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「町の発展、その順番を読む」

「町の発展の仕方」を原初の集落(縄文~)から見てみましょう。
シムシティ的な考察です。
私見・仮説ではありますが、論理構成のトレーニングも兼ねて。

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①時は縄文(BC13,000年!~)…から、集落はありました。
一時期、現在よりも2~3メートルも海水面が高く、海が深く陸地に浸入しており…栃木県の現・渡良瀬遊水池💛あたりまで海(奥・東京湾)だったと言われます。

なので、びっくりする様な内陸に「貝塚」地名があります(*)。
(*例:埼玉県蓮田市の黒浜貝塚、岩槻区の真福寺貝塚、春日部市や川口市、茨城県古河市にも存在する)

②時が進み、AD1年(イエス・キリストご生誕)頃、
海水面の低下によって奥・東京湾(?!)からは水が引き、少なくとも埼玉の人々は土地を取り戻していきました。

③そうして、徳川あたり(AD1600年頃)から、
5街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の整備が本格化しました。
(街道以前にも人々の往来や年貢・商業目的の物資搬送はままありましたが、やはり「地産地消」的な商圏が主だったでしょう)
有名な”富山の薬売り”は、身一つで運べる丸薬・胃腸薬の商いをAD1700年代~発展させました。これには街道・宿場の整備が一役買いました。

④地方から江戸へ、参勤交代の義務もあった故に人々の移動が促され、重要拠点(城・産業& 商業地区・寺社・特産物・鉱物…)を結んだ街道周辺は栄えました。
その並びには宿場町、特に「東海道53次」(日本橋から京都を結ぶ街道沿いの、宿場53か所。旅籠総数3,000超)は風光明媚、観光でも有名、
その周辺に人は集まり、各々農耕・手工業・旅館業・接客業などで栄えました。

⑤そんな街道筋には、政治・経済の中心も多く並び、
各藩大名の居所(城や陣屋)があり、通行手形発行等でも活躍した神社仏閣もあって、交通の要衝でした。
そんな地域の中央ですから、元々自然災害の心配が少なく、多くの人が集まれるような拓けた場所だったでしょう。…つまり「原初の宅地」が街道筋にある訳です。

⑥次に大きな変化が訪れる契機が、産業革命です。1853年黒船来襲、その技術に追い付け追い越せで始まった日本版産業革命が、1872年設立の富岡製糸場を皮切りに始まったのです。
アルビン・トフラーが「第三の波」で詳述されていますが、産業革命は大まかに二つの層を生み出しました。「資本家」と「労働者」です。

それまで家内制手工業が中心であり、小規模・個別生産・職人による手作業ゆえに高価で生産量も少なかったものが、
自動機械の導入で生産能力向上、「機械生産キャパに人間が合わせる」必要が出てきました。
(その時、資本家/工場経営者は、農村から「読み書きそろばん・時計・基本的な単位も分からない」大人を連れてきても「仕事にならない」ことを思い知らされます。それゆえに「学校教育」を提供しました。それは:
●最低限の知識●時間通りに動く●権威(先生→雇い主)に従う
●過酷な単純労働に長時間従事する
生産の歯車としての「労働者」を育てるためでした)

⑦機械生産は競争によってどんどん重厚長大化し、そこに雇用される人員も大勢になっていきます。ゆえに工場のそばに住居/社宅/アパートを建てる、または公共交通機関(鉄道・バス)で住宅街と生産拠点を結ぶ…という、大規模な都市開発・造成・建築事業が興りました。
「サラリーマン」の誕生です。(”文化住宅”と言われる「平屋・汲み取り・バランス釜」の物件は、こうした時代の名残でしょうか)

⑧農村では長男は敬われますが、次男・三四五男・その他は
家督を継ぐ希望もなく、養子になるか労働者になるか…でした。
特に太平洋戦争終結後、1948年頃から、就職先・高賃金…と言う魅力に、農村から都市部へ大規模な人口移動が発生。
「集団就職」「金の卵」と呼ばれ、その多くは中卒の10台…が大量に地方から都会へ送られました。
その頃は労働者の権利を守る組合もあったので、給料・待遇も良く、送り出す農村側・受ける都市側、資本家・労働者の必要が双方満たされました。

⑨そうして就労し、高賃金で長時間の労働に耐えた「金の卵(ベイビーブーマーI)」たちは、自己資本を蓄えました。
彼らが成人し、結婚し、住居の必要が出てきて、そこから建築ラッシュが始まります。
上記の街道筋など、平らで広く、自然災害からも守られるような場所には、既に市街が展開しておるため、その周辺の平地がまず占拠されます。
しかし山間の国、日本では平地は限定されます。
マイホームが職場から、どんどん遠くなって行きました。

⑩平地を使い果たすと、不動産開発会社は、
山の斜面や穴・溝、湖沼、水田…と言った「建築に適さない土地」まで造成するようになりました。建設重機の発展も相まって、大規模造成が物理的に可能になったのも要因でしょう。
また、1972年からの「列島改造論」で、政府が
「工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる “地方分散” を推進する」ことを見越して、
土地投機が起こり不動産ブーム、地価上昇、物価高騰…等が起こりました。

⑪鉄道はそうした「栄えた拠点」を結ぼうとします。かつ、できるだけまっすぐな線路配置を検討します。
しかし商業と居住の中心部はもう占拠されているので、鉄道網はその市街地の外縁・水田との境目を、かすめるように発展しました(または川の上、河川の埋め立て地を走らせたり、都内では地下鉄にしたり…)。
特に地方では、広域地図/航空写真で俯瞰すると、線路を挟んで左右が:
明らかに市街化・発展している側と、
大型河川に寄っている、田畑が多く道路が広くて真っすぐ、広い公園あり…のような閑散とした側があることに気付くでしょう。
(投資家としてはその意味と、投資価値を読むべきです)

⑫そんな中、人がどんどん増えて行く…
三大都市圏の人口流入は続きます。また1960年~1970年代にかけて元「金の卵」たちが今や家庭を持ち、新築・三種の神器所有、子育てに入ります。
市役所は早い段階から中心部にありましたが、
人口が増えるにつれて小中学校・病院・警察消防・広い公園・ゴミ焼却施設・葬祭場・その他…は計画され、建てられました。

その頃にはもう、中心街に(まとまった)敷地がなく、
特に新し目の公共施設は、実は悪い地盤に建っていることがあります。
学校でも大雨の後、校庭が冠水するのは「発展の最終段階に建てられたから」かも知れません。ゆえに「学校隣」等は、逆に油断できないのです。

⑬現代でも、鉄道会社が「新駅造ります!」
「レイク〇ウンです」「清水公〇です」「喜連〇です」等言って、新駅の周辺にマンションや分譲住宅街を建て上げ、売り込もうとすることがあります。
今の今まで空いていた土地…です。
見れば「レイク」「清水」「〇連川」です。
全部水属性なのは推して知るべし…。

よほど造成にカネを掛けないと、まともな住居など建たない地盤に、
えいやっと杭打つなり・埋め立てるなりして、分譲建売したような物件。と言うことですね。他に建てられる土地ないので…。
避けねばなりません。

結論:
その土地の「昔の姿」もしっかり確認してから、購入判断をしましょう。
例:国土地理院HP、年代別の写真
https://maps.gsi.go.jp/#13/36.105081/140.146923/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

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