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カフェに落ちているそれぞれの時間は美しい

私はカフェに落ちている時間が好きだ。

通された席の隣に目線を送ると、まだ片付けられていない食器やカップ。そこにいた人たちの名残が横たわっている気配がする。そのおしゃべりをしましたよ、という椅子やカップの位置を見るとなんだかそこに美しさを見たような感覚になるのです。

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私はまったくの他人であるにも関わらず、どんな話をしていたのかも知らないのに、そこにある静物的、または意図的である無意識の配置にうっとりとしてしまう。

この感覚の表現として、正しくは”落ちている。”のではないのかもしれないが、こうやって写真を撮ることによって拾っている気がするので今の所はしっくりきています。

また別のカフェでこの時間に出会いたい。

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