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大人になるたびに、遊びに真剣になれなくなっていく

小学生のころ、遊ぶといえば公園に行くか、友達の家でゲームをするかだった。

中学生のころ、遊ぶといえば近所のゲームセンターにプリクラを撮りに行くことだった。

高校生のころ、遊ぶといえば……って、遊んだ記憶がないや。

大学生になって、遊ぶといえばウインドウショッピングをして、ご飯を食べに行くことだ。

特別だったはずのボウリングやカラオケも、徐々に特別じゃなくなっていく。

遊んでいないといえば、違うのだろう。ソーシャルゲームはやりこんでいる。たとえば、「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル」。イベント時はランキング10000位以内(いわゆるSR3枚取り)に入ることを、目標ではなく当然のこととしてこなしている。最近はそこまで触っていないけれど。ちなみに海未推しです。

今だと「艦隊これくしょん〜艦これ〜」の2019冬イベ真っ最中だ。わからん人にはなんのこっちゃ、全くわからないと思うのだが、今E2-1をクリアしたところだ。これから連合艦隊のスタートギミック解除に向かう。ええと、イベント全体の1/3くらいが終わったところだとでも言っておこう。艦これは日課である。日日是艦これ。ちなみに嫁は瑞鶴です。たった今、バレンタインギフトをローソンで予約してきたよ。

果たしてこれらが「遊び」かと言われると、少々疑問に思うことがある。ゲームが遊びでないはずはないし、何らかの楽しみを目的として画面と向き合っていることは間違いない。間違いなく「遊び」だが、「遊び」だと一括りにはできないだろう。

冒頭で、「遊ぶといえば公園に行くか、友達の家でゲームをするか」と書いた。きっと大多数の人はこうだろうなと思って書いたものだが、残念ながら自分には苦い思い出しかない。

誰かと遊ぶことは、怖いことだった。

Twitterのダイレクトメールが通知を鳴らして、「白草さーん、年明け〇日って空いてます?ゲーム会あるんですけど来ません?」というメッセージが表示された。

この年になって、紛れもない遊びの誘いがバンバン飛び込んでくるようになった。

単純にゲームしましょうとか、街を駆けずり回りましょう、みたいなものまである。

一年くらい前にボードゲームを触るようになってから、「遊びましょう」誘ってくれる大人が沢山いることを知る。アナログでも、デジタルでも、誰かと遊ぶことを面白がれる場所がある。

人の買い物に付き合って、ちょっとカラオケに寄ってから、ご飯を食べて解散。それも、いいんだけどさ。

もう最初から、「遊ぼう!」「ゲームしよう!」とばかりに。俺があのゲーム持っていくから。ああ、じゃあ私はこれ持ってくよ。あれみんなでやろうよ、自分持ってるし。そういう会話をするときに、「ああ、遊んでいるな」と実感する。ボウリングも、バッティングセンターも、「それだけのために」行ってもいいんじゃないって。

もう少しだけ、誰かと遊ぶことに真剣になってみてもいいと思うんだけれども、どうかな。

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