no title
久しぶりに文章を書きたい。
書きたい時に書かなきゃ。拾いきれないスピードで届かないどこかに散らばって落ちていってしまう。何を思っていたかすぐに忘れてしまうから、たくさんメモを取る癖が昔からある。
言葉を並べたくなる瞬間は間もないくらいさまざまに思いが巡って口から絵空事みたいにたくさん何かが本当に溢れ出していく。もっと早くタイピングできたら、とんでもないことになっていそう。
自分と同じように感じたままに文章を書く友達に初めて出会って衝撃だった。言葉にしなきゃ生きていけないから書く。何か言わなきゃ消えていって、もうここにはいられなくなるから書く。それしか方法を知らない。なんなら分からない。誰にも理解はされないから自発的に聞かせて歩くことはしない。何かに追われているような圧迫感(使命感とはまた違う)のせいで思ったまま出たままを紡ぐ。これらが正しいのかは分からないけど多分そんな感じだと思う。
今まで数年続けてきた小さなフィールドでの戦いは無駄じゃなかったんだ。同じ目線を見透かされて嫌な気がしなかった。これまでもきっと私なんかに興味なんてないだろうと向き合わないように避けていたのにちゃんと見てくれていたのか、でも私もどこかで繋がりは感じ取っていたんだけど。偶然でない、勝手に感情がグラついた。
言いたいことにモヤが立ち始めると、その空気感みたいなものにぴったりな音楽を聴き続けたくなる。でも曲は終わってしまう。
もっと、待って。焦る。ゆっくり落ちて浮かび上がって息を吸って、またゆっくりと潜っていく様は水中での神秘的な原始を感じるあの感覚に似ている。
眠りに落ちていく瞬間は殺伐としているし一瞬のために身を削る。それに比べて、静かにただ向き合い合った音だけが存在する水の中に落ちていく感覚は好きだ。
今まで溢れ出す”誰かにぶつけたい言葉たち”を誰かにぶつけたりできなかった。今だって、”ぶつける”なんて攻撃的な物理的な一方的なエゴな差別的な言い方しかできない。喧嘩とはまた違う。頭の中なのか心臓の奥なのか何か生き物を飼ってるような、そんな共存した飼い慣らした主従関係ではないけど何か”いる”。自分が自分じゃない瞬間を待ち侘びているように、ふと自分を客観視して他人のように見つめている私がいる。こんなことは誰かに理解されようとアクションを起こしたことはなかったな。今書いていて変な気持ちだけど。多重人格って訳でもない。問題は何一つない。何を言っているんだと、今更すぎるのかもしれない。
私の故郷は小学生のままだ。
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