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3.左肺全摘後の入院生活

 こんばんは、片肺のがんサバイバーminoriです。
 本日は第4回目。今回は左肺全摘後のお話です。


<前回までのあらすじ> 内視鏡検査を行い、左下葉の摘出手術を行うこととなった私。しかし、手術の途中病気の進行が見られたため急遽予定を変更。私の知らぬ間に左肺の全摘術が行われていたのであった。

摘出手術 ←【今回のお話】
 ↓
シスプラチンによる抗がん剤治療(途中でギブ)
 ↓
経過観察
 ↓
右肺に転移、レットヴィモの服用を始める

1.意識回復

 本来5分の1を取る予定が半分に……。
 なので手術の時間は倍に。勿論、麻酔の量も倍になりました。

 最初に目を覚ましたのは18時。夕方を知らせる市のサイレンが鳴っていたのを覚えています。
 近くのベンチには家族がいました。それを確認するために起きたかのように、すぐにまた夢の世界へ。

 次に目を覚ましたのは真夜中でした。麻酔の影響か、とにかく嘔吐が酷かったです。しかも仰向けで寝ているので、出たものは全部顔に降りかかってきます。若葉マークの看護師さんが一生懸命拭いてくれました。

 このときは寝付くまでに時間がかかり、うっすらとですが意識もありました。足やアソコに取り付けられた機械や周囲の様子をぐるりと目で確かめて、「ホントに説明通りのことが起きている」と思いました。(いや左肺取ってるし全然説明通りじゃないんですけどね)

 「足なら動かしてもいいんだよ」と看護師さんに言われましたが、体力が落ちてるのかとてもそんな気力は湧いてきませんでした。
 それよりも、時計の隣にぼんやり見える黒いものが気になってました。え、あの黒い点、ゴ○ブリだったらどうしよう……。尋ねる術もないので本当に恐ろしかったです。(何かの機械でした)

 いつの間にか眠りに着き、朝になっていました。
 術前説明された通り酸素マスクも取り、元の大部屋に戻るため、看護師さんが着々と準備を進めてくれました。

 そのときの時間の流れは、妙に遅く感じました。「早くして…」とイライラしながら思った記憶があります。
 多分、こういうことだったんでしょうね。


2.息ができない……

 正確には出来ているのですが、とにかく息が吸えません。
 吐くことはおろか、まともな声量で声を出すことも出来ません。
 息を水に置き換えて、例えば私達が普段紙コップ(約200cc)の3分の1ほどの水を一度に飲めてたとしたら、当時の私はおちょこ(約18cc)の半分も飲めてませんでした。
 もはや息を吸うというより、すするに近かったです。

 看護師さんや面会に来た家族(※)に色々声を掛けられましたが、やっと返事をしてこうです。
 「息ができない……(蚊の鳴くような声)」
 というより、その日一日発した言葉、全部これだけでしたね。

 身体は寝起きできるくらいには動きましたが、息苦しさで忙しく動作はゆっくり。そしてなぜか顔も上がりません。
 病室の仲間のAさんにスマホのアラームを止めてもらった話をされましたが、とりあえず手を合わせて拝むように頭を下げるしか出来ませんでした。(手術のときはスマホの電源を切っていこう!) 

 そんな調子なのでおかゆもまともに食べられず、この日は酸素の管が来るまでずっと虚ろな顔でいました。気分が沈んでいたとかではなく、表情筋を動かす体力もなかったんだと思います。
 その状況下で現れた酸素の管(「鼻腔カニューレ」というらしいです)は、もう本当に救いでしたね。
 つけた瞬間息苦しさからすっと解放され、深い眠りの中に入っていけました。
 逝くときはあんな感じで逝きたい。
 今でも時々そんなことを思ってしまいます。

※コロナ禍ではありますが、当時はまだ条件付きで面会が出来ていました。

3.約14日間の入院生活

 退院したのはそこから約10日後。
 まず、術後の私の症状ですが、翌朝には嘘のように元気になってました。
 息も普通にできるし、食事も出来ます。病室の方と普通に会話も楽しめていたので、「minoriさん昨日と別人みたい!」と看護師さんに言われました(つまりこの看護師さん前日いたんですね。気づかなかった)。

 ちなみにこの病室ですが、私を含めた3人が同じ内容の手術(肺の一部を摘出)を受けていた……はずだったのですが、私だけ予定が変更になったので、術後につくはずの管もありませんでした。
 確か体内の水を抜くための管だったと思います。が、「何で私にはないんだろう」と思うくらいで大して気に留めませんでした。無事に復帰できたのが嬉しくて。
 実は術前に手術後のためのトレーニングをしていたのですが、今にしてみるとあまり意味がなかったかもしれませんね。

 手術を終えた後は一週間ほどリハビリをしてました。呼吸を意識しながらのウォーキングや、簡単なスクワットが主です。
 
 リハビリの時間は一時間もないので、その他の時間はとても退屈でした。大した暇つぶしも持ってなかったので、昼寝をするかスマホをいじるか、お見舞いに貰ったぺんぎん?の丸い輪郭を目でなぞるのみ。

 廊下に出ると恐らく同じように暇をしたご年配方がいるので、適当に話し掛けて情報収集をしてました。抗がん剤4クール目の人、新薬のテストの人など……摘出手術後のビジョンが見えていなかったので、そのヒントを頂けました。
 その他飼い猫に早く会いたい人、声が聞き取りづらいけどネガティブなのは分かる人、色々いました。
 「退院が決まったよ!」と報告しにくれた方は私の暇つぶしに付き合ってくれた人だと思うのですが、ごめんなさいその時点であなたが誰なのか正直忘れてしまいました……。

 そんな感じで計14日間の入院生活は無事終了。
 というより、ベッドで腰が痛むのが耐えられず、最後は退院を願い出ました。

トレーニングについて

 術前のトレーニングは二種類の練習器を使って行いました。

 意外にもamazonにありました。
 吸う練習をするための練習器です。私は3つ目のボールが重くて吸えませんでした。 

 もう一つは吐く練習をするための大きな筒状の笛。吹いて音がなれば成功です。こちらはヨユー。


 今回はちょっと長くなったので、ひとまずこの辺で。また次回。


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