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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】ヴィラ・ローレルへようこそ(2)

第2話 ナゾの美少年、現る!

 ぼんやりと明るい光が顔の上へ射し込んでいる。
 鳥がちゅんちゅん言ってるから、もう朝なのかもしれない。
 普段は地震が起きても気づかないあたしだけど、なんで目が覚めちゃったんだろう? うーん、でもやっぱ、もう少し寝て……。
(……なんだか……体が重い……)
 ここ数年カゼなんてひいたことなかったのに、と思いかけて。
(あ、違う。昨日引っ越ししてきたからだ)
 別に荷物があったわけじゃないんだけど。
(体じゃなくて、気持ちが疲れたんだよね……)
 そんなことを思いながら、うっすらと目を開ける。
「………」
 あたしの上へ馬乗りになって見下ろしてくる美少年(たぶん)と、目が合った。
(うわ……キレイな子……誰……?)
 雪のように白い肌と大きな碧灰色の瞳。髪は、こういうのなんて言うんだっけ? プラチナブロンド?
 ともかく、まるで天使みたいにキレイな子が、
 むにゅ。
 あたしの胸を揉んでいた。
「……ひゃあぁぁぁぁ~~~~っ!!???」
 と、今度は部屋のドアが蹴破られて知らない男が飛び込んでくる。
「きゃああああーーーっ!! なにっ!? なにっ!!?」
「は? 俺が訊きたいんだが?」
 戸口で男が眉間にしわを寄せる。その後ろから、
「なにごとですか!?」
 執事さんも駆け込んできた。
 ナゾの美少年が、サッと執事さんの背後へ隠れる。
「誰?」
「いや、あんたが誰よ!? なんであたしの部屋にいんの? ってか、どっから入ってきたのさ!? そんでなんだって怯えたみたいに執事の後ろに隠れてんのよっ!?? あたしゃバケモノか!?」
 なんだかよく判らずにまくし立てるあたしと、自分の後ろに隠れている美少年を交互に見て、執事さんが渋い顔で眼鏡を押さえた。
「……征斉さまとその妹さんが屋敷へ移り住んでくると、ご説明しておいたでしょう? そもそも、窓から入る習慣を改めなさい!」
 執事さんが少年の後ろ首を掴んで持ち上げる。
「だって玄関から入ると鷹弥に見つかっちゃうじゃん。朝からお説教されたくないもん」
「でしたら朝帰りをおやめなさい。ともかく、出てください!」
 執事さんは、そのまま少年を部屋の外へ引きずり出そうとする。
「やだ~、眠いもーん」
「ご自分の部屋で眠りなさい」
「あの部屋、朝陽が直接入ってくるんだもん~。ここがいいーーーっ」
「駄々を捏ねない!」
 ふたりの会話の内容からして、どうやらこの子もここの住人みたいだけど……。
「あ……ねぇ、えーと、あのさ……、もしかしてこの部屋、ホントはその子のだったの?だったら、あたし別の部屋に移るよ? ほら、どうせまだ荷物もちゃんと出してないしさ、引っ越しするの、そんなに大変じゃないから」
「………」
 なぜかふたりとも黙ってあたしを見つめてくる。
 執事さんがイササカ面倒くさそうに口を開いた。
「……その必要はありません。もともとこの部屋は、客間だったものを彼が都合よく勝手に使っていただけです」
「え、でも、その子はこの部屋のほうがいいんでしょ? だったら、あたし別に換わって……」
 相変わらず執事さんに後ろ首を吊り下げられたままの男の子の顔を見て、そう提案してみる。
 なのに、執事さんに睨まれた。
「そんなことより、あなたは夜お休みになる前にきちんと窓を施錠するように!」
 あたしへ向けて指を突きつけてから、執事さんは男の子をぶら下げて部屋を出ていく。
「後ろ襟持つのやめてよー。猫じゃないんだからー」
 廊下のほうから男の子のもんくを言う声が聞こえてきた。
(……な、なんであたしが怒らんなきゃいけないのよ?)
 ナットクいかないんだけど、あの眼鏡!
「いったい、なんだったの??」
「気にするな、あいつはいつでも不可解だ」
 あたしの呟きに見知らぬ男が返事をする。戸口へ屈み込むと、自分で破壊したドアの金具を見ながら溜息を吐いた。
「蝶番を替えないとダメだな。後で直しにくる。しばらくこのままにしておいてくれ」
「え? ああ、ありがと。ってゆーか……ごめん、あんた名前なんだっけ?」
(とゆーより、誰?)
 たぶん昨日紹介されてないと思うんだけど。ないよね?
