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もう薄っぺらい人生は卒業

noteを書き始めて、noterさんたちの文章をたくさん読むようになって1番感じたことは「本気の文章は伝わる」ってこと。

本気って言うと、すごく気合が入っているって言う印象かもしれないけれど、そうじゃなくて、「本音」って言う意味が近い。

本音、本心で書いている文章ってわかるし、逆に鎧をかぶせて、きれいにまとめている文章もわかるようになってしまった。

それは自分が後者だったから。

これまでの私は、人からかっこよく見られたい気持ちが強かった。

だから、これまでの自分が書いてきたアメブロの記事やインスタの投稿を見るとちょっと恥ずかしい気持ちになる。かっこつけてる・・・。

その時は真剣に書いていたし、本気で書いていたつもりだったけど、自分の汚いところ、苦手なところ、できないところ、クズなところ、そう言うものは見えないように、それでも「ウソ」だけはつかないように、うまく・きれいにまとめている。

あー、なんか私の人生そのものが、そうだったーーーーーーー。

嫌な感情を感じないように、傷つかないように、失敗しないように、まるで味噌汁の上澄みだけをすくっているかのように、できることだけを難なくやってきたような気がする。

その分、私の人生は薄っぺら。大きな挫折もないけど、めちゃくちゃ興奮するような喜びもない。上澄みのように、品はあるけど、コクがない。

薄々は気づいていて、このnoteを書き始めた頃、本音で書くと決めていた。それでも少し前の記事をお読み返して見ると、やっぱりかっこつけてきれいにまとめている記事が並んでる。

そうよね、そんなに簡単には本音も出ないんだろうね。50年もの間、かっこつけて生きてきたんだものんね。

でも、これからの人生、薄っぺらは嫌なんだよね。自分の感情や思いを自分でちゃんと受け止めたい。かっこいいとろだけじゃなく、ダメなところも受け入れられる自分でありたい。


ここまで書いて、なんか少しだけど嬉しい。今日は、本音で書けている。こんな私だから書ける文章があると今、思えている。


私は情報をまとめたり、うまくHowToをまとめて書くタイプの人じゃない。書くことは好きだけど、何を書いたらいいのかわからないと思ったことも何度もある。でもこうやって自分の体験、思考、思想を本気で書くことで、何かを感じてくれる人がいるかもしれないと思うことが今、できている。


もう、薄っぺらい人生は卒業する。






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