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どんなときもスタッフの価値と評価を分けて考える管理者や組織でいたいなと思う話。

「評価と価値は分けて考えようね。価値は誰にでもあるからね」

社内外問わずキャリアに関わる面談をすることが多い私が、退職する看護師や、心新たに新天地で働く看護師とそれを支える先輩たちに、よく伝える言葉である。

管理者である自分に常に言い聞かしている言葉でもある。

自分の組織以外でも4月は新規入職者や退職者が多くバタバタしていたが、少し落ち着いたので、なぜそう伝えるのかゆっくり考えてみたい。

できれば評価したくないけど評価は必要。

みなさんが所属する病院や訪問看護ステーションには「評価の軸」があるだろうか?

医療法人であれ、営利法人であれ、組織は何かしらの目的のために存在している。例えば「患者さんの健康に貢献する」だとしても、その目的を達成したり、1人でも多くの患者さんに看護を届けようとすると、実践している看護の評価や、スタッフの評価は必要だ。

「みんな違ってみんな良い」は、同じ軸の上での話し。
アメリカ行きの船のスタッフは料理人や医療スタッフなど色々いて良いし、得手不得手や価値観も多様な方が良いが、ヨーロッパに行きたいとする行動を評価できるかとなると話しは別である。

私も看護師なので、評価するのもされるのも個人的には関わりたくないし苦手だ。
でも、フリーランスではなく、組織の中で看護を実践し報酬を得ている以上、評価は必要である。
で、あるならアウトカムの分かりづらい自己評価や、管理者の独善的な評価ではなく組織として評価軸を持つことが大切だ。

私が所属するウィル訪問看護ステーションでは、「全ての人に家に帰る選択肢を」を理念に訪問看護事業を展開している。
看護師には評価のラダーが設定されており、毎回面談をしながら確認をしている。
訪問看護のアウトカムについて話すと長くなるので割愛するが、訪問件数だけではなく、看護の質や組織貢献など、、、個人的にはバランスよく設定され、必要に応じ適切に変化を遂げてきたのではないかと思う。

ただ、評価は時に残酷だ。(管理者側も心が折れそうになる。

頑張ってるから評価するわけでもないし、最近落ち込んでいるからモチベーションを上げようと高い評価をするわけでもない。
「全ての人に家に帰る選択肢を」の未来を実現するために、組織の軸にそって評価するのだ。

例えばウィル訪問看護ステーションではその理念から、選択肢やそのプロセスに興味がない人は評価しづらい。一部の診療科に没頭したい看護師や、スタッフとして働いてるのに管理や経営に関心が偏っている人も評価は低くなりがちだろう。

評価したことはキチンと通知しないといけない。
フィードバックは管理者の取得すべき最重要能力の1つだと思うので興味のある方はコチラを是非

正直に事実を伝えると、評価が低い人、下がってしまう人がいる。
「頑張っているのに評価されない」と反発されることもあるし、結果的に退職に至る人もいる。
縁あって一緒に志を共にした人が辞めてしまうことは悲しい。
評価を高めるために、評価が低くとも価値があると感じてもらうために、自分自身どんな支援ができただろうと悩んだり自己嫌悪になることもある。

人は誰しも価値がある。もちろん看護師も。

「評価と価値は分けて考えようね。価値は誰にでもあるからね」

冒頭でも述べた、私がよく言う言葉の1つである。
これから臨床にでる看護学生や新人も含めて、みんなに知っておいて欲しい。それは「評価が低い=看護師として価値がない」と考える看護師が多いからである。

誰しも価値はある。もちろん看護師も。

どの診療科でも、働き方でも看護に従事する方は本当に価値ある貴重な存在だ。
例えば、一部の診療科に没頭したい看護師には、きっと没頭できる職場があるはずだし、マッチする職場は必ずあると思う。
子育て優先しながら働くママさん看護師も、趣味を優先してバイトで働く看護師も、みんな目の前の患者にとっては非常に価値ある看護師だ。

訪問看護では、1日1件しか訪問しない看護師は1日5件いく看護師より評価は低いかもしれない。重傷者を看れない人は、看れる人より評価が低いかもしれない。
でも、評価は低くとも、1件でも、軽度な患者でも、目の前の看護が必要な人に看護を提供した看護師は価値があるのだと思う。

低い評価や下がった評価は、ある場所での「軸」の上だけのものであって看護師としての価値を示すものではない。

評価が低いと給与が上がらない、役職がつかない、など不都合はあるかもしれない。
でも、そのまま頑張って高い評価をつかみとっても良いし、
評価は低くても、楽しく働けてるからと、そのままでも良い。
もちろん、自身の看護や看護観を評価してくれる職場に移動しても良い。

伝えたいことは、
「評価と価値は分けて考えようね。価値は誰にでもあるからね。
たとえ置かれた場所での評価が低くても、あなたの看護で救われる人がいることそのものが価値。評価に惑わされて、看護師としての価値まで見失わないでね」
ということである。

自身も低い評価に苦しみ続けてきた私ができること。

一臨床家として、評価は自分で努力して掴みとるものだと思っているが、
かくいう私も評価に悩み、自信を失ってきた過去がある。というか、ずっと評価の低い看護人生だと思う。

私は専門卒だし、准看護師あがりだし、男性だしと、常に評価されにくい環境からのスタートだった。
自分では患者を想い、頑張ってるつもりでも「もっと寄り添って」とか「親身になって傾聴しなさい」などと根拠のない評価に苦しんだこともあった。

それでもずっと看護の臨床で働き続けてこれたのは、今振り返ってみると、看護助手のころから患者やその家族はいつも必要としてくれていたこと。
また、たとえ評価が低くても、上司や先輩から応援され、支えられている実感があった。
評価関係なしに、自分を必要としてくれる人がいたから今日まで頑張れたのだと思う。
(評価が上がったり、その職場に馴染んでしまうと、低い評価をしていた上司や先輩からも、色々と影で支えられていたのだと気づかされることも多かった。)

管理者となった今は、低い評価を伝えないといけない時も、事実は伝えた上で「応援してるよ」とか「いつもありがとう」と、その人が価値ある存在であることは伝えれるよう意識している。
でも、うまく伝わらない場合も多く、自身や組織の器の小ささに悲しくなる。
結局、頑張るのは個々のスタッフ自身なので、管理者は応援したり、その人の価値を認めることはできても、代わりになることはできないので、本当に無力だなと思うことが多い。

結局僕にできることは
「評価と価値は分けて考えようね。価値は誰にでもあるからね」
って伝え続けることと、
訪問看護で働く1人でも多くの看護師に、やりがいや楽しみを持って働いてもらえるよう、ウィル訪問看護ステーションや縁ある法人の組織づくりに貢献することくらいかなと思う。

さいごに。

年度の初めに希望に満ち溢れている看護師も多くいる一方、自身の看護師としての価値を失っているような人にも多く出会う。

私で良ければDM(Twitter)でも相談はのりますし、ウィル訪問看護ステーションでは見学の場も用意はしているので是非、お気軽に活用ください。

立ち止まったり、休んでも良いと思う。
コロナはあれど環境を変えるのも良い手だと思う。(弊社の岩手一関市や、沖縄豊見城市の事業所はゆったりしてていい感じですw

色々と大変な時代ですが、楽しくやりがいを持って働ける看護師は増えますように。

私も頑張ります^^





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