「枳津(きづ)だ。枳津漣(れん)。別に覚えなくてもいい」
 ぶっきらぼうに答えると、キヅレンとかいう男が立ち上がる。
「いやいや……あたしはバカだけどさ、一緒に住むひとの名前くらいは覚えるよ」
「俺はゆきのボディガード兼運転手だ。本館に居室を与えられてはいるが、別に住人なわけじゃない」
「ボ、ボディガード!? ボディガードって、あのボディガード!??」
(ええっ? ゆきちゃん、そんなのがついてんの!? 有名人みたいじゃん!)
 思ってもいなかった単語に、一気にテンションが上がる。
「ってことは、やっぱアレ? あんた黒いスーツと黒いグラサンとかして、ゆきちゃんにくっついて回るわけ? 命がけでお護りします!みたいな」
「………」
 バカかこいつ、という声が聞こえてきそうな顔であたしをちらっと見ると、さっさと部屋を出ていった。
「返事くらいしろーっ」
 もうなんかいろんな意味で、この屋敷でやっていけるのか心配になった朝なのであった。

 そんなこんなで。
 すっかり目が覚めてしまったあたしは、とりあえずダイニングまでやってきた。
 朝の7時っていったら、あたしにとっては早朝。学校に行っている時はもちろん起きてた時間だけど、卒業して家でだらだらしている間に、すっかり朝寝坊のクセがついてしまっていた。
 でも世間のひとびとはみなさん活動的だ。もうメイドさん達は掃除やらなにやらできびきびと働いている。
 エライなぁ、みんな。ダイニングの隅に置かれた椅子の上へ飾られているおっきなクマのぬいぐるみまで、早起きしてる分あたしよりエライんじゃないかと思えたりして。
「おはようございます、お嬢さま」
 まるでなにごともなかったふうに挨拶してくる執事さん。
「おはよう……ってゆーか、さっきも会ったような……」
「なにかお飲みになりますか? コーヒー、紅茶、フレッシュジュースなどございますが」
 軽いツッコミもキレイに無視だ。
「ええと……じゃあ、コーヒーで」
 クリーム入りコーヒーが出てくる。
(あ、ちゃんとクリーム入ってる。すごいなー、1回聞いただけで、ひとの好みとか覚えちゃうのかな?)
 ひと口啜って、ちらりと執事さんの顔を見上げる。
「本日の豆はナチュラル精製したエチオピア・ゲシャ・ビレッジのシングルオリジン、焙煎度はシティローストにしておりますが、お口には合いますでしょうか?」
「えっ!?」
 なんだか聞き慣れない言葉がたくさん出てきたけど、どうやらコーヒー豆の種類を説明されたらしい。
「えと……美味しい、と思う、けど?」
「そうですか。よろしゅうございました」
(………ホントによかったと思ってる?)
 ほとんど表情が変わらないから、なに考えてるのかぜんっぜん判らない。
 ああ、コーヒー、もうちょっとクリーム入れてほしかったな。
「………」
「………」
 黙ってコーヒーを飲むあたしの傍に、執事さんも黙ってずっと立っている。
(なにしてるんだろう?)
「あの……執事、さん?」
「榊です」
 即行でテーセーされた。
「あ、はい、スイマセン、榊さん」
「敬称も必要ございません。『榊』とお呼びください」
(……それって、もっと仲良くなりたいっていう意味で!?)
 ちょっぴり胃がキリキリするのは、空腹に入れたコーヒーのせいじゃないよね、ゼッタイ!
 なんて思っていたところへ、ゆきちゃんが現れた。
「おはようございます、征斉さま」
「おはようございます。あれ、未亜、今日はずいぶん早いんだね」
 ああ、なんて爽やかな笑顔でしょう。。。。心底ホッとする。
「おはよ、ゆきちゃん。朝からなんかよく判んないことで起こされたんだよ」
「ああ、乱入事件ね」
「知ってるの?」
「あれで僕も起こされたんだよ。まあ、やることあるから、ちょうどよかったんだけど」
 あの男の子が誰か知ってるのかな、と思って言ったんだけど、訊き方が悪かったみたい。
 ゆきちゃんはあたしの隣の席へ着くと、執事……違った、榊……を見上げた。
「後で少しお時間いただけますか? 仕事でご相談したいことがあるんですが」
「いつでもお声をおかけください。コーヒーをお淹れしても?」
「ええ、お願いします」
 ゆきちゃんはコーヒーを飲みながら、今日のスケジュールを榊に確認していく。取っつきにくい執事は、ゆきちゃんにとっては頼れる存在みたいだ。

 朝食の後、仕事があるからと部屋へ戻ろうとしたゆきちゃんが「この屋敷、プールがあるから泳いできたら?」と言ったので、ちょっと来てみたんだけど。
(想像してたのと違う……)
 壁と天井がガラス張りの温室みたいな部屋の中に、軽く100人くらい入れそうな巨大なプールがあった。
 やっぱりホテルだ。個人宅にこんな大きなプール、要るわけがない。
(ああ、でも、テレビで観たハリウッドセレブの家にはあったよね、こんなの)
 あのレベルなのか!と改めてびっくりする。
 このお屋敷にはほかにも、設備の整ったトレーニングジムや、スクリーンも音響もバツグンのシアタールーム、ダンスホールまであるらしい。
 きっとカラオケセットもあるね、これは。
 そうは言っても……。
(……ひとりじゃつまんないなー……)
 ひとりでぷかぷかしてたって、ぜんぜんおもしろくない。
 この屋敷でゆきちゃんのほかに話ができそうなのはユフィルくらいだけど、まだ気軽に遊ぼうと誘えるほど仲良くもなっていない。だいたい今日はまだ一度も姿見てないし。
 メイドさん達はみんな忙しそうだし。
(つまんないーーーー……)
 タイクツなので、ちょっとプールの底へ沈んでみる。
 おお、水がきらきら光って、なんかキレイじゃん。
「おいっ! おまえ! 未亜!?」
(あれ? 誰かが呼んでる?)
