて、手、放してくれるかな?」
「うーん、むにゃ」
「弱ったな……」
 小さな溜息が聞こえた後、急に脇腹のあたりをこしょこしょくすぐられた。
「ぅ、にゃっ!? ふにゃにゃにゃ、ひゃっ、くすぐった……っ、ひゃにゃにゃ……っ」
「しぃ、遅い時間だから、騒いじゃダメだよ」
 ベッドの端に手をついたゆきちゃんが、軽くあたしの口を覆った。
「あ、あれ? ゆきちゃん、おかえり」
「それ、さっきも聞いた」
「そうだっけ? ここ、あたしの部屋? なにしてるの?」
 半身を起こして辺りを見回す。うん、確かにあたしの部屋だ。
「僕の部屋で行き倒れていたきみを、ここまで運んできたところだけど?」
「……あっ、そうだった! ごめんね、疲れてるのに……」
「未亜の顔見たら、疲れてるの忘れちゃったよ」
 ゆきちゃんが微笑みながら、シャツの袖についているカフスボタンをはずした。
「もう」
 ホントにこーゆーとこ、うちのお兄ちゃんは口がうまい。
「でもこんな時間までお仕事なんて、大変……だね。体大丈夫?」
「うん。今はプラネタリウムのオープンに向けて、立ち上げで忙しいだけだしね。もう少しすれば落ち着くはずだよ」
「むりしないでね……」
「ありがとう」
 ぽん、とあたしの頭を撫でて、ゆきちゃんが戸口へ向かう。
「ああ、僕はオレンジのやつが好きかな」
「え?」
「水着、新しいの買うんでしょ?」
 肩越しに振り返って、机の上のファッション雑誌を指差した。
「あ、そう! 訊こうと思ってたの。オレンジのね、判った」
「意見を訊いてくれるのは嬉しいけど、僕じゃなくて、気になるひとに好みを訊いた方がいいんじゃない?」
(気になるひと……?)
 ふと榊の姿が頭に浮かぶ。
(ビキニなんてはしたない!とか言いそうだよね……)
 って、そういう気になる違うし!
「今、誰か思い浮かべた?」
「浮かべてない、浮かべてない! もう、ゆきちゃん明日も仕事でしょ? 寝たほうがいいよ」
「はいはい、おやすみ」
「おやすみなさい」
 くすくす笑うゆきちゃんを送り出して、あたしもベッドへ戻る。
(でも、そう言えば、榊のシャツ1枚ダメにしちゃったんだよね……)
 お詫びになにかプレゼントしようかと、あたしはスマホでネットショッピングサイトを開いた。

・・・つづく


第6話 執事、うろたえる!

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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