見出し画像

東京藝術大学、卒業制作展を終えて

先日、東京藝術大学卒業制作展、無事に終えることができました。
大芸を中退して東京芸大に入学して、7年間の学生生活がようやく一区切りです。(予備校も合わせたら9年間。笑)

他の科と違い、油画科は学内展もあるため、一月始めの学内展から都美館展示、搬出まで、ノンストップで進みます。
その間、落ち込むことなど許されず色んな感情をとりあえず見ないようにしてどうにか立っていたのですが、展示が終わった今、じわじわとその影響が出てきて重い沼にじっとりと沈んでいます。

今回インスタレーション作品を展示しましたが、今後の展開を考えるとまずは絵だけの構成でアプローチした方がよかったのではないかと考えてしまいました。
インスタレーションはまだ遊んでる段階でそこまで洗練されていないし、搬入時間は満足に取れず、また体力や精神力もピークでどうにかまとめるのが限界でした。これは明らかに自分の未熟さが原因です。

そして、
空間をつかった作品をつくりたい、絵も見てもらいたい、文字もみせたい...
卒制というタイミングで自分の表現できる手段が増えていて、それを全部やりきりたいと思ってしまった。
それが今回の自分にとっての敗因だったのではないかと思います。
足りなかったのではなく、出来ることがありすぎて、しっかりとその中から適切に適量を選ぶことができなかった。
それが中途半端で要素の多い見え方に繋がってしまったのだと、すごく悔しい気持ちです。

見せ方(アプローチ)という点で転んでしまった展示でしたが、
ただその空間にある一点一点を見ていくとそこにネガティブなものはなくて、胸を張れるようなものになっていたと思います。
誰かの作品に似ていると言われ(似ているというだけで見ることを拒否されたり)心が抉られるような気持ちになったりもしましたが、その表現に私のウソは一つもありません。
表面が似ることなんて言い出したらキリがないし、そんなの服の趣味のようにあっけなく変わるものです。それより大事なのは作品をつくっている内側の構造やそれでも消えてくれない体質の方だと私は考えています。
それに表面が似ることは今の時代感を表すキーワードな気がします。ネットが普及して世界中の様々なイメージ、ビジュアルがどこでも簡単に見れるようになった現在で、特に若者にとってはとても自然なことのように思います。(この話は長くなりそうなのでここでは割愛します)
自分の作品を自分の言葉で伝えられるようになったのは今後につながる大きな成長でした。
今回、空間をつくるにあたり、仮設工事現場にある大きな養生テント(名前がわからない)が大切なモチーフになっていますがその話もまた次の記事に回します。


つらつらと長ったらしい文章を書いてしまいましたが、結局私は自分の良いところをあまり見ず、悪いところだけを見てしまう癖がいつまでも抜けません。そのおかげ(原因)で表現に対し切磋琢磨してこれたのだと思います。
あまりにそれだけだと辛いので最近は少しずつ褒めるよう意識しています。

学校を卒業してからのことはまだわかりません。
留学するかもしれないし、就職もするかもしれないし、
私のいる世界はどうあがいても厳しい現実なので、それと向き合わねばなりません。作品を作り続けていく為にどう生きていくか。

表現の世界は奥深く、行き先は遠いのか、はたまた近いのか、
ただ、まだまだ長い旅になるのだと思います。



最後に。
今回展示を観て、作品購入してくださった方々に感謝です。
今後の制作も気合いだけでは続けていけないのが現実で、経済的支援がなによりも有り難いです。今後も応援いただけると幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?