 呼び声に、あたしは「ぷはぁっ」と水から顔を出した。
「なんだ、あんたか」
 今朝のデストロイヤーがプールサイドから覗き込んでいる。確か、キヅレン?
「『なんだ』じゃねーよ。突然沈むなよ」
「あ、ごめん。つい死体ごっこしちゃった。溺れてたワケじゃないから大丈夫だよ」
「だろうと思って飛び込むのはやめた」
 そう言って立ち上がると、飛び込み台のほうへ歩いていく。
 ああ、なんかこの、ゾンザイ?な喋り方、メッチャ落ち着く……。
 基本的にこのお屋敷のひと達って、みんな『です・ます調』で喋るから、肩凝ってしょうがなかったんだけど。
 こいつとは仲良くなれそうな気がするよ、あたし!
「なに? なんか用事だったの? えーと……漣」
「……」
 あれ? なに、この間?
 漣で合ってるよね? キヅが苗字でレンが名前だよね?なんて、ちょっと不安になった頃、
「……セキュリティの確認。あと、飛び込み台の固定が緩んでるみたいだってユフィルが言ってたから、ついでに点検」
 漣が返事をした。
「へー、ユフィルもこのプール使うんだ。やっぱ誘えばよかったかな」
「あいつは夜しか泳がねぇよ。俺もたまに使わせてもらってるが、ここはジムと違って完全に遊興用だから、そう度々は使いづらいんだよな。その分目が届かないから、おかしなところがあったら言え。……っつか、本当はこんなの執事の役目だから、榊に言えってんだよな」
「? ゆーきょー用だから使いづらいって、どうして? どこがどう違うの?」
「……まるで違うだろ。トレーニングは仕事の一環。必要性があって施設を提供してもらってる。だが、ここは主のプライベート空間だ。そうしょっちゅう借りられるか」
「主? って誰のこと?」
「おまえの兄貴に決まってんだろ」
 ってことは、ここはゆきちゃんのプライベート空間なんだろうか?
「……ここって、多紀さんってひとのお屋敷なんだよね?」
「かつてはな。それをゆきが相続した。だから現在の当主はゆき。理解できたか?」
 ああ、そうか。
 ゆきちゃんは多紀さんの養子になってたから、遺産を相続している。そしてその遺産の中に、このお屋敷も入っているんだろう。
「?? じゃあ、ユフィルはなんでここに住んでるの?」
 ユフィルは住んでるんだよね? もうなんか、そこから自信がない。
「この屋敷は、もともとあいつのために建てられたって聞いてるぜ?」
「???」
(でも今はゆきちゃんのものなの? あれ? だいたいユフィルって庭師だって言ってたから、使用人さんってことになるんだよね? でも、昨日一緒に晩ごはん食べてたけど……んん?)
