短歌鑑賞「9首連作 めたふぁー」選
カタカナではなくひらがな表記のめたふぁーは、その言葉自体がひとつのメタファーとなっている。キスもひらがな表記である言葉遊びの世界の中でベッドだけおいてある部屋は唯一の生活感であり実存するものである。
果たして寝室だけが実存する世界の中で「めたふぁー」とあくびのように口に出したのものの正体は。作者がキスをしているので恐ろしいものではないが、その正体がなにか興味が湧く短歌。
シルバニアファミリーが核家族化したことを示す<核>の文字により破調となっている短歌。ギクシャクしてしまったのだろうか。
ペット可の部屋を見つけたほうが勝ちということはペットを飼育したい状況であるということ。しかし、記載せずともシルバニアファミリーは動物で構成されている。はらんだ矛盾をみつめる作者が「かわいいね」という言葉は少しばかり残酷である。
シンプルな一首。光源を見つめたまぶしさの中でチャイムが響く。
しかし、その残響も閉じるまぶたと共に消えていく。吐息さえも消えていく。
作者の描写と観察が光る。
鯨の声という壮大な自然現象を背景に、人間の内的世界への問いを投げかける。
「話すときたましいどこにあるんだろうね」という一節は、日常的な行為である話すことに対し、その根底にある魂の所在という抽象的なテーマを結びつけている。
この対比によって、生命そのものの神秘が鮮やかに浮かび上がる。くじらの声が波間を超えて届くように、人間の魂もまた、言葉という波に乗って他者に響くのかもしれない。