「ここの住人は誰と誰で、どっからが使用人さんでどっからが違うの??」
 さっぱり判んなくなって訊いてみたら、漣は思いきり溜息を吐きながら、それでも答えてくれる。
「屋敷の住人はおまえ達兄妹とユフィル、アスランの4人。だが、執事と俺、あと料理長も本館に居室を与えられている」
「メイドさん達は?」
「従業員用の寮が別にある。宿直に当たってなければ、通常はそっちで寝泊まりしている」
「はい、質問! ユフィルとアスラン?は、多紀さんってひとの家族なわけ?」
「血の繋がりがあるかという意味でなら、違う」
「じゃあ、どういう関係なの?」
「俺が知るか、そんなこと」
 言い捨てて、漣がキビスを返そうとする。
「待って待って、もひとつ質問!」
「んだよっ?」
「多紀さんって、なんかすごい大きな会社をやってるひとだったんでしょ? なんでゆきちゃん、養子に入ることになったの? ゆきちゃんてそのひとの会社で働いてたの?」
 ここぞとばかりに疑問に思っていたことをぶつけてみる。
 漣が軽く眉根を寄せた。
「……おまえの兄貴のことを、どうして俺に訊くんだ?」
「いや、なんか、あんた話しやすいから。ゆきちゃんぜんぜん仕事の話しないひとだし、あたしもいちいち訊いてもどうせ判んないしと思って、今まであんまり気にしたことなかったんだよね」
「じゃあ、そのまま気にせずにいればいいだろ」
 くるりと背を向ける。
「ええっ? 行っちゃうの~? 飛び込み台直しにきたんじゃないの~?」
「うるせーからおまえがいない時にやる」
 それだけ言い残して、漣はどこかへ行ってしまった。
(ちぇー、せっかく話し相手ができたと思ったのに……)

 ただ今午後の12時17分。
 珍しく朝早く起きたせいか、とってもお腹がすいた!
 ひとりでプールに浮かんでてもちっともおもしろくないし、「お昼ごはんですよ」って呼ばれた時には、かなりテンション上がったんだけど。
 ゆきちゃんはお仕事が忙しいとかで、お昼は自分の部屋で食べるらしい。ダイニングには初めて見るちょっと年取ったメイドさんがひとりと、ひとり分の昼食が用意されていた。
「あれ? ユフィルもいないんだ?」
「本日のランチは香草のサラダとオニオンスープ、オムライスのビーフストロガノフ添えでございます」
 会話が噛み合ってない。……まあ別に答えてほしかったわけじゃないんだけど。でも、ユフィルはいないんだね? 
 訴える目でお婆ちゃんメイドの顔を覗き込んでみる。
「……」
 反応なしか。
 席へ着くと、お婆ちゃんメイドは黙ってコップに水を注いでくれた。
「あ、ありがと……。えーと……た、食べちゃっていいの?」
 質問と共にお婆ちゃんメイドを見上げてみたけど。
「……」
 特に返答もなし!
「……い、いただきまーす」
 気にせず食べよう。
 ダイエットのためには、まず野菜から食べるのが基本! しゃっきりしたレタスとトマトと後なんかよく判んない葉っぱっぽいものが載っているサラダを食べてみる。
(あ、なんだろこれ? なんか香ばしい匂い。訊いたら教えてくれるかな?)
 ちらりとお婆ちゃんメイドを見てみるが、やっぱり無表情なまま前を向いている。
 黙って食べよう。……なんか、あんまり美味しくない。
 そう言えば、ひとりでお昼ごはんを食べるって今まであんまりなかったんだなぁ、なんてことに今さら気づく。
 学校へ行ってる時は友達と食べてたし、卒業してからは家でゆきちゃんと食べてたし。
 ゆきちゃんは夕方から仕事に出かけることが多かったから、朝以外は結構ちゃんと一緒にごはん食べられたんだよね。
 話し相手がいるのといないのとでは、ずいぶん気分が違う。このごはんだって、ホントはゼッタイ美味しいはずなのに。なんて言うんだっけ、こういうの……アジシオがナイ?(※味気ない)
「失礼します」
 もそもそごはんを食べ終えた頃に、料理長さんがワゴンを押しながらやってきた。
 えっと、桂くん、だったよね?
「お食事を楽しんでいただけてますでしょうか?」
「……美味しかったですー」
 楽しくはなかったので、ウソにならない返事をする。
「? えーと……こちらが本日のデザートになります。塩キャラメルムースです」
 ワゴンの中から、かわいいお皿に載ったデザートが出現する。
 スポンジの上にぷるっぷるのムースを重ねた小さなケーキ。ムースの上にはクルミとラズベリーが載っていて、端っこにハートの形をしたチョコレートが刺さっている。
「うわ、かわいい~、美味しそう~!」
「甘さは控えめにしてあります。お飲み物は、コーヒーと紅茶とどちらにしますか?」
「え? どっちが合うんだろ?」
「たぶんコーヒーのほうが」
「じゃあ、そうする」
 こういう時は専門家の意見に従おう。あ、よだれ出てきちゃった。
「じゃあ、栗本さん! お嬢さまにコーヒーをお出しして!」
「はい、かしこまりました」
 桂くんに言われて、お婆ちゃんメイドが棚からコーヒーカップを取り出す。
 ってか、ちゃんと返事できんじゃん!
「では、どうぞごゆっくり」
(えっ!? もう行っちゃうの??)
 あたしの体はホントに心に正直だ。まったくそんなつもりなかったのに、思わず桂くんの服の袖を掴んでしまう。
「?」
「あああ、ご、ごめん……っ」
 慌ててパッと手を放すけど、なんかゼッタイ不審だよね?
「……少し、お話ししますか?」
「いいのっ?」
 今のあたし、たぶんすっごく、いい笑顔しちゃってる。
「はい。榊さんもいないし」
 ちょっと笑いながら言って、桂くんはお婆ちゃんメイドのほうへ向き直る。
「栗本さん! ここもういいや、あとは僕がやります!」
「あら、そうですか? じゃあ、桂さん、よろしくお願いしますね」
 去っていった。
「よかった~~~」
 安心して体から力が抜ける。あたし、実はすっごくキンチョーしてたみたい。
「?」
「なんか今のお婆ちゃん、話しかけてもずーっと無視されちゃって……嫌われたのかなぁ?」
「ああ。栗本さん、ちょっと耳が遠いんだよ。だから大きな声で話しかけないと、聞こえないんだ」
 笑って言って、桂くんはあたしの前の椅子に座った。
「あっ、そうなんだ。なんだ、よかった」
 今度こそ心の底からホッとする。嫌われるのは慣れてるけど、ひと言も話さないうちに嫌われてたら、さすがにショックだ。
「デザートどうぞ?」
「あっ、うん。いただきますっ」
 勧められて、ひと口、ぱくっと食べてみる。
「……美味しい~~~っ」
 涙が出そう。
 しっとりと柔らかいスポンジに、ちょっぴり塩気のあるキャラメルムースが、もうゼツミョーなハーモニィ!! 今の気分をひと言で言うなら『シアワセ』!
 そんなあたしを、あたし以上に幸せそうな顔して桂くんが見ている。
「よかった。甘いもの好き? ……ですか?」
「うん! 大好き! 美味しい~~~~」
「お嬢さまにそんなに喜んでいただけるなら、僕もつくり甲斐があります」
「……あのー」
 スプーンを咥えたまま、桂くんを上目遣いに見上げてみる。
「はい?」
「その『お嬢さま』っての、やめてくんないかな? ぜんぜんあたしお嬢さまじゃないんだけど」
「え、いえ、でも……」
「肩凝っちゃうんだよねー、名前でいいよ。あ、その代わり、あたしも『桂くん』って呼んでいい?」
「う……」
 あ、なんか赤くなった。このひと、かわいい。
「もしかして、そんなに歳かわんなくない?」
「……い、一応、僕は成人してるからね?」
「あ、ホント? いくつなの?」
「22歳」
「えっ!?」
「そんなに驚く?」
「ごめん、だって20歳そこそこくらいかなーって思ったから」
 ごめんなさい、ウソです。ホントは10代だと思ってました。
「若く見えるって言われない?」
「言われる、しょっちゅう! いまだに高校生に間違われるよ」
 拗ねた感じの言い方も高校生っぽくて、ちょっと笑ってしまう。
「笑いごとじゃないよ、結構悩んでるんだから!」
「そうなの? 老けて見えるよりいいじゃん」
「そうかなぁ? よく若月(わかつき)さんにからかわれて……、っ、……るんです」
 途中で気づいて『です・ます』調を取って付けるのがおかしくて。
「もう! 敬語もいいよ! あたし今みたいなほうがしゃべりやすいの」
「そ、そう?」
「ホント言うとね、お昼、ひとりで黙々と食べてもあんまり美味しくないっていうか。あ、お料理はホント美味しかったよ? でもなんか楽しくないっていうか。だから今、デザートすっごく美味しい」
 心の底からそう思って、あたしはもうひと口ケーキを頬張る。
「……そっか。そうだよね。だったら、僕も仕事サボった甲斐があるよ」
 その後もあたしがケーキを食べ終わるまで、桂くんは一緒にいてくれて。食べ終わった食器をワゴンに載せて、仕事へ戻っていった。
 ホントはもうちょっとお喋りしたかったけど……『また後でね』って言ってくれたから、ワガママ言わずに我慢した。

 お屋敷のリビングには、超大型テレビが置いてある。
 サラウンドスピーカーから出てくる音声は立体的だし、大画面で観る水戸黄門はものすごい迫力だ。
 このインロウが目に入らぬかーっ?
「入るわけないじゃん」
 再放送のテレビドラマへツッコミを入れて、あたしは抱きかかえていたクッションごとソファへ横倒しになった。
 別にあたしは時代劇ファンなわけじゃない。ほかにやることがないから観ているだけだ。
「………」
 漫画だったら間違いなく、今あたしの後ろに『ぽつーん』って文字が入ってる。
 さっきまで一応、部屋へ運び込まれていた荷物の箱を開けてタンスにしまったりとか整理してみてたけど、もう飽きちゃった。
 リビングに来れば誰かいるかな、とか思って来てみたんだけど……。
 いるのは忙しそうに行き来しているメイドさん達だけ。
 結局今日のあたし、昼に桂くんと喋った後は、誰ともひと言も口をきいてない。
(ゆきちゃん、早く仕事終わんないかなー)
 ふて腐れてゴロゴロしてたら、廊下のほうから声が近づいてきた。
「んー、いい。起きたばっかでお腹すいてないし」
「だーめっ! 朝も昼も食べてないでしょ。ちょうどお茶の時間だし、きみにはサンドウィッチつくったから、少しここで待ってて」
 現れたのは桂くん。今朝のナゾの美少年も一緒だ。
「あ、未亜ちゃん」
 あたしに気づいた桂くんが、笑いながら声をかけてくる。
「ちょうどよかった、榊さんに呼んでいただこうと思ってたところなんだ」
「なに?」
「お茶の時間。チェリータルトとジンジャーパイを焼いたから」
「えっ、え? なになに、おやつの時間ってこと? そんなのがあるんだ、この家」
「あ、必要なかったかな? 多紀さんがいらした時にはいつもこの時間にみんなでお茶にしてたんだけど……」
「ううん、いるいる! ちょうどお腹すいてたとこ!」
「よかった。じゃあ、すぐ用意するね。きみもだよ!」
「はーい」
 ナゾの美少年にビシッと言って、桂くんがリビングを出ていく。ナゾの美少年は、あたしから一番離れた場所にあるソファの端っこへ、ちょこんと座った。
「えー……っと、そう言えば、まだちゃんと自己紹介とかしてなかったよね。あたし未亜。ゆきちゃんの妹なの。あんたは?」
「……」
 美少年があからさまに肩を窄めて、最大限あたしから距離を取ろうとする。
 うーん、なぜにあたし、こんな怖がられているんだろう?
「名前だよ。あたし、あんたのことなんて呼べばいいのよ?」
「好きに呼んでいい」
「……。い、いやいや、そういうわけにもいかんでしょ」
「どうして? 山や湖だって人間が勝手に名前つけてる。あなたがボクを個別認識したいのなら、あなたの好きな名前をつければいいと思うよ?」
「……いやいやいや、そういうことじゃなくてね。ってゆーか、みんなはあんたのことなんて呼んでんのよ?」
「多紀は……『アーシュ』って呼んでた」
「アーシュ! それがあんたの名前ね?」
「どう……かな。そう、なのかな……?」
「…………」
(どうしよう、不思議ちゃんだ……困った)
 早々に会話が行き詰まってしまった。
「お、なんや、嬢ちゃんここにおったで。さては甘いものの匂いに釣られて来たな」
 そこへ救いの神がやってきた!
「今、お部屋まで伺おうと思っていたところです。お茶をお淹れしようと思っておりますが、いかがですか?」
 あ、余計なのもついてきた……。
「あ、うん、桂くんから聞いた。すごいね、お茶の時間があるなんて! なんかセレブ~」
 ゆきちゃんも一緒に連れ立って現れた3人へ、あたしは気を取り直して返事する。
「多紀がいのうなってからは絶えてたんやけどな。やっとヴィラに主ができたから、桂ちゃんが復活させたみたいやで」
「征斉さまには甘くないものをお出しすると申しておりました」
「ああ、そうなんですか。気を遣わせちゃって悪かったかな」
「そっか、ゆきちゃん甘いのキライだもんね」
「主人の嗜好に合ったものをご用意するのが家人の務めですので、お気になさらず。おや、あなたも起きたのですか」
 ふとリビングの奥へ目をやった榊が、アーシュ?とかいう少年へ声をかけた。
「おはよー」
「もうじき夕方やん」
 ユフィルはアーシュ?の傍まで行くと、ヘッドロックして、わしゃわしゃ彼の髪をかき回す。
「ああ、そういや、ゆきとは久しぶりなんちゃう?」
「そうだね、多紀さんのお葬式以来かな。元気だった?」
「……ん」
 小さく頷いて、アーシュ?がユフィルの後ろへ隠れた。
「なーに人見知っとんねん! 前に何度も会うてるやろ」
「時間があいちゃったから、もとに戻っちゃったかな?」
 なるほど、人見知りなのか。
 ゆきちゃんには悪いけど、怖がられてるのがあたしだけじゃないと判って、ちょっとホッとする。
「お待たせ致しました!」
 お馴染みのワゴンを押しながら、桂くんがリビングへ戻ってきた。
 桂くんがワゴンの上でパイを切り分け、その間に榊がみんなの分のお茶を淹れてくれる。ずっとコーヒーばっかだったけど、今回は紅茶が出てきた。
 うん、いい匂い!
「このくらいでいいですか?」
「ありがとう」
 桂くんはジンジャーパイの載ったお皿をゆきちゃんの前に置くと、あたしのほうへ向き直る。
「未亜ちゃんは? ジンジャーパイとチェリータルト、どっちがいい? パイは甘くないよ?」
「えー、両方食べる~」
「はーい」
 桂くんはとってもいい笑顔で返事をして、あたしのお皿にパイとタルトの両方を載っけてくれた。
「若月さんはどうしますか?」
「ああ、俺は自分でやるわ」
 ユフィルがソファから立ち上がって、ワゴンのほうへと歩み寄る。
(あ、『若月』ってユフィルのことだったんだ。……日本人なの?)
 見るからにガイジンなのに。でも関西弁?喋ってるしな。
 なんて、思わず目の前のでっかい男を眺めてしまう。
 ユフィルはみずから小さく切ったパイとタルトを、器用にお皿へ盛りつけた。
「桂ちゃんも座ったらええやん?」
「えっ? でも……」
「お茶飲む時間くらいはあるんでしょ? せっかく未亜とも仲良くなったみたいだし」
「あっ」
 ゆきちゃんに指摘されて、桂くんが真っ赤になって口を押さえる。そう言えばさっきからお互い名前で呼び合ってるから、仲良くなったことはバレバレだ。
「征斉さまがそうおっしゃっているのですから、きみも一緒にお茶をいただきなさい」
 相変わらずの無表情で、榊が棚からティーカップをもうひとつ取り出す。
「鷹弥さんもどうぞ?」
「………」
 ゆきちゃんに薦められ、榊はなぜか、ものすごくいやそうな顔をした。いろんな場面でしつれーなやつだ。
「………」
 廊下から漣が顔を覗かせる。
「お、漣。おまえも茶ぁ飲むか?」
「あ、枳津さん、ジンジャーパイありますよ?」
 漣は軽くみんなを見てから、つかつかとあたしのほうへ寄ってくる。ひょいとお皿からパイを取り上げた。
「美味い。バイクでその辺流してくる」
 喰い逃げした。
「あっ、ちょっとー! あたしのパイ盗った~~~っ!」
「ああ、もうっ、今新しいのあげるから! 榊さんも。これくらいでいいですか?」
「ええ、ありがとうございます」
 桂くんからタルトの載ったお皿を受け取り、榊も席へ着く。
 まったりした時間が流れる。
 黙ってお茶を啜っていたアーシュ?が、
「……思い出すね。多紀が元気だった時は、よくこうやってみんなで集まったもんね」
 ぽつりと呟いた。
「そーやなぁ」
 隣に座っていたユフィルが、アーシュ?の頭の上へ顎を載せる。
「あれからまだ2か月ちょいか……。なんやずいぶん経ったような気もするな」
「そう、ですね……」
「……」
 みんな急にしんみりしてしまう。多紀さんを知らないあたしだけ、ちょっと仲間はずれな気分だ。
「まあ、でも、こうして無事ゆきをヴィラへ迎えられたんやし!」
 暗くなった空気を入れ替えるみたいに、ユフィルが明るい声で言って、
「かわいい妹もくっついてきたことやしな」
 あたしへウィンクを投げてよこす。
「やっぱり女の子いてると違うな。場が華やぐわ。なあ、鷹弥?」
「そうですね」
 棒読みだ。
(ぜんっぜん思ってないよね??)
「ごちそうさま」
 からになったお皿の上へフォークを載せると、アーシュ?がさっさと立ち上がる。
「なんや、もう行くんか?」
「あっ! サンドウィッチ残してる!」
 たぶん彼のために桂くんがつくったサンドウィッチが、二段式のケーキスタンドへ並べられたままになっている。
 野菜とお肉の挟まったものと、ホイップクリームと果物の入ったフルーツサンド。彩りもよくて美味しそう。なのに。
「タルト食べた」
 まるで興味なさげに答えて、アーシュ?はリビングの戸口へと向かう。
「もっとちゃんと栄養摂らなきゃダメ! きみタンパク質不足してるから!」
「もーお腹いっぱい。出かけてくるー」
「お帰りはいつ頃になりますか?」
「判んないー」
 去っていった。
「相変わらず、自由気ままなんだね」
 ゆきちゃんが苦笑しながら、その背中を見送る。
「少し自由すぎなんですよね、アーシュは。せっかくつくったのに」
 残念そうに言って、桂くんはお皿に残されていたサンドウィッチをひとつ摘まむと、口の中へ放り込んだ。
「桂くん、それ、あたし食べる。美味しそう」
「え、ほんと?」
「うん」
 ホントはお腹いっぱいだけど、なんか桂くんが可哀想だから食べてあげよう。
 それより。
「……ねえ、あのアーシュ?って子さ、ここに住んでんだよね? さっき漣が言ってたんだけど、アスランっていうのは?」
「アーシュのことや。本名はアスラン・フローライト。……まあ、ほんまに本名かどうかは判らんけど」
 小ぶりのフルーツサンドをもぐもぐしながら尋ねるあたしに、ユフィルもひとつサンドウィッチを摘まみ上げて答えてくれる。
「? 多紀さんの親戚とかなの?」
 その質問で、全員が一瞬目を見合わせた。
「「さあ?」」
「『さあ?』って……!?」
「正直、俺らもよく知らんのや。ある日多紀が『わたしの愛人だから』とか言うて連れてきて、気がついたらこの屋敷に居ついてたん」
「多紀さんのことだから、どこかで拾ってきちゃったんだろうね」
 あるあるといった風情で、ユフィルとゆきちゃんが頷き合っている。
「拾ってきちゃったって……」
 それは大丈夫なんだろうか? 小首を傾げると、
「詮索は無用に願います」
 榊が冷たく言い放った。
「我々は、彼を拘束しているわけではありませんしね」
「えっ?」
「帰る場所とその気があるなら、自分で帰っているよ」
 ゆきちゃんが榊の言葉を補足する。
(ああ、そうか……)
 アーシュにどんな事情があるのかは判らない。でも、親元にいることが子供にとって必ずしも幸福なわけじゃないことを、あたしはよく知っていた。

「失礼致します、今よろしいですか?」
 夕食後、ひとりダイニングへ取り残されていたあたしに、榊が声をかけてきた。
「なにー?」
 スマホゲームを中断すると、あたしはダラダラ飲んでいたフレッシュジュースを一気に飲み干す。夕食の食器を片した後に、わざわざメイドさんが置いていってくれたものだ。
 榊は一瞬眉間へ小じわを寄せてから、
「明後日なのですが、夜はなにかご予定がございますか?」
「ミョーゴニチ……」
 っていうのは、あさってのことだよね?
「特にないけど」
 一拍置いて、榊が手にしていた封筒をあたしのほうへ差し出した。
「実は……多紀さんの古くからのご友人で、二ノ宮夫人という方がいらっしゃるのですが、お嬢さまあてに夜会のご招待状が届きました」
「えっ!? あたしに?」
「この島に別荘をお持ちで、度々親しいご友人を招いていらっしゃるのですが……どこからかあなたのことを聞きつけたようで。ぜひいらしていただきたいとのことです」
(なぜか)溜息まじりに説明してくれる。
「へえ~」
 金箔で縁取りされた招待状には、日時と会場の案内が印刷されていた。
「……ってか、夜会ってなにするの?」
「ダンスパーティーのようですね」
「ダンスパーティー!? うっわ、なにそれ、あたしそんなの映画の中のお話だと思ってた! ホントにあるんだ?」
 ちょっぴり興奮ぎみのあたしとはウラハラに、榊は短い溜息を吐いて眼鏡を指で押し上げる。
「二ノ宮夫人にはわたくし共もなにかとお世話になっていますし、元外交官の奥さまで、今でも各国の政財界に太いパイプをお持ちですので、できればご招待をお受けいただきたいのですが……はぁ」
「……あのー……その溜息はなんなの?」
「お気になさらず」
(そんなに何回も吐かれたら気になるわよっ)
「ご出席ということでよろしいですか?」
「あたしは別にいいけどさ……」
 ってか、あんたのその溜息の理由がメッチャ気になるよ?
 あたしはじっと、榊の能面みたいな顔を上目遣いに見上げてみる。
「当日のパートナーはどうなさいますか?」
「パートナー?」
「おひとりで行かれてもかまいませんが、誰かを伴ったほうが格好がつくでしょうね」
 そんな投げやりに言われても……。
「あんたは来ないの?」
「私ですか?」
「うん。だって、そのナントカ夫人って、あんたの知り合いでもあるんでしょ?」
「……確かに」
 榊が軽く腕組みをする。
「この田舎者まる出しの小娘をひとりで行かせるのは、リスクが過ぎますね」
「聞こえてるわよ」
「いいでしょう、当日は私が同行させていただきます。あなたはご来場のみなさまへ、くれっぐれも失礼のないようになさってください」
 ビシッと指を突きつけてから立ち去った。
 ……ねえ、あんたは少し、あたしに対してしつれーすぎない?

・・・つづく


第3話 淑女教育?

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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